見出し画像

「当時は子供だった」大人なりすまし詐欺罪

※何も解決せず見向きもせず変化もない
※決して気持ちのいい内容ではない

元彼・マサキについて

先日、2年半ぶりに元彼マサキと会った。マサキは学年が2つ下のサブカル男でギターとかデザインとかポストロックとか、とにかくなんか“マイナーだけどカッコいい”ものが好きで“それを知ってる俺エモい”と思ってるタイプの人間だ。在学中はそこまでやりとりがなかったもののほどよい距離の後輩先輩でいて、私が卒業した年になんとなく連絡すると意気投合しそのまま付き合うことに。「好き」の言葉沼にどっぷりハマってしまい、別れた後も「実はまだ私のこと好きなんでは?」というメンヘラ自己暗示を見事成功。そのままアラサーに育ってしまったため、今の彼氏と出会うまでの2年くらいはたまに遊んでセックスしたり、その度に付き合って〜〜!と追いかけ走り泣き叫びかわされを幾度か繰り返した。みっともない。みっともない、一方的な愛。

そんなこんなを何度か繰り返し心が折れそうになった時、今の彼氏に出会い一切連絡をしなくなる。徐々にメンヘラも卒業でき、彼氏マジ感謝状態になった。それから2年の間はほぼ音沙汰がなかったのだが、今年の7月ごろから夜中にちょくちょく電話がかかってきていた。が、彼氏とほぼ同棲しているためなかなか電話に出れず。が、奇跡的にも彼氏が不在のタイミングで2、3度電話に出たことがあった。

「もしもし」
「おー、久しぶり。元気?」
「元気だよ〜。何、急に」
「なんとなく」

「“なんとなく”の気持ちを解消するために私の日常をかき回すつもりかお前は」とは言えず。メンヘラの呪いのせいか、心のどこかでマサキ“どうにか”したいと思っている自分が見え隠れして私の親指は一向に電話を切ろうとしなかった。ここで言う“どうにか”は「セックスがしたい」でも「付き合いたい」でも「デートしたい」でも「心中したい」でもない。散々愛を伝えてきた私に応えてくれなかったあの頃から心に延々と残り続ける想いのカスを、どうにか片付けたいのである。その手段として前述の内容が起こる可能性もなきにしもあらず、だが。彼が、私がどうなろうと、この自己満足が完了してもやもやが終わればどうだっていい。私はそういう女だ。

会ってない間に10キロ太っただとか仕事がブラックだとか誰と誰が付き合っただとか、他愛のない話で小一時間盛り上がり、いつも決まってマサキが先に眠る。電話の向こうから聞こえてくるいびきに向かって「おやすみ」と伝えて電話を切った。付き合っていた頃から電話をすれば寝落ち率ほぼ100%だったな、そういえば。無言のまま、デブ特有の不健康そうないびきを聞く時間、(この不健康を私の手料理で健康にしたい)という思いが盛り上がる前に電話を切るのは、毎度一苦労だった。

その日のこと

久しぶりに彼氏が出張に行く、というタイミングでマサキに会うことに決めた。お前実は股ゆるなのかと思われるかもしれませんが全くもって股ゆるではございません。現在は全く。
約束の日曜。13時起床。ベッドでごろごろYoutubeを見ながら布団をいい感じに温めお風呂まで走る。布団を温めるのは、お風呂上がりに少しあたたまった布団に潜り込みマスカラのつきまくった百均の鏡でもくもくとメイクするためである。ある意味で勝負の日なので、いつもより心なしか、マスカラをドバドバつけた。 社会人なりたてのころ、ドライアイなのに泣きながらカラコンを入れて真っ赤なネイルとリップで頑張って頑張って頑張って頑張って大人ぶった。そしたら打ちのめされて鼻で笑われて全部全部削られて削られて、結局何にも残ってない。私は大人に向いてないのだ。先日、メイク箱から干からびたカラコンを発見して、隠すようにケースごと、ゴミ箱にねじ込んだ。“あそこ”の私は私じゃなかった。

待ち合わせ時間が近づくにつれ、心拍数があがり会うのが怖くなる。最近は徒歩3分のスーパー以外まともに外出すること自体していなかったので、そもそも人ごみの中でまともに呼吸ができるのかということがハードルとして立ちはだかった。出てみると案外平気だったので、体調って本当に日によるものなんだと思う(お薬さま、本当にありがとうでした)。
東急線沿い、横浜寄り、彼の最寄りの駅で待ち合わせ。何度も前髪の角度を見返してああでもないこうでもないともんもんとしながら駅に着いた。なんも変わらないのに最後の鏡を求めトイレに走ったため、私が5分遅れ。改札を出ると、2年の年月をしみじみと感じる、ぶっくりと脂肪をたくわえたマサキが前と全く変わらない服装で待っていた。

