台風14号を経て

 引っ越してきてから初めての台風だった。風は強く吹き、家は揺れた。生まれて初めての停電。暗闇の中、伸ばした手のひらが見えないことに感動した。
 丸一日、家中の電化製品が使えなかったわけだが、とにかく暇で暇で仕方なかった。暇というか何もやる気が起きない。懐中電灯は用意していたものの、家の中はぼんやりと薄暗い。人間は薄暗いなかだと活力が沸かないものなんだと知った。
 なので、ほとんどの時間はずっとベッドの上でゴロゴロしていた。私は現在ひきこもり専業主婦なのでいつもダラダラゴロゴロしているのだが、それを遙か上回るほどのダラダラゴロゴロだった。激しい雨風の音を聞きながら、ベッドの上で電気が復旧するのを今か今かと待つ。Wikipediaの都市伝説一覧をぼんやり眺めながら減っていくバッテリー・・・。途中、おもむろにどうぶつの森をやりはじめたが充電がすぐに切れた。スイッチのバッテリーすぐ無くなる。

 翌日には無事復旧し、三日過ぎた今日現在はおかげさまで今まで通り快適にダラダラゴロゴロ過ごせている。日常は戻ってきた。ありがたいことです。
 森博嗣氏の作品『実験的経験』にーーー「こんな長閑な生活が続いているのはいったい誰のおかげでしょうか。誰に感謝すれば良いでしょうか?少なくとも神様のおかげではありませんね。神様ならば、もっと救うべき人たちが沢山いるでしょうから。」という一文が好きなのだが、それが頭の中でぐるぐると駆け巡る日々です。

 話は変わるが、ラジオで鈴木おさむさんが話していたことにとても共感した。
 病院で、入院しているお父さんと最期になってしまうであろう会話をし、泣きながら仕事へ向かおうとする。色々な思いが駆け巡るが、お父さんと話す直前、「仕事前にカフェオレ買ってから行こう」と考えていたカフェオレはちゃんと買っている自分がいる。ドラマや映画だったら涙を流しているシーンだけで終わるところも、現実では人間は全然関係ないことも考え、そしてさらに実行する。という話だった。(ながら聴きだったので巧く文章に出来ず申し訳ない)

 ほんとそれ!!感動的なときも、この先も忘れられないだろうな・・・といったシーンでも、全く関係ないことを考えたり思い出したりしてばっかだ。こういうのって、薄気味悪い自分だけなのかなと思っていたがそんなことなくて良かった~。
 ラジオではとりわけ悲しい時苦しい時にそういったことが多いのではないか、と言っていた(ような)が、防衛本能でも働いているのだろうか。
 一つのことに集中したい。焦っている時は無駄にそのことだけを考えていられるのに、どうして切り取っておきたいような人生の瞬間、別のことを考えてしまうのだろう。不思議ですね。

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