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ドラマのはなし Vol.3 星野源的「ばらばら」世界観で観る「大豆田とわ子と三人の元夫」


「SUN」のヒットを皮切りに、「恋」や「不思議」など数々のヒット曲を生み出している星野源。今や日本を代表するようなアーティストに成長した彼のソロデビューアルバムをご存じだろうか。その名も「ばかのうた」。このアルバムには「くせのうた」や「くだらないの中に」など、今でもファンから愛される名曲の数々が収録されている。その中から今回注目したいのは、「ばらばら」という曲である。 
今回は、「ばらばら」の解釈と、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」とのつながりを見ていこう。

ばらばら分析

「ばらばら」は、「ばかのうた」の一曲目として収録されている曲である。星野源のソロプロジェクトのスタートとも呼べる曲で、当時SAKEROCKのファンだった方やデビュー当時に星野源を見つけた方は、初めて聴いた星野源の曲がこの曲だったという方も多いのではないか。この曲は短いイントロから始まり、いきなり「世界はひとつじゃない ああそのままばらばらのまま」のという歌詞から歌に入る。そして「世界はひとつになれない そのままどこかへ行こう」と続く。初めて聞いたときは、なんて悲観的なフレーズなんだと衝撃を受けたが、その解釈は歌を追っていくうちに変化していく。

音楽理論は全く詳しくないので、詳しい言葉はわからないが「世界は〜どこかへ行こう」までのメロディをAパターンとすると、それに続くBパターンでは「気が合うと見せかけて 重なり合っているだけ 本物はあなた私は偽物」と歌う。共感は持ち合わせたものの重なり合いでパズルのピースのようにぴったり合っている訳ではなく、そんなあなたが本物で私が偽物であるとしている。

そしてまたAパターンのメロディに戻り、「世界はひとつじゃない ああもとよりばらばらのまま 世界は一つになれない そのままどこかへ行こう」となる。

今度はBパターンが二回繰り返される。一度目は「飯を食い糞をして 綺麗事も言うよ 僕の中の世界 あなたの世界」となる。普遍的な営みは似通っているが、あくまで僕の世界とあなたの世界だと言うことが読み取れる。
二度目は「あの世界とこの世界 重なり合ったところに たったひとつのことが あるんだ」となる。あの世界とこの世界は僕の世界とあなたの世界を指していると解釈することができる。また、誰かと誰かの重なり合いとも読み取れる。その重なりが私にとってのたった一つの世界であり社会なのだと捉えているようにもとれる。

そしてまたAパターン「世界はひとつじゃない ああそのまま重なり合って ぼくらは一つになれない そのままどこかへ行こう」となる。どんな突飛なことも普遍的なことも「私」であり、重なり合うことはあるが一緒じゃない。それでもそのままばらばらのままでいこうというメッセージが込められている。

この「私」の捉え方はその後の星野源の作品にも受け継がれており、直近だと「うちで踊ろう」の紅白バージョンの詞の「生きて踊ろう 僕らずっとひとりだと諦め進もう ひとり歌おう悲しみの向こう 全ての歌で手を繋ごう」にも表れている。

「私」は「私」、「あなた」は「あなた」。一緒にはなれないけれど、重なり合ったり手を繋いだりしながら生きていくというこの思想は、現代のジェンダーをはじめとした「分類」や「所属」に関する諸問題について考える上でとても重要な思想だと思う。

大豆田とわ子はばらばら

そんな星野源の「ばらばら」のような思想を感じさせるようなドラマがある。それが「大豆田とわ子と三人の元夫」だ。一見全く関係なさそうな二つだが、「大豆田とわ子と三人の元夫」は、「ばらばら」なドラマである。

「大豆田とわ子と三人の元夫」は、2021年放送のカンテレ制作の坂本裕二脚本の作品である。主題歌でSTUTSをはじめとした新進気鋭のヒップホップミュージシャンとコラボしたり、長岡亮介が俳優として登場したことでも話題を集めたが、放送当時からその作品の面白さで注目を集めた。

個人的にはこの作品は「肩書きから脱却する物語」だと思っている。その理由を二つの脱却を軸に追っていきたと思う。

結婚と社長からの脱却

主人公である大豆田とわ子は建築会社の社長で一児の母、そして何より “バツ3”である。世間的に見たら人間関係にだらしなく、わがままで自由気ままな印象だが、実際はそんなことはない。ラジオ体操が周りと合わなかったり、ジャージのままお洒落なパン屋さんに入ったりと、無神経なところは否めないが、任された会社の為に信念をもって働くし、ひょんなことから会うようになった三人の元夫との過去やその関係性をみても、どれも日常に潜むワンシーンのような出来事ばかりで、とても”バツ3”とは思えないいたって「普通」の暮らしぶりだ。

