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水曜日と本(窓ぎわのトットちゃん)

黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を読むと、小学校 2 年生の時の水曜日を思い出して、懐かしい気持ちになる。

毎週水曜日の放課後が好きだった。なぜなら、ピアノ教室と図書館に通える日だったからだ。

母の車でピアノのレッスンへ行き、帰りに図書館へ寄ってもらい本を借りる。そんな水曜日が大好きだった。

『窓ぎわのトットちゃん』も、ある水曜日の放課後に、図書館から手に取って読み始めた本の中の1 つだ。

この本は、女優、黒柳徹子さんが小学校時代を過ごした「トモエ学園」での生活を描いたものであり、タイトルの「トットちゃん」とは黒柳徹子さん本人のことである。本の 語り手が「トットちゃん」であるので、当時は「トットちゃん」というキャラクターがいると思って読んでいた。

トットちゃんの通う学校は、給食ではなくお弁当だから、好きなものを食べることができるし、私の大好きな音楽の時間が毎日あるし、楽しそうだなあ、いいなあと思っていた。

ところでその頃、私の通っていた小学校では、水曜日の昼休みにランニングタイムというものがあった。生徒全員でグラウンドを走り、走った周の分だけ先生からスタンプがもらえるというものだった。

運動が苦手な私は、 友達よりスタンプの数が少ないことをとても気にしていて、この時間が嫌で嫌で仕方がなかった。普段、週に3回も苦手な体育の授業を頑張っているのに、それに加えて昼休みまで苦手なことをしなくてはならない水曜日。

私は、水曜日の学校に行きたくなくて、火曜日にはもう憂鬱な気持ちになっていた。放課後は待ち遠しいくらい楽しみだったのだが......。

「君は、本当は、いい子なんだよ」

本の中に、トットちゃんの学校の校長先生が、トットちゃんにかけたこのような言葉がある。トットちゃんは天真爛漫で、結構悪さもするのだけれど、校長先生は決まってこう言うのであった。

そしてこの言葉を、黒柳徹子さん自身は本の中で「いい子じゃないと、君は、人に
、思われているところが、いろいろあるけれど、君の本当の性格は、悪くなくて、いいところがあって、校長先生には、それが、よくわかっているんだよ」ということだ ったのではないかと解釈している。

私は当時、先生や周りの大人に褒められている人は「いい子」、褒められていない人は「わるい子」と思っていた。だからこの場面を読んで、「トットちゃんは、 叱られていてもいい子って言われるのか!」と思ってび っくりしたし、羨ましいなと思った。

でもその後、だったら、スタンプが少ない私も、たった 15 分のランニングタイムでくよくよ悩む私も、先生は褒めてはくれないけれど、別にわるい子じゃないのだから、それでいいじゃないかと思ったのだ。

褒められても褒められなくてもいい子、怒られても泣いてもいい子。

全部いい子なら、 そのままでいいんだなと思えた。すっかり自分がトモエ学園の生徒で、校長先生から言葉をかけてもらった気になって、それからは、水曜日の学校に対する嫌な気持ちも徐々に無くなり、心から待ち遠しい水曜日に変わったのである。

運動ができない私。くよくよ悩む私。どちらもただの性質、性格だけれど、あの時「いい」か「わるい」かの 世界で生きていた私は、きっと水曜日の学校で「わるい子」と思われているのではないかと不安になっていたんだと思う。

大学生である今は、授業もアルバイトも、ある程度好きなようにスケジュールを組むことができる。体育の授業ももうない。

水曜日も他の曜日もそんなに違いはなく て、ほぼ変わらない気持ちで毎日を過ごしている。

しかし今も『窓ぎわのトットちゃん』を読むと、特別だった 「水曜日」に対する繊細な気持ちが蘇る。そんな思い出の本である。


大学の授業で書いたエッセイです。

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