見出し画像

10年ぶりに息子に会った話



女子高生の私が学生結婚した話。


こちらで私を知ってくださった方も多いのではないだろうか。私の人生のターニングポイントのようなこのエッセイは大変多くの方にご覧いただき、未だにうれしいご感想が届く幸せものな作品である。おい大介、見てるか?

それは昨年のこと。上記のnoteにコメントをいただいたことから始まった。

「私は中高一貫校で教師をしています。演劇部の顧問をしているのですが、こちらのエッセイを演劇にさせていただけませんか?」


私のエッセイが。演劇。


今思えば大変失礼な話なのだが、最初は社交辞令だろうと思い、軽い気持ちでお返事した。まさか教育の現場に自分のエッセイを取り上げていただくなんて、そんな事あるわけがない。

それから数ヶ月後、その先生から改めて丁寧なご連絡をいただいた。

「上演許可証にサインをいただけませんか」

カッチカチにちゃんとした書類を送られて初めて、本気のお申し出だったことを知る。ヒェェと恐縮しながらも、上演会場や日時の記載されたそれに、生まれて初めて自分のペンネームのサインをした。たった5文字なのに緊張して手が震え、何度も書き直した。


自分の書いた文章が誰かの手に渡り、学生さんが演じてくれるなんて。こんな機会は2度とない。ここぞとばかりに面の皮の分厚さを発揮し、ぜひこの目で観たいとお願いすると、席をひとつ用意してくださった。嬉しくて嬉しくて、今すぐこの気持ちをげろげろと吐き出さねばどうにかなりそうだった私は祖母に電話した。


「ばあちゃん聞いて!私の高校時代の思い出を書いたエッセイが演劇になって、東京の女子高生さんや中学生さんが演じてくれるんよ!」

「え?!エムコちゃん中学生になるの?!」


エムコちゃんはもうアラサーやでばあちゃん。
私の突拍子のない話を祖母は何一つ理解できないようだった。私も急にそんな話をされても何一つ信じられんので気持ちはわかるで。それから祖母の誤解を解きつつ、1から10まで経緯をすべて説明した。祖母はよく分かってないようだが、最後は呆けた様子で「すごいねぇ」と言っていた。


とても楽しみな反面心配もあった。公演は東京。
2021年の夏、コロナ禍真っ只中の東京。
学校も学生さんも感染拡大防止策を守りながらぎりぎりの練習時間で公演に向け頑張っているとのことだった。

たとえ無症状で体調が健康そのものでも、地方の医療機関に勤めている私が東京に行くことで、もし学生さんたちにコロナをうつしてしまったら?逆にウイルスを持って帰って大切な人たちを感染させてしまったら?
こんな機会なんてもう2度とないんだから絶対に見たい。けれど当時の状況を鑑みると、とても自分のわがままを貫き通す気持ちにもなれなかった。

本当はギリギリまで様子を見て判断を待ちたかったが、用意していただいた席が空席になることだけは避けたいと、1ヶ月前には観劇を自粛する旨のご連絡をした。コロナ禍でつらい思いはたくさんしてきたが、これほど心にぽっかり穴が開く深い虚しさはなかった。私以外にも数えきれない程多くの方が“人生に1度”の機会を断腸の思いで見送ったのだろう。そう思うだけで、涙の海の底に沈み、水圧でぺしゃんこになるようだった。

上演の日までは毎日そわそわと心の落ち着かない日が続いた。どうか学生さんが無事に練習に臨めていますように。東京の方角に向かって手を合わせ、祈ることしかできなかった。

上演から数日が経ち、顧問の先生からDMが届いた。
無事に上演できたこと、地区大会で奨励賞をいただいたことなどを知り、ホッと胸を撫で下ろした。制約の中でたくさん我慢してきただろう学生さんたちの努力が実ってよかった。それだけで気持ちが救われた。


それからまた1ヶ月後、今度はURLつきのDMが届いた。

「中学生の演じた動画です、ご笑納いただけたら幸いです」

顧問の先生のあたたかな計らいだった。

お茶を入れ、心を落ち着かせてから動画を再生する。
上演のアナウンスで「原作、潮井エムコ」と私の名前が読み上げられた時、心臓がばくっと跳ねた。今までの、どこか夢幻のようでふわふわしていた気持ちが、現実を纏った瞬間だった。

大きな舞台を学生さんたちが元気に駆け回る。
ああ、きっとあの子が私で、あの子がマミなんだろうな。脚本は演劇用に再構築されたものなので、自分の作品なのだが、ひとつの新しい作品として楽しんだ。



「名前、何にする?」

「うーーーーん、大介!」

「うん、大介だ!」


学生さんの口から飛び出る名前に、思わず胸が詰まる。私が亡くした息子が、平成から令和へ時代を飛び越えて会いにきてくれた気がした。
私の思い出が人の手に渡り、演劇という形で今ここに残っている。そして私の思い出は、違う誰かの思い出になっている。いくつもの信じられないような奇跡が舞台の上にあって、私には眩しかった。

あっという間の50分の余韻をその後何度も噛み締めた。




次の日、私は朝ご飯にホットケーキを作った。
心なしかいつもより上手にできたそれは、10年前のあの日と同じ味がした。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます