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井上雄彦のバスケ愛は全ての人間を明るく照らす




THE FIRST SLAM DUNKを10回観た。

何回観ても飽きない。もっともっと、ずっとずっと観ていたい。そういう気持ちにさせてくれるのは、観るたびに得る感想が変化するからなのかもしれない。10回目を鑑賞し、劇場を出た瞬間にこれまで私の心の中に蓄積された想いがパッと弾けた。

「これは光だ」

そう思った。

スラムダンクは大人になってから読んだ。確か25歳くらいだったはずだ。スポーツにもスポーツ漫画にも縁がなかった人生だったが、あまりの面白さに衝撃を受け、最終巻を読み終えた私は家から歩いて数分のところにあるスポーツ用品店に走った。とても急いでいるさまを伝える比喩ではなく、本当に走った。走らずにはいられなかった。
バスケコーナーの片隅、大きなカゴの中に無造作に突っ込まれたバスケットボールを手に取る。ツブツブしたゴムの粒が手のひらでキュッとひっかかる感触に、ぶわと鳥肌が立った。花道が、流川が、ゴリが、リョータが、三井寿が、つかみ続けたものが今私の手にある。私はレジのカウンターにボールを持って行き、トレイが壊れるんじゃないかというくらい力強くカードを叩きつけた。(これはさすがに比喩である)

あれから5年。井上雄彦先生が脚本、監督を手がけた映画が公開された。それがTHE FIRST SLAM DUNKだ。


THE FIRST SLAM DUNKは大ヒット。公開から客足が衰える事はなく、興行収入も瞬く間に100億を突破した。井上先生が「観に来てくださったみなさんに感謝の気持ちを伝えたい」と用意してくださった鑑賞特典が発表される度に、劇場に足を運んだ。
現時点で第7弾まで配布されている中で、私が最も心震えた鑑賞特典が、映画がノリに乗っている絶頂で配布された、第4弾のポストカードだった。

メインイラストに描かれているのは木暮、安田、潮田、角田、石井、佐々岡、桑田の7名。
湘北高校バスケ部の、ベンチの面々だ。
劇場の入口で受け取った瞬間、頭を殴られた気がした。


THE FIRST SLAM DUNKを観て驚いたことの一つに、我々のよく知るあのキャラクターのバックボーンを、ドラマチックな山王戦に織り交ぜながら描ききったことがある。「私、あの子のことなんにも知らなかったんだな…」という歯痒さと絶望、何度も読み込んだはずの山王戦に手に汗握ってしまう興奮は、まさにTHE FIRSTと呼ぶに相応しい。それと同時にあれだけの情報量をよくもまぁ2時間に収めたものだと感嘆してしまう。削ぎ落とし削ぎ落とし、かき集めたものを蒸留してポタッと滴り落ちた一滴があの2時間なのだろう。1秒たりとも無駄にできないその貴重な1滴の中で、特に印象に残ったのがベンチ勢の描かれ方だ。

湘北高校のスタメンは赤木、三井、宮城、流川、桜木。彼らの魅力についてもし文章にするなら1人に対して1冊の本が出来てしまうだろう。それぞれが、読者から語り尽くせないほどの熱烈な支持を受ける魅力を持っているキャラクターだ。
彼らを描く、2時間で。しかも、ただでさえ全てが名場面といっても過言ではない山王戦を、だ。見たかったなぁと思うシーンがカットされていることもしばしばだったが、映画という限られた時間の枠に収めるには限界がある。製作陣も泣く泣くカットしたに違いない。

そんな中で、ベンチ勢の描かれ方はどうだろう。
彼らはカットされるどころか、非常に丁寧に、愛を持って描かれているように感じた。彼らの心をかたちどるセリフ、暴れ出す感情を体現するような動き。それらの描かれ方はスタメンの彼らを描くことに向ける情熱と何ら変わりない。

