さらに「時間」を考える(未来と自分)

時間について考えてきた。

たまたま昨日テレビの番組で「どストライク」的にこのテーマを扱っているのに出会った。(最近はリアルタイムで見なくていいから、ありがたいよね。自分の興味のある番組を時間のある時に見られるのだから)。

番組のタイトルは「A brief history of the future 」

番組のメッセージとしては、私たちは歴史上の一点である。私たちの何代もの祖先から時間を引き継ぎ、そして何代も先の世代に引き継いでいくんだ、というようなもの。そして、私たちは歴史上、ほんのわずかの1点にすぎないけど、でも私たちがどう生きるかと決断し選択することは、次世代の何代にもわたって影響するんだってこと。

私がニュージーランドに移住してきてなんとなく考えてたことを「まさにこれ!」って「どストライク」に私の中に速球で入ってきた。

日本とニュージーランドでは、時間の流れも価値観も生活習慣も違う。何年も計画してこちらに移住してきたにはそれなりに私なりの理由がある。日本の良さを保ちつつ、こちらで実現しやすそうな「ライフスタイル」を試してみたかったから。そしてそれはやはり時間の感覚と密接に関係してるんだ、ってこの番組を観てあらたに実感した。

番組の中では、現代人の「時間」との向き合い方はスケジュールに追われる、時間を惜しむように細切れに使う、どれだけ生産性を上げるかという観点から時間が捉えられる、便利な生活というのも時短と関わっている、要は「自分たちの、この世代の利便性や豊かさを考えている時間の使い方をしている」ということだ。

それに反して、この番組で取り扱われていた人たちは、次世代・その先の子供達・孫たちのために今の生き方を考えている、という人たち。アメリカ東海岸でコンブ養殖をしている人、インドで伝統的な吊り橋(コンクリートの橋ではなく)を保存しようとしている人、ネイティブアメリカンの女性が昔ながらの生活や価値観を次世代に伝えようとする活動をしている、岩手の八幡町の取り組みも紹介されてた!

その中で共通していたのは、生産性や金銭的なことだけを優先する時間の過ごし方ではなく「私たちに何ができるか・私たちが生きていることで次世代に残せることは?」と考えることが大事だと言っていた。

私が今の時間の使い方の中で、野菜作りをしたいのもここに原点がある。買えば安くて美味しい野菜が手に入る。でも、自分で作ってみて初めて、陽の光が何時間あたるのか、自分の庭の土壌はどんなものなのか、どんな雑草が生えているのか、ミミズがいたら嬉しい!、今日の温度・降水量は?などと環境と一体になる感覚が増えた。人間の視点から考えた便利さじゃなくて、自分は大きな世界の中の一部なんだ、という感覚がちょっとある、そこが嬉しい。毎朝、庭に出て様子を見る(毎日変わっているはずもないのに)。でもそこで温度を感じる、風を頬に受ける、鳥のさえずりをきく、そういう「豊かさ」がとてつもなくありがたい。

そしてこんなふうに「時間」を過ごすことは、自分勝手なのか?と思っていたけど、この番組では、みんなができるところでそういう意識を持ってやればいい、と言ってたのを聞いて、野菜作り「超」初心者の私がやってもいい、いや、そういう私がやることで「誰でも始められるんだ」と思ってもらえれば、そういう思いが広がれば、それはやりがいがあるんじゃないか、って思えるようになった。

そして私が与えられてる時間は現実的に最大20年。かなり短い、けど、時間はそれ以降も続く。それについて考えを馳せながら「今」を生きる大切さ、というメッセージが心に響いた。

右が雑草、左が大根。私は「雑草」を育てるのが上手らしい苦笑
これから上達あるのみ!

ニュージーランドでは、季節になると庭にたわわになったレモンやライムなどの木を見かける。そういうお家ではたまに玄関先に「help yourself」(どうぞ持っていってください)とそういった果物が置いてある。通りがかりの人が黙ってもらっていいシステムだ。私もお散歩の途中で、何度かありがたくいただいた。「買わなくていい」と言った金銭的な理由ではなく、恵みを分かち合うことができる、そういう幸せを味わう。いつか私もhelp yourselfといってお裾分けできるようになりたい〜、というのが目下の夢。

庭にはネクタリンの木を植えた。実がなるのが待ち遠しい。
そして他の人にもあげられるようにまで育ちますように〜!


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