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女子高生の私がモデルデビューした話




モデルになりたい。

人間誰しも一度はあの華やかな仕事に憧れを持つだろう。カメラマンの熱っぽい指示に爽やかに応え、カメラのレンズを独占する事ができたなら。
かく言う私も例外では無かった。

しかしながら胴長短足、顔はご飯ですよの三木のり平に瓜二つという三重苦を背負った私に縁遠い世界である事は齢15の若さでもハッキリと理解できていた為、この思いは公言する事なく胸にしまっていた。

紅葉が美しい秋。高校一年生の私は授業を終え、部室で次の作品のアイデアを出していた。そこに同じ部活のクラスメイトが遅れて到着し、私に言った。

「絵画部の先輩が呼んでたよ、美術室に来てって」

血の気が引く。
私の居た美術のコースは非常に厳しい縦社会で、先輩が後輩指導における絶対的な権力を持っていた。先輩に対する返事は如何なる時も「イエス」か「はい」しか存在せず、歯向かう事など言語道断であった。
友人らは一体何をやらかしたんだと訝しげな表情で私を見ている。生活態度が極めてチャランポランな私は心当たりが山のようにある。鉛筆とノートを投げるように置き、美術室へ走った。


息を切らして美術室の扉を開けると1人の美しい女性が立っていた。彼女は絵画部の部長、聡明で優しく、白い肌に目の下の泣きぼくろが色っぽい憧れの先輩だった。私を見るなり彼女は言った。

「急にごめんね、モデルを頼みたくて。」

私は驚き耳を疑った。ここでいうモデルとは絵のモデルの事である。先輩からの至極光栄な申し出を断る理由など無いのだが、信じられない私は恐る恐る尋ねた。

「私なんかで良いのでしょうか」
「もちろん、あなたにしか頼めないって思って」

頭にゴーンと教会の大きな鐘の音が鳴り響いた。天にも登る気持ちとはまさにこの事だ。サイゼリヤの壁で目にする天使たちがラッパを吹き鳴らし、私を祝福しているのが見える。大好きな先輩のお力になれる日が来るとは、我が生涯に一片の悔い無しである。
私の気合いの入ったOKの返事に先輩の顔が綻んだ。

「ありがとう、じゃあTシャツと短パンに着替えたらまたここに来てね。」

私は嬉しさのあまりスキップしながら部室に戻った。私がこってり絞られたと思っていた友人たちは私の浮かれトンチキぶりを見て驚いていた。

先輩のモデルをする事になったと告げると友人たちはさらに驚き腰を抜かした。失礼極まりない奴らである。
早速仰せつかった服装に着替え髪を念入りに梳かし、美術室に戻る。先輩は大きなカメラを準備して待っていた。

「あなた後転ができるのよね」

なんの脈略もない質問に時が止まる。後転とは後方転回の略称で、マットの上で後ろ向きにでんぐり返るあれである。

「その後転の途中で止まって欲しいの。入試でどうしてもその構図を描かなきゃいけなくて。」

この服装で呼び出された意味をようやく理解した。回転技の途中で止まれというのはかなりの無理難題だが、先述したとおり先輩への返事は「イエス」か「はい」しかない。
私は固い美術室の床にしゃがみこみ、意を決して後転した。先輩の持つカメラのシャッター音が鳴り響く。床を蹴り上げた足が空中に投げ出された所で全身の筋肉を硬直させ停止した。

「すごくいいよ!いい!」
喜ぶ先輩の声を背中で感じる。数秒と持たなかった為、そのまま床に倒れ込んだ。
先輩がカメラをチェックする。眉間の皺が、納得いく写真が撮れなかった事を物語っていた。

「もう一度いい?」

はい喜んで、と元気な居酒屋の店員のような返事をし、再度後転する。打ちつけた背中と肩と手が痛い。首もありえない角度で床に押さえつけられギシギシと悲鳴を上げている。宙に上げた足も指示通りゆるく曲げたままキープしなければならず、私は今何らかの魔法で体が石化しませんようにと願いながら耐えた。
繰り返すこと5回。ようやく先輩のOKが出る。

「もう一枚、今度は卒業製作のモデルを撮りたいの。そこに寝てもらえる?」

私は言われるがまま床に寝た。油絵で使うテレピン油で湿った床に、埃がふわふわと踊っている。日頃の掃除の行き届いてなさを呪った。

床に横たわった私に先輩は一枚の大きな白い布を掛けた。薄汚れてカビ臭いその布を纏い、私は人間の尊厳について考えながらレンズを見つめ、撮影は終了した。


「本当にありがとう。」

先輩の可愛い笑顔が疲れ果てた私を癒した。
体はバキバキ、髪と顔はホコリまみれで汚らしいことこの上ない姿になってしまったが先輩の入試と卒業制作のモデルになれたのは嬉しかった。
こうして私はモデルとしての大役を終えた。

それから数ヶ月。ついに先輩の絵が完成したとの情報を聞きつけた私はこっそり美術室へと見に行った。それはかなり大きな大作だと評判だった。私が布にくるまった見窄らしい姿は先輩の目を通してどんな作品に仕上がったのかと想像すると胸が躍った。このモデルは私です、とタスキでも作って学校中に言いふらしてやろう、そんな妄想を膨らませながら絵を見た私は愕然とした。

布にくるまり、横たわった物憂げな少女が美しいタッチで描かれた素晴らしい絵。しかし顔が私では無い。一体どう言う事だろう。
絵を見る私に先輩が声をかけて来た。

「ごめんね、その、顔だけ違う子に変えさせてもらったの。」

申し訳なさそうな表情を浮かべる彼女の気持ちを私は一瞬で察した。不釣り合いな三木のり平はかわいいクラスメイトの顔に変えられていたのだ。
私は振り絞るように「謝らないでください」と言い、その場を後にした。
美しい先輩の描いた絵は本人を体現するかのように美しく、私には眩しかった。



そして季節は変わり春がきた。難関大学に合格した先輩は、別れを惜しまれながら華々しく卒業して行った。

先輩の合格に微力ながらでも貢献した。そう信じたい私は悲しみか喜びか分からない涙を流しながら先輩の後ろ姿を見送った。



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