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退職後の「暇と退屈」について考える②

けいこです。以前、「暇と退屈の倫理学」について書いた。その時書いたように、この本は「時間について」考えるすごくいいきっかけになった。

お金と時間は両方とも有限な資源で、両方とも貴重だ。自分には今どれだけお金があるか把握しやすいし、どれだけ必要かがなんとなくわかる。お金がないと困るけど、お金がありあまっても困ることはあまりない。もしかしたら邪魔になることがあるのかもしれないけど、そんな生活送ってないからわからない。

じゃ、時間はどうかというと、ちょっとお金より複雑だ。時間がないのは苦しいし切実な問題だ。「長生きしたい」を換言すると、すなわち「なるべくこの世にいる時間を伸ばしたい」ということだ。「死にたくない」も同じ。究極、時間が欲しい、ということだ。

でも同時に私たちは「時間がない、忙しい」=充実している、という意味でも時間を捉えることがある。そして時間が余り、それを持て余すと「時間」は私たちにとって呪縛となり、余った時間は苦痛にさえなる。

歳をとったり退職したら、時間は増えるのにその時間を持て余してしまい、どうしていいかわからない、それが問題になってしまう、というのは「時間」の持つ複雑な側面で、ある意味もったいない、というしかない。お金と同じように時間は限りある財産なのに。

で、本題の「暇と退屈の倫理学」の登場。

そこでは、人間は自分の部屋で何もせずじっとしていることができないから、色々な問題が引き起こされる、それはそこで退屈するから、とパスカルは言う、読んでなるほど!と納得。もしそういう状態でじっとしていること満足できれば、時間とどう付き合うか、なんてこと考えなくていいんだよね。でもそうじゃないから問題が発生する。

これからウサギ狩りに行く人に、ウサギを渡しても喜ばれない。寒い中、銃やいろんなものを準備して、ウサギが捕れるかわからないのだから、その先回りをして「ウサギをどうぞ」と提供しても喜ばれない。その人たちは、必ずしも「ウサギ」が欲しいのではなく、それを獲得する過程を楽しむ、すなわち退屈から解放される時間と過程を欲しているのだ、と読んでさらに納得。わかりやすい例だ。

私たちの(みんなと一緒にしたらいかんね、私の)することの大半はこういう類のものだと言うことに気づいた。私が家庭菜園を始めたのも、「野菜」を手に入れたいというのが一番大きな理由ではない。野菜が欲しければ美味しくて安価なものがお店に行けば手に入る(ちなみに最初に収穫したレタスは1玉5,000円くらいになる!苦笑。最初に土(つち)や肥料、種を買ったり、有機栽培のクラスを受講したりした投資のもとだから。徐々にコストは落ちるにしても、元を取るには何年もかかる)。家庭菜園を始めたのは、そういう知識や技術を身につけたい、そういうライフスタイルを送っている自分が好き、持続可能ということを実践したい、という過程を楽しんでいるのだから。

さらに時間が余ると私たちはそれを「空虚な状態」と認識し、そこから抜け出そうと必死になる。私たちはそれが嫌いだから。本には、そこから抜け出すためには私たちはなんでもする。内容はどうでもよくて、とにかくその空虚な状態=何もすることがない、と言う状態から抜け出すために、必死に仕事やすることを探す、と。

本には人はその状態から抜け出すために戦争にまで意義を見出してしまうことがあると。

私の「穴掘ってでも仕事したい」と言う原点をここに見つけた気がした。そう、私も意味のない空虚な生活を送るくらいなら、「穴掘り」にも意義がある、と思っていたと言うことだ。

内容が濃い本なのでまとめるのはすごく難しい。この中で消費社会では消費が退屈をうみ、退屈が消費を生むというサイクルが発生する、ともあった。普段から消費社会からどう距離を置くかを考えてきたから、この意味でもすごく納得した。

私たちは休日にどう時間を過ごすかということをメディアやレジャー産業から提案されているのであって、個人の意思とは限らないとも。そっか〜、そういえば日本に住んでる時、土曜日の朝の番組を見て、そこで紹介されている観光地に行ってたことあったっけ!この時期、この紫陽花が綺麗ですよ、とか、ここの美術館は穴場ですよ、とかにホイホイ乗っかって、情報通だと思っていた自分がいた。「時間」の使い方を提案してもらってたということだ。

この本について、ある友人とメールのやり取りをした。彼女は、この本については知らないが、「退屈」と言う概念について大学時代にラッセルの「幸福学」を読んで衝撃を受けたのを覚えている、と書いてくれた(原文の引用もつけて)。要は人間の幸せは、ちょっとの退屈とどう付き合うか、と言うことだそうな。彼女はそれまでは退屈は避けるべきもの、と思っていたので、とても影響を受けたそうだ。それ以来、ちょっとの「退屈」とうまく付き合うようにしているとのこと。彼女はこんな大事なこと大学の時に学んでたんだ!私もこんな大事なこともっと早く知りたかった〜〜〜!笑

私は60歳を超えて初めて、「退屈」が人間の根っこにある問題であること(これまでは個人的な私の問題だと捉えていた)、それは必ずしも疎ましく感じる対象でなくてよいと言うこと、それとどう上手に付き合うか、が「幸せ」に生きることと少し関係しているか、と言うことを学んだわけ。

文庫でも出てるからオススメの一冊です。

写真はphoto_kotobaさんの「時間は有限 使い方は無限」を使用させていただきました。ありがとうございます。

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