ジンギスカンのこと

おしゃれなショッピングビルが立ち並ぶ駅前からちょっと歩いて、少し廃れた飲み屋通りに連れて行ってもらった。焼肉が食べたい、とマサキ。焼肉まじか〜、と私。優しい男の子なので自我はそこまで出さない。あたりを一周回ってどんな店があるか一通り見て、ジンギスカン屋さんに決めた。そう、マサキは北海道出身である。そう、に特に意味はない。一通り注文をすませて、乾杯して、話した。食べ物を食べれば「おいしい」と言い、最近共通の知り合いに会ったかを言う。電話とほとんど変わらない。変わるのは、目の前にマサキがいることとごはんがおいしいことだった。あまりの太りように「むくんでるね」と言ったが「昨日、友達のお通夜だった」と言われ、私が黙る。泣き疲れたというそのくしゃっとした顔は昔と何も変わらない、少し寂しげで、これが彼の悲しいときの表情だったと思い出した。昔からそう、別れた時もそう。彼は喜怒哀楽を言葉で柔軟に表現できない。0か100しかない。だから私は彼の気持ちを、最後には目を伺って感じ取るようにしていた。0か100。それが彼と私の共通項で相反するところだと思う。イエスかノーか。ありかなしか。あとはほとんど言葉にしない。中途半端にしても、傷つかないし傷つけないと思っている。お互いのためだと思ってる。それが相手の感情をどれだけ揺さぶるもんか、考えもできない。根本的に自己中心思考が根付いてるのである。羊のタンははじめて食べたけど、美味かった。おすすめ。

大人になった気になるクソガキ26歳

二軒目は彼がずっと行きたかったというピザ屋さんへ。マルゲリータを頼む。お肉からピザへ。デブに付き合うデブの図。付き合っていた頃、彼は就活はじまったばかりの大学生で私は社会人一年目で、いまは彼も社会人になった。当時と今では、生活もいろいろ変わったと、彼は言う。

「当時は子供だったよね、俺も」

彼は言う。今はすごく仕事が忙しい。仕事はめちゃくちゃ頑張ってるし人間関係も良好。転職も考えてる。将来結婚相手がいれば結婚する。土日はいろいろ遊んだり飲み行ったり映画見たり。彼は言う。この子は、毎日をこなして働いていることを大人だと言っているのだろうか。私の中のマサキに対する諦めが、ほんの少し、その身の端っこだけど、視界にはしっかり、はじめて姿を見せた気がした。

私の考える大人は、働いているだけのそんな簡単な存在ではない。自分の夢や描いているものがあるひと。仕事もプライベートも全力でやってそれができるひと・そういう考えを持っているひとを私は大人だと、精神的な意味での大人だと考えている。成長しなくなったら人間は終わりだ。なんでもいいから、自分のために、何か、何かを見つけて、変わり続けてほしい。私はこのひとに、私のよき理解者として精神的な支えになってほしいと思っていたようで、ある種神格化していたのだろう。マサキとの思い出は、時間が経つにつれてきれいにきれいに磨かれきってしまっていたのだ。私が抱いていたあの頃のマサキ像は、いつまでも自分の好きなことを全力でやって、主観的にも客観的にもなれて、誰かを巻き込んで物事をはじめて、みんなから好かれて。そんな彼に私は嫉妬と羨望の意を持って接していた。少女漫画&神話風に言えば、神様は死んでしまったのである。死んだ神様はどうなるのか?死んだままなのか?そこまで考えてまた私の悪い癖が出る。

(時間が経てば、私がそばにいれば、また生き返ってくれるのでは?)

自己暗示と陶酔力が本当に高くてめんどくさい、アホな私はまだ彼を諦めようとしない。思い出と現実のリフレインが止まらない。私はこの人を失うと何が残る?新しい神様が出てこない限り、彼が結婚でもしない限り、私はきっとこのまま変わらないんじゃなかろうか?(以前もそういう人がいたんだけどそれはまた今度)結局自分のために彼を利用しようとしているまま、変わることができない。

おわりに

終電前にさようなら。最後まで手を振る私に振り返らないマサキ。恋人や夫婦になることなく彼との糸を切らずにいる方法はあるはず。やればいいのに、最後まで、下手くそなずるさで諦めようとしない。
私の方がクソガキでクソ野郎だった。


次回は実家の呪縛と薬がなくて死にそうになった話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?