そんなとわ子は、ある考えにとらわれている。それは「網戸は結婚する誰かに直してもらうもの」だということだ。一人でも何不自由ないけれど、網戸を直したり、消し忘れた電気を消してくれたり、そんな小さなことの為に結婚をしたいと考えている。母の四十九日に際して必要になったパソコンのパスワードのために三人の元夫と会うようになるが、とわ子は1話で元夫三人を前にして「網戸外れるたびに思います。4回目の結婚あるたびに思います。だけどそれはあなたたちではありません。これから出会う誰かに網戸なおしてもらいますから。」と言い放つ。この台詞からも、復縁への拒否感とともに、網戸への執着が感じられる。

そんなとわ子は6話で「小鳥遊」という男と出会う。数学が好きだという共通点をもつ彼と、バスの中で数奇的な出会いをし、恋愛に発展しそうな気配を見せるが、後日それがとわ子の会社を乗っ取ろうとする会社の社長だということがわかる。しかもその「小鳥遊」という男、プライベートと仕事が分断されており、プライベートでは心優しい紳士なのだが、職場ではプライベートでみせるような優しい顔は一切見せることなく、鬼の形相でとわ子に迫る。そんな「小鳥遊」と接していくうちに、小鳥遊が社長から政略結婚を仕組まれていること、小鳥遊の仕事への原動力が、介護しきりの母親の介護を終え、呆然と過ごす小鳥遊を拾ってくれた社長への恩義(ごちそうしてくれたカレー)であったことに気づく。とわ子は、他人から見ればほんの些細な気遣いへの恩返しの為に人生を決めようとしている小鳥遊を説得するために一杯のカレーをごちそうし、小鳥遊と話をするが、その過程で、自身が社長を向いていないと思いながらも続けているのは親友であった綿来かごめの言葉がきっかけだったことに小鳥遊から気づかされる。

この食事をきっかけに、とわ子は社長を辞め、小鳥遊はお見合いの話を断る。そして二人は結婚に向けて歩みを進めることとなる。

しかし、中村慎森の言葉で自身の気持ちに気づき、小鳥遊と別れを告げ、田中のもとに向かい「あなたを選んで、一人で生きることにした」と告げる。とわ子は再び名字を重ねることはなく、「大豆田」として生きていくことを決意する。それは、今までの夫の「田中」「佐藤」「中村」という普遍的な名字からの脱却であり、とわ子にとっての凝り固まった結婚観からの脱却でもある。その後とわ子は、お父さんが過去の話をしながらとわ子の家の網戸を直す姿を目撃し、網戸を自分で直せるようになる。(そのときの父の離婚した母親との思い出話によって、とわ子の父へのイメージも変化している。)

この二つの脱却において注目したいのが、両方とも思い込みイメージがとわ子を縛り付けていたということである。

自身を縛り付ける「結婚」や「社長」という肩書きからの脱却によって、とわ子はとわ子として生きていく。それは世間のイメージからの脱却であり、分類されない「大豆田とわ子」になるということでもある。何かの概念に囚われて「ひとつ」になるのではなく、「ひとり」として生きていくその様子はまさに「ばらばら」的である。

世界はひとつじゃない

そんな「ばらばら」的思想は、脇を固めるキャラクターにも現れている。それを代表するのが、とわ子の母である「つき子」だ。

彼女は、國村真という女性に対して恋心を寄せていた。しかし、同性愛をはじめとした恋愛に対する概念が定着していなかった時代であったため、彼女を諦め旺介と結婚しとわ子を授かる。しかしその想いは冷めることはなかったことが、とわ子が持っていた、つき子が投函しなかった一通の手紙からわかった。真のことを男だと思い込んでいたとわ子とその娘の唄は、唄が自分を殺して誰かのために生きることが幸せかどうか(唄は自分が医者になることを諦めて、彼氏が医者になるために尽くそうと思っていた。)を確かめに真のもとを訪れる。そこで真が女であることを知ると、様々な質問を彼女にぶつける。


落ちてくるパスタ

そんな「イメージ」や「思い込み」は、細かいところにも現れている。その一つが棚からパスタが落ちてくるシーンである。1話で2回(一度目はとわ子、二度目はかごめ)、9話で一回(慎森)パスタが落ちるシーンがある。とわ子は初回でパスタを落としているにも関わらず、そのパスタの位置を変えない。とわ子にとっては、「パスタは上の棚のあそこ」と決まっているのだ。そんな決め事は「網戸を直してもらうために結婚したい」や「かごめの為に社長を頑張る」といったようなことと同じ「イメージ」や「思い込み」だ。もっと言えば、「女のバツ3は不幸」とか、「私は〇〇に向いている」といったものとも同じだ。そういった決め付けることの生きにくさは、時々パスタのように災難となって降りかかってくる。そして、そんな災難は、拾うことに苦労した心労はそのままに、棚という振り出しに戻る。私はパスタが落ちるたびに、場所を変えればいいのにと思ったが、案外思い込みは、その人自身では気づかないのである。

