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石橋を叩くのはほどほどに

お疲れ様です❁

今日はこんな投稿をしました。



今年に入ってから特に行動力がでて
しかも軽やかに行動できています。

過去、石橋を叩きすぎて壊れた橋を渡るタイプ
だった私にとってはとても大きな変化です。


どうしてできるようになったのか言葉にしてみます。




執着に気が付くところから

石橋を叩きすぎるには
嫌われたくない
という執着があったから

完璧でないといけない
失敗してはいけない
その根本は、人から嫌われたくないからです。

実は、私が一番恐れていることです。
嫌われることへのトラウマのようなものがあります。

だけど、出会った人みんなに嫌われているわけではありません。
夫、家族、友人…私が大切にしている人です。
私が大切にしている人=本当に嫌われたくない人たちなのですが、その人たちからは嫌われていないことに気が付きました。

そして、近所の人、私が苦手とする人、一時の付き合いの人からは、別に嫌われてもあまり影響ないなとも理解しました。

だから、大切な人から嫌われなければ大丈夫。っていう、執着を手放すことができたのです。



意外となんとかなっている

ということに気が付いたから。
2年前から日記を書いているのですが、見返してみるとよく出てくる言葉がありました。

「よかった~」

不安なことがあっても、だいたい「よかった」って思えているんですよね。よかったと思えていなくても、なんとかなったって書いてあります。

不安の9割は起こらないという言葉を聞いたことがありますが、本当にそうなのだと実感しました。もし、予想外のことが起きてもなんとかなってはいるのです。このことに気が付いたら、すごく心が軽くなりました。



自分の気持ちに素直になったから

トータルすると、ここにいきつきます。嫌われる心配がなくてなんとかなるってなったら、やってみようってハードルが下がりました。

だから、今後のるぽに必要だろうと二足の草鞋生活を始めました。(近所でパート勤務とるぽの活動)
もちろん、始まる前は人間関係の不安や続けられるかなとか考えたけれど、嫌われたくない執着が手放せて、なんとかなるだろうという根拠のない自信があれば、深く考えることなく軽やかにスタートができました。(初日の前日もそんなに緊張せずいられました)

むしろ、やりたい気持ちに素直になれて興味もあるから。この経験をどうるぽに活かせるかな、新たに学ぶことも多くててんやわんやだけれど、我慢がないから、素直に楽しいです。



石橋を叩く間は不安製造期間

去年、石橋を一生懸命叩いて行動できない時、実はすごくもやもやしていてそんな自分がすごく嫌でした。
憧れの人はすぐやってみて先を進んでいる。私もなりたい…。って気持ちは確かにあったのに保身に逃げていました。

だけど、頭であれこれ考えるのは不安を増やすだけだし、始まる前から完璧を目指すのは正直無理だと気が付きました。(遅い…)
もやもやが残るだけだし、無限に不安が増えるだけだし、行動は遅くなることで、今思えばちょっともったいない期間だったと感じています。反面、人生の充電や執着を手放すことに気付けるチャンスの期間だったのです。



石橋を叩くのはほどほどに

執着を手放して、根拠のない自信を手に入れたら、すごく充実しているんです。やりたいことに夢中になれて、不安感も自己嫌悪に陥ることも減りました。そして失敗してもあまり落ち込まないようになりました。

なんとかなったし、どうしたらいいかなって次に意識が変わるんです。それが自分でも楽しいし、今も、どうしたら読んでいてヒントになったり、安心感を感じてもらえるかなって考えている。このことがすごく楽しくて、夢中になれて充実しています。

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今、石橋を叩いている人へ
石橋を叩くのはほどほどにしてほしいです。
叩きすぎて凸凹の道を歩くのはしんどいから、適度に叩いたら思い切り進んでみてください。

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最後までお読みいただきありがとうございました♡



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