私はスポーツとは無縁な人生を送ってきた。水泳や空手、レスリングなど、体を動かすあれやそれは少しばかり齧ったものの、そもそも運動嫌いだし、ましてやチームで勝利を目指すスポーツには微塵も興味をそそられなかった。チームのスポーツはおもしろくない。そのおもしろくなさの原因が、己に課せられる責任だと気がついたのはいつ頃だっただろうか。
たとえ体育の授業でさえ、自分のミスで仲間に迷惑をかけるのが嫌だった。恥をかいたり、失敗したり、敗北という取り返しのつかない出来事に巻き込まれるのも、その原因が自分だという事実を突きつけられるのも嫌だった。だからといって試合に出ず、チームを応援するのはもっとつまらなく感じる自分の天邪鬼さには呆れ果てて言葉もでない。

バスケのコートに立てる選手は5人。ベンチには控えの選手が居て、選手の交代は自由だ。主戦力の選手を温存したり、敵チームの選手との相性を見て最も適当な選手を充てたりと、コーチの作戦によって適宜入れ替わりがある。山王工高はバスケットの強豪校。ベンチ勢もトップクラスの実力を誇る選手ばかりだ。
一方の湘北高校は桜木花道、流川楓、赤木剛憲、宮城リョータ、三井寿のスタメン5人が主戦力である。強豪山王とやり合う可能性がある彼らだけで、40分間を戦い抜かねばならない。

ベンチ勢は声を上げ、コートに立つ仲間たちに、力の限りエールを送る。シュートが決まったら跳び上がり、山王の鮮やかなプレイに落胆し、仲間の頑張りに涙する。
コートに立つ者は、仲間の魂のこもった応援の言葉を背中に受け、全力で戦う。かつて私が「とてもじゃないが抱えられない」と放棄した、責任の全てを背負って。

私の人生に足りない全てがそこにあった。人生に必要な全てがそこにあった。眩しくて、目がチカチカした。

この世の運動部で、試合に出られない選手が何人いるだろう。苦渋と辛酸を味わい、仲間の栄光の眩しさに打ちひしがれ、それでも「頑張れ」と声を振り絞り応援できる人間がどれほどいるのだろう。コートに立てる人間よりも、立てない人間の方が遥かに多いのだ。井上雄彦は託される者だけではなく、託す者の気持ちにも深い愛を持って寄り添っていた。スラムダンクという作品を通して、どれほどの人間がやり場のない思いを掬い上げられたことだろう。

第4弾の特典ポストカードで、ベンチ勢のイラスト共に添えられていた言葉は

“THE BACKUP PLAYER IS WHAT MAKES A TEAM STRONG.”

直訳すると“控えの選手がチームを強くする”だが、このポストカードについて、スラムダンクの公式Twitterではこのように言っている。

コートに立つ選手とともに練習を重ねてきた湘北メンバーたち。支える人がいてチームはチームになれる。

もしも金儲けのことしか考えていない関係者であれば、特典ポストカードは人気の湘北、山王のスタメンにしようと言うだろう。
しかしそうではないのだ。井上雄彦の精神は、美学は、本当に伝えたいことは、ポストカードに刻まれている彼らの存在と、この言葉が答えなのだ。



スラムダンクには井上雄彦の信じる美しさが詰まっていると思っている。

好きなものに夢中になること。
そのために努力を惜しまないこと。
過ちや過去を受け入れ、乗り越えること。
自分を信じること。
自分を信じる、仲間を信じること。

そして、努力すべきものに出会い、夢中になった日々は、何一つ無駄ではないということ。



『これらの美しさは普遍である』と井上雄彦が信じて紡いだ作品は、時代や国境を軽々と跳び越え、今世界中の人の胸に届いている。熱狂する諸外国の仲間たちの姿に、最高潮のワクワクが止まらない。

同じ喜びを共有し、同じ光で照らされた私たちは、手を取り合う仲間になれるのではないだろうか。
そんな子どもの描いた夢物語のような期待に、私は胸を膨らまさずにはいられないのだ。

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