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夫のコスメを買いに行く



私はいつも洗面台でメイクをする。

我が家の洗面台の隣にはタオル用の棚があるので、その上に仕切り付きのケースを何個か置いてコスメを収納し、簡易ドレッサーとして使っている。収納と言えば聞こえが良いが、自他共に認める根っからの面倒くさがりの私は仕切りごとに分別するのすら億劫で、使った物をその時空いたスペースに適当に突っ込んでいる。そのためケースはいつ見ても雑多で混沌としているので、申し訳程度の仕切りが「自分はなんのためにここにいるのだ」と己の存在意義を問うて泣いているようで申し訳ない。

ある日私がいつもと同じようにメイクをしようとその混沌の中に手を突っ込むと、見慣れないコスメが入っているのに気がついた。
それは私の身に覚えのない、プチプラブランドのBBクリームだった。BBクリームとはカバー力の高さを重視したファンデーションのような物である。少し手に取ってみるとかなり濃いサンドベージュで、間違いなく私が買った物ではない事が伺える。
ケースの中をまさぐるとメーカーの違う同じようなBBクリームが3個出てきた。こんなにたくさん、と驚くと同時に今まで気づかなかった自分のズボラさにも呆れる。

私はそれを握りしめリビングに居るオットに尋ねた。


「これオットの?」


オットは私が手に持っているBBクリームに気がつくと、照れを誤魔化すように笑いながら

「そや」

と言った。どうやら身だしなみの一環としてメイクに興味を持ったらしい。

オットの美意識の高さには日々頭が下がる思いだ。
眉毛は自分で抜いたり剃ったりして形を整えているし、夏が来る前には「目についたとき不快にさせるから」と手足の指毛に至るまで完璧に除毛している男である。友達の結婚式にさえ脇毛を剃り忘れて参列し、不運にも両手を高々と上げたポーズを何度も決め、カメラマンにたっぷりと脇毛を見せびらかしてしまった私とは天と地の差だ。

そんなムダ毛の処理に無頓着な私もメイクをするのは好きなので、オットが興味を持ってくれた事はうれしかった。

オットはポツリと言った。


「メイクって難しいね、女の子向けやし買ってみても肌の色に合わんのよ。お店で試すのも気が引けるし」


なるほど、ほとんど新品同然の物が3つもあったのは色がしっくり来なかったからか。分かる、分かるで。初めてメイクに挑戦しようとコスメを買いに行った時、壁一面にびっちりと並んだ使用用途不明の化粧品の数々を目の当たりにし、この無限の選択肢の中から選ぶって難しいすぎんかと打ちのめされた自分の若かりし日を思い出した。女性をターゲットにしている商品なだけに、オットにとってはよりハードルが高いだろう。

大丈夫、そんな時におってくれたらいいなと思っていたビューティアドバイザーが今ここに、あんたの妻としているじゃないか。私は己の逞しい胸筋をドンと叩いた。
最近はメンズラインを出しているブランドもあるし一緒にお店に行って選ぶよ、と熱弁してもオットは恥ずかしさが勝つようで「いや〜、お店で選ぶのはいいや」と尻込みしている。
結局、通販であらゆるブランドのBBクリームガチャをしまくり、ようやく自分の肌色に合うものを手に入れていた。本人は満足そうなのでいいのだが、私は出来ればテスターで肌色や質感を確認した上で納得いくものを買ってもらいたいと思ってしまう。それを阻むものが恥ずかしさだけであるなら、これはオットだけではなく、このコスメ市場にとってもなんとも惜しい話なのだ。


BBクリーム問題が済んで何日か過ぎた頃。オットが私がメイクしている所にやってきて

「俺もまゆげのやつ、欲しいんよね」

と言った。“まゆげのやつ”とはちょうど私がその時使っていた、足りない眉毛を書いて補うアイブロウライナーの事である。

「なら一緒に買いに行こうか」

今まで散々断られたこの誘い文句をダメ元で言ってみると、オットは


「ワーイ」
 

と予想外の反応を見せた。ここ数日の間で気持ちが変わったのだろう。私はオットと一緒に、初めてオットの為の化粧品を買いに出かける事になった。

近所にはメンズラインを扱っているお店がなかった為、私の愛用しているアイブロウライナーのブランドに足を運んだ。お店は淡いピンクを基調としたかわいらしいインテリアである。いつも私の付き添いで来ている時は堂々としているのに、自分の物を買うとなるとシュルルと小さくなっているオット。私はアイブロウライナーのテスターを手に取り、自分の手の甲に色を塗って見せた。


「オットは眉毛も髪も優しい黒だから、間を埋めるならブラウンよりもグレーがいいと思う。グレーも明るいのと濃いのがあって、明るい方が自然で肌馴染みが良くて濃い方はハッキリした印象になるよ」


私が自分の見立てを話すとオットは私の手の甲を覗き込み、アーだのウーだの呟いて

「ならこっちの方がいいんかもねぇ」

と明るいグレーを選んだ。私は自分も使うからと候補に上がった濃いグレーと一緒に、そのアイブロウライナーをレジに運んだ。オットは私が会計をしている間店の外にいた。恥ずかしい中よく頑張ったと思う。

アイブロウライナーは私からのプレゼントとして贈った。家に帰るとオットは買ったばかりのそれを持って洗面台に行き、初めてのアイブロウに挑戦した。私は洗面台を覗き込みたい気持ちを堪え、リビングを行ったり来たした。我慢できずに遠くから洗面所の方を覗き込むと、オットは四苦八苦しながらも完成した眉毛を

「できた」

と私に得意げに見せてきた。
オットの眉毛はナチュラルに隙間が埋まり、顔全体がきりりと引き締まって見えた。オットは「いい感じやなぁ」とおちゃらけてワァイワァイと小躍りしているが、その表情はいつもよりパァッと明るくて、私はオットにもメイクの楽しさを分かってもらえたのかなと嬉しかった。夫婦として共同生活する以上、相手のご機嫌は自分のご機嫌に繋がるのだ。



メイクはもっと自由でいいと思う。してもいいし、しなくてもいい。私は自分の事が今よりも好きになれるからメイクをする。ただそれだけである。
メイクが自分の事を好きになるツールなら、それは服装を選ぶのと同じで、性別や年齢に垣根は無いのだ。それは今少しずつ変わりつつある価値観の中で周知され、いつか必ず社会を変えてくれると信じたい。

オットと一緒にお店に行き、堂々とコスメを選ぶ彼のような人たちの中でタッチアップの順番を待つ。そんな未来が早く来ればいいなと願いながら、私は今日もマスクをつける前にお気に入りのリップを滑らせるのだった。

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