見出し画像

私の名前の由来



私の本名の由来をTwitterに載せた所話題になってしまった。いつも思いがけない話が人々の関心を集めるので驚かされる。

140字で終わる話をわざわざ長ったらしい文章にするまいと思っていたが、山のような質問が寄せられ一つひとつに答えることも難しそうなので私の知る限りをここに記したいと思う。
もちろんエムコはペンネームなので、勘違いを防止する為にここでは私の本名を「チヨ(仮)」とする。

祖母は私が物心ついた時既に寝たりきりの生活だった。それからすぐに亡くなったので、祖母との記憶もあまりない。ベッドに横たわった祖母は私が生まれて初めて出会った“人生の終わりを覚悟した人”だったので、彼女から漂う不思議な雰囲気が少し怖かったのを覚えている。

祖母との数少ない思い出の中に、家族みんなで囲んだ食卓がある。私は祖母と祖父の間に挟まれて座る事が多かった。車椅子に座った祖母は、焼き鮭が出るたびにこんがり焼けた鮭の皮を私にくれた。祖母の大好物はよく焼いた鮭の皮で、自分の1番美味しいと思うものを孫にあげたいと言う祖母なりの愛情表現だったのだろうと思う。私の祖母の記憶なんてそんなものだ。

名前については小学生の時に、名前の由来を発表するという授業があった。父と母に尋ねると「元気に育ちますように」という実にこざっぱりした意味だという。おかげさまで成人するまでは大きな病気をすることなく育ったので、言霊というものは実在するのだろうなと思った。

私がその由来を素直に受け止め幼少期を謳歌していた所、当時健在だった愛する祖父が私の頭を撫でながら「チヨちゃんの名前は亡くなったおばあちゃんからもらったんだよ」と言った。祖母の名前はトメ(仮)なので、私の本名とはかすりもしていない。元気な祖父がついにボケたと嘆き、私は重くは受け止めず「そうなんや」とだけ返した。年齢を重ねるにつれあの時の祖父の発言に強い違和感を覚えるようになった私は、自分の名前は祖父の愛人か何かの名前で、それを隠して父と母に命名の際助言をしたのだろうと思っていた。

そんな祖父は私が中学生の時に亡くなった。
私が人生で最も愛した人だった。

法事や盆などで親戚が集まるたびに、亡くなった祖父母の話題になった。叔母たちが「母さんは昔から周りの人にチヨさん、チヨさんって呼ばれててね」と話しているのを耳にし、私は叔母の元へすっ飛んでいった。

「それなんやけど、なんで違う名前で呼ばれてたん?」

「お母さんは戦時中スパイをしてたから、周りの人はその時の名前でチヨさんって呼んでいたのよ」

私はぶったまげて言葉を失った。私がトムとジェリーの世界観の住人なら間違いなく天井を突き破り空の彼方へ飛んでいっただろう。要するに私はスパイをしていた祖母のコードネームをもらったと言うわけだ。私にとってはその事実があまりに衝撃的すぎて、他にも色んな話を聞いたが断片的にしか覚えていない。

祖母は非常に芸達者で、唄と踊りの先生をしており、豪傑と呼ばれるほど肝っ玉の座った女であったという。スパイだった頃の時系列も定かではないし、具体的にどういう活動をしていたのかも知らない。親戚の昔話で記憶にあるのはそれくらいで、私が祖母の人となりに付け足すとするならばこんがり焼いた鮭の皮が好きであるという一点のみだ。

今となっては親族とも疎遠になり、祖父母についても詳細を尋ねる事ができる人も少なくなってしまった。Twitterでは祖母のスパイ名をもらったなんてそんな話は嘘に決まっていると寄せられたが、私もこれは事実ですと証明する術がないので反論する気は無い。スパイというパワーワードを令和で目にするとそりゃ驚くと思うし、私も捻くれていて人のことをあまり信用していないのでそう思う気持ちもわからんでもない。(直接言ってくるのはどうかと思うが)


世の中にはこうして言葉という信憑性のまるでない形で語り継がれる歴史の裏側がたくさんあるのだろうと思う。

しかしながら私の愛した祖父が、自分の愛した妻の通称を私に贈ってくれたというのもまた紛れもない事実である。誰に信じてもらえずとも、世界中で私1人だけを今もなお祖父母の愛が満たしてくれていると思うと、なんとなく贅沢に感じる話なのだった。

この記事が参加している募集

名前の由来

いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます