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にじいろの海月

幼稚園の頃の記憶はほとんどない。
もう随分前のことだということもあるし、それなりにまとまって休むことや大事な時に体調を崩すことが多くて、鮮烈な場面にそこまで縁がなかったからだ。
その中ではっきり覚えているのは、壁に描いた海月の絵のこと。
卒園行事の一つとして、各学年毎年テーマが与えられてそれに沿った絵を描くというものだったと思う。

私たちの代は「水の生き物」でみんなが魚を中心に書いている中、私が下書きの画用紙いっぱいに書いたのは海月だった。
白っぽい色じゃなくて虹色の海月。足(として当時は認識していた)の一本一本が違う色の。
水族館の水槽で不思議にゆらゆらと揺れる、光の当たり方で姿を変える海月が1番好きだった。
はっきりとは覚えていないけれど、それをなんとか描こうとして虹色で描いたのだと思う。
自分でもすごく満足していて、本番の日を指折り数えて待っていた。

待っていたのだが。
悪いことは繰り返すもので、案の定壁に書く前日に体調を崩して数日休まざるを得なかった。
お母さんが言うには下書きを元に先生が描いてくれるという。
にじいろの海月、私だけのにじいろの海月。
悔しかったけれど、ぶんと布団をかぶってぎゅっと目を瞑った。早く海月を見れるように。

数日後、すっかり良くなった私は少し早めの時間におかあさんに連れられて幼稚園に向かっていた。
黄色の重い門をくぐって、真っ先に滑り台の奥の壁に向かう。何回も描く場所を確認していたから、すぐにわかる。
色とりどりの水の生き物の中で、私の目に飛び込んできたのは、とてもかわいい黄色とオレンジ色の海月だった。

別になんてことはないはずなのだけれど。なんだか情けないなって思うこともあるのだけれど。
あの時の体がすうと冷える感覚を、今でも時たま思い出してしまう。
他の人のものに比べて、私の名前が横に描かれている海月は、圧倒的に上手だったしきちんと可愛かった。
だけれどそこにはもう、私だけの海月はいなかった。

当時はただただ悲しかったのだが、今思い返すのはそれだけでなくて、「どうして?」と思う。
代わりに描いてくれた時点で私自身が描いたものではなくなるし、先生の視点が入ることも理解できる。
ただ、なぜ使われた色のままに描かなかったのだろう、なぜ黄色とオレンジの2色だったんだろう。


例えば今、街を歩いたり本を読んだり話を聞いたり息を吸ったりして、色々なことを思う。
その時にはきっと「描かれたまま」にそれらを受け止めることは、永久的にできないのかもしれない。

にじいろの海月のことが心にぽこりと湧き上がるたびに、とらえどころない寂しさのような、悲しさのような、不思議を思い返してしまう。

にじいろの海月があのように描かれた理由は分からないけれど、でもなんとなく、考え続けていたいとも思うのだ。

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