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幸せを運んでくれるのはいつも人


人生最大の娯楽は美味い飯と思っている。

幼少期は父方の祖父の家で暮らしていた。
実家が食にまつわる仕事をしている事もあってか親戚は皆、食と酒を嗜む時間を愛していた。一同が会する食卓にはいつもご馳走が並び、普通であれば「子どもがこんなもの食べるなんてまだ早い、贅沢!」と取り上げられてしまいそうな食材を使った料理も「美味しいから食べてみなさい」と大人側から勧められた。一族随一の捻くれ者だった私が言うことを聞き素直に箸を伸ばしたのは、血が争えない事を物語る。未就学児のうちから松茸の土瓶蒸しに芽ネギの寿司、あん肝にクジラの胃袋の刺身といった子どもに似つかわしくない好物が増えていった。

私が親ならこんな物が平然と並ぶ食卓はとうてい用意できない。今思えば食に関してはお腹いっぱいの贅沢をさせてもらったと思うし、それに関しては大変感謝している。
様々な食材や料理を食べる習慣があったので食わず嫌いという概念は無く、今も尚苦手な食べ物は片手で事足りる。『舌が肥えている奴は面倒だ』と思われるかもしれないが、そんな事はない。美味しさには様々なベクトルがあるのを分かっているので、常に最上級を求めるなんて美味しんぼの海原雄山みたいな事はしないのだ。不味いから食べられないという事もなく、出された物には感謝の気持ちを持って美味しく頂いている。


私にとって食事は、美しくて心の躍るエンターテイメントなのだ。



先日友人達とマグロを食べにマグロ専門店の居酒屋さんに行ってきた。
何も調べずに予約したが、私たちが来店した日は週に一度のマグロの解体ショーの日らしい。
巨大なマグロが目の前に現れ私の興奮はワールドカップの決勝並みに最高潮。心の中でブブゼラを吹き鳴らし、着ていたユニフォームを引きちぎりながら雄叫びをあげた。

店長さんの粋な計らいで解体ショーと共にさまざまな催しがあった。巨大なマグロ包丁を持っての記念撮影、マグロの重量クイズ、そして目玉はなんと骨つきの中落ちのオークションだった。72キロの巨体から取り出された、ルビーのように美しく光る赤身が骨の周りにたっぷりとついた立派な中落ちを、今なら居酒屋内のお客さん同士で競り落とせるという。
破格の10円スタートと聞いた私は脊髄反射で参加した。店内に客の声が飛び交う。

「100円!」

「500円!!」

「1000円!!!」

「はい、1000円!他にはいませんか?」

5人で食べても大満足できそうな代物だ、1000円でも安すぎる。しかしこの日は友人達と来ていた事もあり、食べたい物を事前に決めていたためイレギュラーなこの商品に私が出せる最高額は決まっていた。

「1500円!!!!」

私が天空に右手を突き刺し叫ぶと同時に、別の席のおじさまも負けじと叫んだ。

「1700円!!!!!!!」

おじさまの分厚い財布に頬をぶたれ、私の戦いは呆気なく終わった。

「はい、1700円。もう居ませんね?では1700円で落札!おめでとうございます。今日は大サービスでこれと同じ大きさの中落ちをあと3つ、1700円で販売します!これも早い物勝ちだよ!」

なんという粋な演出。そんな大盤振る舞いで店の経営は大丈夫かと心配になるが、私を始めお客さんも酔っ払って大盛り上がりだったのでその場は大歓声に包まれた。
しかし予算オーバーの1700円である。私が泣く泣くマグロに背を向け、テーブルの上で冷えたタコの唐揚げを摘んだその時、

「これ僕が買うんで、お姉さん食べてください」

一緒にオークションに参加していた隣のテーブルのお兄さんが、競り落としたマグロの中落ちを差し出してきた。

「えっ、そんな、いただけません!」

あまりに突然の出来事に音量がぶっ壊れたスピーカーくらいデカい声で叫んだ。

「あんまりお姉さんが食べたそうにしてたから、どうか食べてやってください」

他人様からこんな風に見られていたなんて、私は一体どんな顔をしてオークションに臨んでいたのだろうか。同じテーブルにいた友人たちよ、友達ならば「アンタ今ひどい顔してるぜ」とそっと手鏡を渡して教えてくれてもいいだろう。

「いやいや申し訳なさすぎます!」

「僕たちも同じの買って食べるんで気にしないでください、本当に食べて欲しくて!」

涙が滲む。私がいくらお断りしてもお兄さんたちも一歩も引かず、巨大なマグロの中落ちはついにテーブルに運ばれてきてしまった。

このまま手をつける訳にはいかない。なけなしの良心が張り裂けそうになった私はドリンクのメニューを手にお兄さんたちのテーブルに行き

「せめて皆さんにお好きな飲み物だけでもご馳走させてください」

と懇願したが、「お礼してもらったらご馳走したってことにならないじゃないですか」と断られてしまった。今思えば瓶ビールとグラスを頼んで突撃するくらいの気迫があってもよかったかもしれない。どこまでも気の利かない女である。

お兄さん方の優しさと確固たる意思の前でこれ以上騒ぐのはかえって失礼だろう。私もついに折れ、お言葉に甘える事にした。
しかしここですんなり引く訳にはいかない。私の最後の我儘としてある提案をしてみた。

「もしよろしければなんですが、私は今日という日と、お兄さんたちの事を一生忘れたくないので、一緒に写真を撮ってくれませんか?」

それなら大歓迎ですと私のよく分からん提案に喜んで乗ってくださるお兄さんたち。どこまで人が良いんだ。
私はマグロの中落ちをテーブルに取りに行き、友人達を連れ、お兄さんたちと一緒に写真を撮った。これがその写真である。

(※顔を隠しての掲載許可はいただきました)

浮かれすぎてほぼ全員がすしざんまいの社長のポーズをしている所が可愛い。

お一人お一人に感謝の言葉を伝えて頭を下げ、自分のテーブルに戻ってマグロを食べた。スプーンで中落ちをねぎとる夢を、こんな形で叶えてもらえるとは。マグロのおいしさは何よりだが、見ず知らずの他人にここまで良くしてくださるお兄さんたちの優しさが私のお腹と心を満たした。


美味しい食べ物がなによりも好きだが、それは人あってのもの。
農家さんや漁師さん、それらを運ぶ運搬業の方々、そして卓越した知識と技術を持って食材を美味しく調理する料理人の方々。他にも書き切ることの出来ない多くの人達の誰が欠けても、今ここにご馳走は無い。気の合う友人達と一緒に「美味しいね」と話しながら食べる、美味しくて楽しい食事の場というのは、奇跡のようなエンターテイメントなのだ。

私は食によって幸せになっているのではなく、食を通した人の心に触れることで幸せになっているのだ。
そしてその、1番大切な人との繋がりを一層に感じさせてくれたお兄さんたちとの出会いもまた、私にとっては夢のような出来事なのだった。



お兄さんたちと一緒に撮った写真は待ち受けにしている。連絡先も名前も知らないが、このnoteが感謝状としてあの日のお兄さんたちに届けば嬉しい。

いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます