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幹を考える


ふと何度も思いだしてしまう光景というものがある。
入社4年目の2021年4月1日、3年間やっていた仕事と東京を離れ、大阪転勤になった。
はじめての転勤、はじめての一人暮らし、はじめての仕事。そして緊急事態宣言、テレワーク。
不安を通り越してわからないことだらけの毎日の中で、何からどこまで手をつけたらいいのかわからないなりにやっていた中で細かい資料を上司に渡していた日々の時のこと。
「これはこの先に保存して使い続けるものじゃないから、まとめなくても大丈夫」
「仕事には色々なことがあるけれど、幹は何かを考えることだよ」

幹を考える。
上司にとったらもしかしたら、なんの気なくこぼした言葉だったのかもしれない。特別意識したことでなく、ただ普段から当たり前に心掛けていたのかもしれない。
けれど、右も左も上も下もわからない自分にとっては、本当に一筋の柔らかくてあたたかい光が差し込んだような言葉だった。

当たり前に表情や温度や空気感を感じながら関わることが難しい日々の中で、人と直接会うこと、その時に交わし合う言葉がいつも以上に重さを持っている。
誰かと出会う日々や時間は、立ち止まらせて、そして進ませてくれる言葉と出会うことでもあるように思う。

「幹を考えること」
早くて何一つ先のわからない日々の中で、ついつい目先のことをやりたくなってしまう時、焦って闇雲になりそうになった時、疑問を持つことをやめて作業をしそうになる時。
気持ちをぐっと堪えて、
「幹を考えること」
そう言い聞かせています。

#あの会話をきっかけに

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きっとみんなが何気なくこぼした無数の言葉が、日々を支えたり支えられたりしているのかもとか思います。飲み込まれなかった言葉のおかげです。

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