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お白湯は身体にいいのよ




「お白湯飲んでますか?身体にいいですよ」


ガチガチに凝り固まった私の体を揉みほぐしながら、セラピストの女性が言った。

毎日10キロ近い子を抱きかかえ、私の布団に大の字で寝る子を避けながら、テトリスのブロックのように身体を曲げて寝ている日々である。体は休まるどころか疲労を重ねていく一方で、ついに下を向けなくなるほど首肩が凝り固まってしまった。肩に乗った石が岩になってしまう前に、お小遣いを突っ込んだ財布を握りしめてマッサージ屋に来たのだ。

「お白湯は身体の代謝を上げてくれるので、汗をかきやすくなりますし、老廃物がデトックスされるんですよ」

いかにも毎日白湯を飲んでます、と言わんばかりの脂肪のない華奢な指が、私の背中にぎゅうぎゅうと沈み込む。

お白湯は体にいい。

耳にタコが、目にイカができるほど、人生の中で幾度となく見聞きしてきた健康法である。TVをつければ口の達者なタレントが、Instagramでは八頭身のモデルが、Twitterの胡散臭い美容家健康オタクまでもが口を揃えて「白湯を飲んでます」と言う。健康的な体のラインを窺わせる服を着こなし、艶やかでハリのある頬を高々と突き上げ、この身体は全て毎日の白湯のおかげだと豪語する様を見て、ヤカンに水を注ぎに走った人は数知れぬだろう。

ところがどっこい、そうはいかない女がいる。単純な癖に天邪鬼という、救いようのない捻くれ者、それが私だ。

老いも若きも男も女も、揃いも揃って生ぬるい水をありがたがって飲んでいる様が、私にはどうしようもなく滑稽に見えるのだ。一度そう思ってしまったが最後、私が白湯に注ぐ偏見の眼差しはエスカレートしていく一方で、31歳になった今は「白湯」というワードを聞くだけで鼻がヒクついてしまうようになった。


「白湯が身体にいいと言われすぎているので、あえて飲まずに行ってやろうかなと思ってるんですよね」


本来なら適当な相槌で受け流すべきだが、心身共に疲労困憊だったため、包み隠さず本心を言った。セラピストさんは悪戯っぽく笑いながら

「いいですね、そういう人私好きですよ」

と答えた。
セラピストさんが白湯を飲まない私を肯定してくれたことに気をよくした私は

「もし白湯を飲んで本当に体調が良くなったら、今まで私が出会ってきた“お白湯は身体にいいのよおばちゃん”に私もなってしまいそうで、それが怖いんですよね」

と、続けて能弁を垂れた。こちらも堂々たる本心である。

お白湯は身体にいいのよおばちゃんは読んで字の如く、お白湯の素晴らしさを普及するために積極的に街頭演説に勤しむおばちゃんを指し、古来より天邪鬼の天敵とされている。私も幾度となく相対してきたが、彼女らの持つ圧倒的な力を前にすると、己の意思がみるみるうちに弱毒化されていくのが分かった。ぬるい水が産みだしたとは思えない、恐怖さえ感じるほどの強大な力である。なんとか首をもがれる寸前で逃げ延びているものの、もしも数人のお白湯は身体にいいのよおばちゃんズに四方八方を取り囲まれてしまったら、次は命がないだろう。

マッサージベッドがギシギシと軋む音を立てる。セラピストさんが私の背に跨り、背骨に張り付いた筋肉を剥がしている。

「首から腰にかけて、筋肉が凝り固まっていますね。ここをほぐすとだいぶ違ってくると思います」

数ヶ月のうちに蓄積された疲労が、時間の経過と共に解けてゆく。

白湯を飲む健康な人間が、白湯を飲まない不健康な人間を癒す。思えばこの図の方が滑稽である。ぬるい水を飲むだけで、このような無様な劣等感は消えて無くなるというのに、どこまでも面倒くさい人間である。


90分後。凝りから解放された首をぐるぐる回し、セラピストさんにお礼を言ってベッドを降りる。店を出る時に見送り来てくれた彼女が、微笑みをたたえながら言った。


「もしお白湯を始められたら教えてくださいね」


先程白湯に対して散々難色を示した人間にこの言葉。やはり白湯を飲む人間は強い。体だけではなく、精神もだ。あのぬるい水が彼女らをそうさせるなら、白湯はスーパードリンクと言えるだろう。


家に帰った私は気がつくと、シュンシュンと音を立てる電気ケトルの前にいた。
お気に入りのマリメッコのマグカップに、沸いた湯をそそぐ。飲み物は舌が火傷で爛れるほど熱いか、結露がグラスをびっしり埋めるほど冷たいかの極端な2択が好きだ。湯が白湯の適温とされる50℃近くになるまでのこの時間も、短気には辛いものがある。

少し時間を置いて、マグカップが人肌になったところで口をつける。熱くも冷たくもない水が食道から胃に落ちる。飲み慣れていないためカップ一杯分を飲み干すのも苦しかったが、空になってもまだあたたかいカップを両手で包むと、体の外側と内側がちょうど同じ温度になる感覚がした。

するとどうだろう。いつもは子どもを寝かしつけた後、布団の空いた隙間で数十分のテトリスに勤しんでようやく眠りにつくほど寝つきの悪い私が、子の寝息を耳にしながらスッと眠りに落ちてしまった。そして夜間の授乳やおむつ替えがあったにしては、目覚めの良い朝を迎えた。

朝の子どものお世話を終えて、再びぬるい水を啜りながら考える。もしもこれが続いたら、そして健康的な体を手に入れてしまったのなら、私もいつかあの言葉を口にしてしまう日がくるのかも知れないと。

「ねぇ、お白湯飲んでる?」

今まで私の前に立ちはだかった歴戦のおばちゃんたちの、満足そうな笑顔の幻が見えた気がした。

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