思い込みのパスタを被った2人もなかなか興味深い。1人目はかごめで2人目は慎森である。この2人の共通点はなかなか見出せないが、唯一私が見つけたのは「キッチンに立っている人」ということだ。パスタを被ってるのだから当たり前といったら当たり前だが、キッチンという場所はある意味をもつ。それは、誰かのために何かを作ってあげようと思う人が立つ場所だということだ。「食」という生活に必要不可欠な要素に大きく関わる行為であり、ある一定の信頼と思いやりがないと入れない場所である。

かごめは古くからの特別な関係性で、キッチンにいることに納得ができる。しかし、慎森はどうか。他の三人と比較しても、特段に抜けているわけではない。そんな慎森が何故キッチンに立ちパスタを被ったのだろうか。そのヒントは、その前の彼の行動に隠されているように思える。

もともと「〇〇っていります?」が口癖だった慎森。そんな彼がこのパスタのシーンの前に持ってきたのが「死んだ魚のお寿司」である。登場して間もない頃「お土産っていります?」と言っていた彼がお土産を持ってきたことに、放送当時は感心してしまった覚えがある。そんな彼がお土産と同じように批判していたのが「雑談」だ。作中では何度も何度も登場する「雑談」。無駄だけどまるでボクシングのジャブみたいに、相手との距離感をはかるのに欠かせない「雑談」。1話でもシャツが乾いたか乾いてないかの「雑談」が2人の距離感をはかっていたシーンをはじめとして、この作品では雑談が意図的に描かれている。
要らないっちゃ要らないけどあったら嬉しいお土産も、時間の無駄っちゃ無駄だけどしてたら楽しい雑談も、本音というストレートを打ち込むための大事な大事なジャブとして機能している。

慎森は、このドラマを通じてジャブを打てるようになった人物だと考えることができる。そんな慎森は、とわ子のために料理を作ろうという思いやりも持てるし、そのあととわ子を言葉によって変えることもできるのである。ばらばらな他人のわからなさは、この雑談やお土産といったジャブによって段々と解けていく。このドラマでは、ばらばらと言いながら意固地な自分を引っ張って変えてくれる他人がいることも示されているように思う。

つき子とかごめ

ところで、この作品の感想をSNSで追っていると、批判的なコメントもたまに見かける。その一つがつき子とかごめが亡くなってしまっていることに対してのものだ。つき子はレズビアン、かごめはアセクシャルであるような描写があり、その二人が亡くなることで、性的マイノリティーをもった人物が物語から追放されている印象を受けるという批判をちらほら見かけた。

確かに、物語で亡くなるのはその二人だけであり、その事実だけを受け取れば物語から追放されているように見える。しかし、物語全体のメッセージを考えれば、私はそのような受け取り方は出来なかった。

つき子が同性である國村真を好きだったことも、かごめがなかなか恋愛が出来なかった事も事実である。しかし、それはレズビアンでありアセクシャルであるのだろうか。

この物語は「肩書きを脱する物語」である。そもそも、レズビアンやアセクシャルという括りにしてしまうこと自体、肩書きに囚われているということにならないだろうか。性別や特徴でがんじがらめにするのではなく、その人をその人として受け入れてきたのがこの物語なのではないのか。

「家族を愛していたのも事実。自由になれたらって思ってたのも事実。矛盾してる。でも誰だって心に穴を持って生まれてきてさ、それを埋めるためにジタバタして生きてるんだもん。愛を守りたい。恋に溺れたい。1人の中にいくつもあって、どれも嘘じゃない。どれもつき子。」

これは、最終回で真が残した台詞である。矛盾した感情が自分の中にうごめくように、私という存在は様々な要素のグラデーションで出来ている。かなり似通った理由で違うものを好きになるような、それぞれが全く違う理由で同じ人を好きになるような、全く違うグラデーションで出来上がっていく個人が手を繋いで暮らしていくような、そんな世界感がこの物語ではあるように思える。

これからの世界の見方

今の世の中はなにかと「所属」が問題になる。○○好きとか○○嫌いとか、○○派とか○○な性格とか、何かに当てはめて自分をつくっていこうとする。もちろんそれは誰かと共感しあったり、自分のことを知ってもらったりする為には必要である。しかし、それに囚われてしまってはいけないのではないか。私の「好き」は誰かの「好き」とは絶対に違うし、相手のことを全部わかり合うことはできない。それぞれはそれぞれの価値観の中で生きていくしかない。そんな「世界はひとつじゃない」ばらばらな世界のなかで、ちょっとした雑談でもしながら、影響を与え影響を受けながら誰かと一緒に生きていく。これからはそんな世界のとらえ方が今の世の中には必要であるとこのドラマは教えてくれているようだ。

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