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【完全版】”ふつう”の正体は幻想である

今日もお疲れ様です❁

カウンセラーのインタビュー記事を
読んで感じたことを
書いていきます。

***
カウンセラーや精神科医は
心の専門家です。
専門とはいえ心は目に見えません。
だから難しくて面白くて
もっともっと知りたくなるのですが…

カウンセラーは主に話を聴くことで
援助する専門家です。

ここでいう”話”というのは
挨拶や世間話とは違って
自分の心のうちや抱えているもの
であって内面なのです。

内面を話すってハードルが高いですよね。
そして、誰にでも話せることでもありません。


カウンセラーに話したい
というクライエントさんの立場からしたら
カウンセラーだから話す
だけでなく
この人になら話してもいいという
安心感や信頼があるはずです。

悩みを人に話す時って
相手を吟味して話すと思います。


***

では、どんなことで悩むのでしょうか。

私も悩んでいたことだけれど
”ふつう”になりたいのです。
でも、自分は”ふつう”ではないと悩むのです。

カウンセラーに話すことや
援助もらうことはふつうでしょうか

私は、ふつうにしたいと思っています。
したいということは
今は、”ふつう”ではないと考えている
ということです。

ふつうではないと悩んでいる人が
ふつうではない
カウンセリングへ行くということ
しますでしょうか?



***

海外ではカウンセリングが身近で
K-POPアイドルも
専属のカウンセラーがいるそうです。


日本はどうでしょう。
今、メンタルヘルスの勉強や研修を
取り入れている企業さんも
多いのではないでしょうか。
(企業でのメンタルヘルス研修
やってみたい…夢)

以下は私の考察ですので
根拠はありません。
考えを述べます。

日本にカウンセリングが
浸透しないのは
”みんな一緒に”が根強く
みんな一緒にができない人は
ふつうではないという
認識があるからだと考えています。

幼稚園や小学校、中学校で
集団生活を求められますが
みんな一緒に、集団からはみ出ないように
と教えられませんでしたか?

私は、小学校の頃
この集団からはみ出たので
幼いながらに
ふつうではないという
自己認識がありました。



***

私はふつうにはなれないという
コンプレックスを持って
今まで過ごしてきましたが
近年、個人が尊重され個人主義
となっていることで
徐々に認識が変わってきました。

個人が発信したことが
コンテンツになったり
仕事になったり
ファンができたり
個人が主になれる時代になりました。

だからこそ
私も不登校や休職のことを
世に発信できているのですが

いままで
みんな一緒に、揃えて
と言われて育ったわけなので
どこか違和感がありました。

過去の体験を正当化しているんじゃないか
ふつうじゃないことは
どう思われるのかなと…

でも、世の中には
不登校でしたという方も
休職経験したことある方も
いっぱいいました。

そうしたら
ふつうってなんだろうと
改めて考えるきっかけになったのです。

自分が想像しているより
ふつうなんて無くて
私が私の中で作り上げた幻想だった
と気づいたのです。


***
話を戻します。

悩む方の中には
ふつうではない自分に悩む方も
いらっしゃいます。

一度その方の中のふつうを
お聴きしたうえで
ほんとうにふつうなのか
ご自身がふつうから外れているのか

また、ご自身が考える
ふつうを提供できるか
そこを見つけていくのが
カウンセリングの1つの
役割なのかと考えました。


私は、ご自身の価値観やキーワードを
見つけていくことを得意としています。

例えば、苦手な上司との関わりに悩んでいるAさん
Aさんには調和や傷つけないことが価値観(ふつう)としてあるならば、傲慢で傷つく言葉をかける上司(ふつうではない)との関わりに悩むと思います。
この、Aさんの悩みの中で何を大切にしている価値観があるのかを見つけることが得意です。


自分を知ることで悩みが軽減したり
解決策を考えられるだろうと
考えているからです。

だけど、ふつうって意識せず
無意識の部分なので
そこを知ることができると
生きやすくなるでしょう。

ふつうという言葉を気にするようになり
意味合いが変わって数年経ちましたが

ふつうという言葉に
まだ考えられるのだと
そして、私なりの考えを
ここに記せるのが
面白いなと感じました。


今日も最後まで
お読みいただきありがとうございました♡



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