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私が「大勝ち」するまで。6

『慎重に選考を行いました結果、今回は貴殿のご期待に添いかねる結果となりましたことを、、、』

うるせえわ。
何が『ご期待に添いかねる』だ。
そっちからスカウトしてきたくせに。
何回も遠い駅まで通ったのに。
「〇〇さんなら、活躍できそう」とかほざいてたくせに。
こんな会社、こっちから願い下げだ。

就活をしていると何通も貰うお祈りメール。
どれだけ面接をしても、どれだけ面接官と馬があっても、落ちる時はたった一通のメールがくるだけ。
それで自分の人生が変わる。

インターンの選考で貰い慣れたと思ったが、
やはり本選考、しかも最終面接でのお祈りは、なかなかキツいものだった。
全く興味のない会社、行きたくもないようなベンチャーでも、
『落とされる』という経験はやっぱり苦い。
だが馬鹿でプライドだけが高い私は、『落とされた』という事実を、あくまでも認めたくなかった。
だから、(これは終活するまでずっとそう思うよう心がけていたが)『落とされた企業』ではなく、
『私をとらなかったセンスのない企業』と、
考えて、その場を何とか乗り切った。

(下記証拠写真↓)

だが、この日を境に、私は【就活不安定期】を迎えることになる。

例のベンチャーに落ちた2週間後には、めちゃくちゃ行きたかった大手1社と、抑えで受けた大手1社の面接が待っていた。
3月なので、皆さんもご想像の通りESに追われている中の面接。
ただでさえ忙しいのに、加えて2つもデカいところのの面接があって、正直焦っていた。
私的には、もう落ちたベンチャーからは心を切り替えたつもりでいたのだが、悪運はどうやらまだ私を離さなかったらしい。
私は、めちゃくちゃ行きたかった大手1社、抑えの大手1社、
その2つとも、一次面接で落ちてしまった。
面接をやっている時から、妙に調子が狂う。
言いたいことがうまく言えない。
質問にうまく返せない。
「ああ、これはだめだな。」
面接中ずっと、頭の中でそう思っていた。
そして、その通りになった。

私は面接が得意なはずなのにどうして。

悪いことは続くものだ。
ここから4月まで【就活不安定期】の私はすさまじかった。
大学の仲間内の1人が、行きたかった企業から内々定を貰い、終活したということを知った。
とある業界の選考が、ESの段階で全滅した。
あの優勝したインターンは、結局優遇が貰えなかった。
なんて月だ!!!!!!(〇峠さん、、、)

私、やばいかもしれない。
いや、このままだと確実にやばい。

いくら『私をとらなかったセンスのない企業』という上から目線のスタイルでやっていても、ここまで落ちるとさすがに問題だ。
就活中、最初で最後だったが、私はこのとき、夜1人、ベッドの中で泣いた。
普段は絶対そんなことしない人間なのだが、このときは思わず、遠くの県で仕事を頑張っている自分の尊敬する先輩に、「どうしたらいいかわからない」と、長文のLINEを送ってしまったくらいだ。

2社の面接を受けながら、頭の中では分かっていた。
大手とベンチャーの本選考、面接は全然違う。
インターンの面接と、本選考の面接は全然違う。
加えてコロナで、やったこともないオンライン面接。
一体、今までの私の努力はなんだったんだ。

また、私は、就活でも
『勝ったことのない人間』に
なってしまうのだろうか。

2日間泣いて涙が枯れると、私の中に恐怖とか不安とか悲しみではなく、別の感情が湧き上がってきた。
『怒り』だった。

そしてその怒りは私の闘争本能に火をつけたらしい。
私は、徹底的に自分のダメな部分を洗い出し、
そこから1週間は、毎日ほぼ徹夜で、あの手をつけていなかったテキストを引っ張りだし、自己分析に励んだ。
昼はESとウェブテ、夜は自己分析か業界、企業研究。
大好きな大学の先生が「考え事は夜にするといい」といっていたのを鵜呑みにして、夜は無心で自分と、そして会社と向き合った。
5月末に、今の会社から内々定がでるまで、就活のことを全くやらない、という日は、多分1日もなかったはずだ。

面白いことに、死に物狂いで頑張っていると、
運は向いてくるようで、
私は4月の終わりになんとか【就活不安定期】を脱却することができたのだった。

本日は以上でございます。

#就活 #21卒 #22卒 #大学生


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