結局のところ、日本とアメリカを結び付けたのは、第二次世界大戦に他ならなかった。
終戦後の数か月間は、どちらの国も相手の姿勢に驚かされた。アメリカは寛大な戦勝国となり、極めて理性的で考え抜かれた講和条件を提示した。それは、日本の過去の背信行為を罰するのではなく、日本が封建社会から近代工業国への脱皮するのを助けるものだった。一方、日本側の態度も、アメリカにとっては意外なものだった。日本人は狂信的ではなく、講和にも抵抗せず、戦勝国であるアメリカに学ぼうとする姿勢を示したからである。
<中略>
憲法の規定によって日本は新の軍隊を持っておらず、また大都市に人口が集中しているため、核兵器による攻撃に特に弱い。こうした状況の下で、日本人は驚くほどのエネルギーを経済に注ぎ込んだ。
アメリカとソ連が冷戦のためにその国力を浪費しているあいだ、日本は冷戦の現場から身を引いて、その尽きせぬエネルギーを消費財の生産に向けることができた。真珠湾から五十年が過ぎたいま、誰かがアメリカと日本の両方を訪れたとしたら、どちらが戦勝国でどちらが敗戦国なのか、平和を享受して国力を伸張させたのがどちらなのか、判断に迷うだろう。あるとき、カルフォルニア大学サンディエゴ校の優れた日本研究者チャールマーズ・ジョンソンが冗談半分で言った。
「冷戦は終わった。日本が勝ったのだ」