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なぜなぜの木 きになる実の話 冬の景色はなぜ淋しいのか

最近、急に寒くなった。12月も終わりに差し掛かり、寝ながら剥いでしまった掛け布団のせいで、何か恐ろしいものを見たかのような身震いをして、はっと起きると早朝。そんな体験をするような季節になった。坊主も走る12月は、過ぎ去る生活の中で、疑問に思ったことについても書いていこうと思う。

今日考えたいのは、「輪郭がはっきりした景色は何故淋しいのか」だ。先日、寒空の下街を散歩していると、街の明かりや無機質な建物、空の灯りがいつも以上に尖ってみえることに気づいた。人の流れも少なく、そんな景色をみると、たっぷり着込んで歩いているのに、なんだか淋しい気持ちになった。輪郭がはっきりした景色をみると何故淋しい気持ちになるのだろうか。

くっきりする温度感

私が見た淋しい景色について考えるには、まず何故景色の輪郭がはっきりしていたのかということについて考えなければならない。おそらく景色が鋭さを持ってくっきり見えたのは、そのときの温度のせいだと思う。私が散歩したのは12月中旬の夜11時頃、気温は10℃を下回り、明らかに冬を感じさせる空気だった。空気は冷えるほどに水蒸気を含めなくなり、それによって大気の透過率は高くなる。星空や遠くに見える山並み、街並みの光がその影響でクリアに見えたのかもしれない。
また、葉を落とした木の枝の鋭さも影響したのかもしれない。丸みを帯びて鬱蒼とした夏の緑とは違った、刺さるような刺々しさがより一層景色をはっきりとみせたのだと思う。
そして、その二つの要因によって、相当着込んで外に出たにも関わらず、目で寒さを感じたことを覚えている。遠くに走る電車の音をベッドで聴いたときに「今日は寒いな」と聴覚で感じるように、視覚でもその日の張り詰めた温度を感じたのだ。

淋しい温度感

景色の輪郭の問題は総じて寒さによるものとわかったが、では何故それが淋しいのか。

おそらくそれは人間の性じゃないかと思う。人間は哺乳類であり、恒温動物だ。冬は外気との温度差が普段以上に開き、生物としての活動を鈍らせる。我々にとって寒さは生命を脅かす敵なのだ。

誰かと一緒にいることは、暖をとり寒さから身を守ることに繋がる。寒いという状況が心を淋しくさせるのは、そんなところが原因なのではないかと思う。一人で街を歩いていたから、なおさらそう感じたのかもしれない。


まとめてみるとなんてことはない。寒いことはくっきりしていて、寒いことは淋しくするということだ。なんとなく生物としての本能を感じた、良い夜だった。


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