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努力の過程を楽しむという生き方

マイルールその1:努力の過程を楽しむ

今日から、少しずつマイルール50個について書きたい。読みたいからはやく書きなさいとLINEをくれたお友達、ありがとう。

マイルールを書き出してみた時に、まず1つめに思い浮かんだのは、「努力の過程を楽しむ」。

努力のモチベが、努力する過程自体に掻き立てられるのか、それとも得られるであろう結果を想像して掻き立てられるものなのか。みなさんはどっち派ですか。

わたしは前者!

頑張り屋さんだね、努力家だね、なんでも頑張るね・・・と、幼稚園の頃から社会人の今に至るまで、関わってきた色々な人に言われるので、多分、わたしは努力家なんだと思う。

これは別に褒められるべきことではなく、ただの性質なのでなんでもないし(最初からなんでもできる天才型だっているだろうし)、単純に、「目標や目的を設定して前向きに考えてみる行為」「努力という行為そのもの」が好きなんだと思います。

頑張りたいなと思ったことについて、いったん試行錯誤しながら頑張ってみる。計画を立てて、こうやってみたら良いかなとか、これは自分に合っていないなとか、こうしたら習慣化できるなとか、こうしたら達成できそうだとか。

そういった過程自体がとても楽しい。そして、そう思えることは、とても幸せだなあと思っている。言い換えれば、辛いと思ったら絶対に楽しいやり方に軌道修正したいし、辛いと感じる努力はしなくて良いとさえ思う。だって疲れるし。

なんだろうな、人生観が「運命論」に近いのかも。だって、追い求めていた場所と少し違くても、追い求めていた場所に来ても、結果全部楽しいんだよね。だから、じゃあ「求める結果」にこだわるよりもその過程を楽しんだほうがいいなあって。
※仕事はそういうわけにはいかない

それから、数字で測れるものはまだしも、そうじゃないものってたくさんあって、「求める結果」って果たしてなんなのか、はっきりとわからないというのもある。求める結果が得られなかった時を想像しても、全部「だから何なのだろう?それもそれで楽しいだろうな」となってしまう。

学生時代は色々頑張ることが多くて、辛い努力と楽しい努力の取捨選択も、辛い努力の軌道修正もうまくできなかった気がするけど、大人になった今、わたしが頑張ってるな!と思うことは、全部楽しい。

(恥ずかしいな)(もうこのnote全部恥ずかしいから、いいよね)

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読んでくれてありがとう。今日も1日お疲れさまでした。

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