私と家族のなんて事ない人生
私は1995年1月12日生まれ。
宝塚で生まれ。
在日コリアン4世
母、父共に銀行員同士で、出会って2年の交際を経て結婚した。
(銀行と言っても当時朝鮮総連傘下にあった銀行)
当時私が生まれた頃は阪神淡路大震災の5日前。
退院日に大震災が起きた。
ただ、幸運母方の祖父が震災の前年に新築の家を建てて丈夫な上にプロパン業をしていて、お風呂や、温かい食べ物には困らなかったという。
私が1歳の頃から母も父も共働きをした。
私は保育園に預けられた。
私は生まれた時から体が弱く、100日風邪、喘息を患い29歳の現在も喘息持ち。
保育園が夏休みや長期休暇になると決まって母方の祖父母の家でお世話になってたらしい。
私は昔から陽気で人前でも人見知りもせず、歌や劇を見せるのが大好きだった。
母はそんな私が3歳の頃から朝鮮舞踊を習わせた。
ちなみに母も小学生から成人してからも朝鮮舞踊をしていた。
8歳にはすぐ辞めた。
シンプルに綺麗な踊りが私には向いてない。
話を戻して、私が幼い頃(記憶としては3歳頃)から
母は私に可愛い服を着させるのが好きだった。
周りからオシャレと良く言われてた。
父は幼少期の頃から喘息を患っていた私をほとんど毎日救急病院に連れて行ってくれた。
病院の帰りは決まってからあげくんとポカリを買ってくれた。
ただ、父はすごく厳しい人だった。
父は礼儀作法やテーブルマナーにはとことん厳しく、一つでも出来ないとビンタが飛んできた。
もちろん、テレビを見ながら食事等いわゆるボコボコだ。
凄く厳しくはあったが凄く愛が溢れる人だった。
ただ数年経ったある日父がとんでもない人だった言うことがわかる。
それはまた後々。
私は現在29歳。
色々あったが今凄くハッピーだ。
このnoteは私と家族のなんともない人生を記していこうと思って書いてるだけ。
家族と仲悪い人や、孤独な人、しんどい人そんな人に読んでもらいたいです。
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