当時の日記からふりかえる東日本大震災
3月11日ですね。
2011年当時、わたしは中学1年生でした。
住んでいた場所は大打撃を受けた場所ではないし、身内に亡くなった人がいるわけでもないし、震災前後で住む場所も変わっていないのですが、クラスメイトの中にはそうではない子もいたので、やっぱり、忘れられないできごととして、自分の中に残っている。
ただ、6強ということと、「めっちゃ揺れたなあ」「怖かったな~」っていうふわっとした感情しか思い出せないもので。具体的なことはさっぱり。
そんな時、数カ月前に、およそ10年ぶりに当時書いていた日記を読み返したら、殆ど震災には触れていないのだけれど、少しだけ震災のこと書いてあって。
これも一種の「記憶を風化させないための行為」ということで、ここで抜粋してみた。有益なことなど何も書いていないし、「被災日記」ではなく、「ただ学校がなくてつまらなかった人の日記」ですが。
2011年3月13日 11日に起きたことは何?とりあえず余震がすごい
2011年3月15日 断水と休校の連絡
断水は結局4月末くらいまで続きます。ああ、思い出してきた。この頃東北大震災から、東日本大震災に名前が変わったなあとか、津波、衝撃だったなとか。
2011年3月16日 授業どうするの!?
2011年3月19日 暇日記
ACのCMばかり流れて、本当につまらなかったなあ
2011年3月24日 震災ぶりの登校
登校して、通信簿と、それから授業ができていない範囲の宿題をたっぷりもらったらしい。
2011年3月31日 久しぶりの外出
自分の家の周りのお店が軒並みやっていなかったので、いとこの家に行き遊んだようです。
2011年4月20日 断水の影響で給食が変
20日、学校にようやく行った。でも、給食、アルフォートだけだったらしい。
と、こんな感じ。
給食がちゃんとしていなかったこととか、全く覚えていなかった。アルフォートだけで、どうやって乗り切ってたんだろう。家から持って行ってもよかったのかなあ?
4月末には断水も終わって、給食も多分徐々に通常メニューになって、日常に戻っていったのだと思います。日記は残っていないけど、多分。
日記に書いていないけれどすごく覚えているのは、やっと部活動が始まった5月頃、部活の顧問が「久しぶり~!みんな部活なくて音楽やってなくてつまらなかったでしょ~!やっぱ音楽って、生活に必要なのよ♡」と言っていたこと。
その年は、「あすという日が」とか、「花は咲く」とか、復興関連の色々を演奏したな。
よろしければ…