プロ野球2020年シーズン開幕を前に振り返る、あの選手、名場面①東京ヤクルトスワローズ 村上宗隆


 2020年のプロ野球のシーズン開幕が近づいてきた。予定より遅れること3か月、プロ野球ファンは、新型コロナウイルスの感染拡大を懸念しながら、そのときを待っていた。もちろん、6月19日の開幕からすぐに球場に足を運ぶことはできない。かつてのような日常はもう戻らないだろうという人もいる。しかし、ファンは信じて待つだろう。あの熱狂を取り戻せる日が再び来るなら。私もこれまで幾度も、そんな熱狂に身を置いてきた。私が目撃したその熱狂のいくつかを、これから振り返るとしよう。

 2018年の秋、そのとき、私は神宮球場の三塁側内野席にいた。にぎやかなカープファンたちに囲まれながら、自らのiPhone Xのカメラをバッターボックスに向かう彼にこっそり向けた。場内アナウンスで「6番・サード、村上宗隆、背番号55」の名前がコールされた。18歳ながらすでに風格のある肉体を纏ったルーキーが、左打席に入った。カープファンである私も、このスワローズのルーキーの打席をビデオに収めようとした。なぜなら、それがどんな結果になろうとも、彼の一度しかない、プロ野球の世界に入って初めての打席だと知っていたから。
 熊本県出身の村上は、地元・九州学院高校に進み、1年生から注目されるスラッガーだった。1年生の夏にいきなり甲子園への切符を手にし、4番を務めるが、無安打で初戦敗退。3年生最後の夏、甲子園行きを逃すと、村上の3年間はその1度の甲子園出場だけで終わったが、高校通算52本塁打という記録が残った。その夏、2017年の第99回大会は、準優勝・広陵高校(広島)の捕手・中村奨成が高校野球ファンの耳目をさらった。中村は、あの清原和博を超える6本のホームランを放ち、大会新記録。そして、その年のドラフト会議の主役は、早稲田実業高校の清宮幸太郎だった。清宮が高校時代に放った本塁打は史上最多となる111本。8球団競合の末、日本ハムが清宮の指名権を獲得した。清宮の争奪に敗れたスワローズ、ジャイアンツ、楽天の3球団が外れ1位として、村上を指名した。今度はスワローズが村上を射止めた。
 村上はプロ入りして迎えた2018年のシーズン、二軍でさっそく頭角を現した。96試合で打率2割8分9厘、17本塁打、70打点、16盗塁。一軍のチームは好調で9月に入っても2位につけ、クライマックスシリーズ出場を射程圏内に収めると、村上に一軍昇格、即スタメン起用のチャンスが廻ってきた。
 2018年9月16日、日曜日、ヤクルトスワローズ対広島カープのナイトゲーム。試合開始直後の1回裏のスワローズの守備で、サードの守備位置についた村上に、いきなりプロの洗礼が襲った。カープの先頭打者の野間の打球が村上の前に飛んだ。村上はそれを掴んでファーストへ。だが、結果は悪送球だった。この村上の送球エラーをきっかけに、スワローズ先発の高橋奎二はいきなり4点を失った。村上の高校までの守備位置は一塁手と捕手。しかし、プロ入りしてその打撃を活かすために、三塁手へコンバートされた。一軍初出場の試合で、まだ慣れない神宮球場、慣れない守備位置。ルーキーの動きを硬くするには十分だった。だが、このエラーは、野球の神様のちょっとした演出だったのかもしれない。
 その日、セ・リーグ3連覇に向け首位を走るカープの先発マウンドには、右腕の岡田明丈がいた。前年、12勝を挙げた投手である。岡田は味方から早々に4点のリードをもらった2回裏、ワンアウトで一塁に走者を置いて、村上を打席に迎えた。岡田の初球は、外角高めへのストレート。村上のバットは始動しかけて止まり、すぐに手首は元の位置に戻った。どこか、はやる気持ちを抑えるかのように。2球目は内角に食い込むスライダーでボール。村上はこれを余裕を持って見逃した。そして、3球目、ストレートを村上は初めてスイングした。フルスイング。バットにボールが当たった後、身体のバランスを崩すほどのフルスイングだった。しかし、バックネットにファウル。そのスイングの圧に、私の周囲にいたカープファンもどよめいた。4球目のストレート、村上はまたフルスイング。今度も打球はバックネットに飛んだ。その瞬間、村上の口から何か声が漏れ、表情を崩し、顔をしかめたようだった。ミスショットだった。しかし、さっきと違って、態勢は崩れなかった。ボールカウント2-2。岡田が投じた5球目を、村上はまたフルスイング。今度は内角へのボールにうまく反応してしっかりと捕らえた。あまり落差のないフォークボールだった。打球はスワローズファンが埋め尽くすライトスタンド中段に一直線にたどり着くまでたいして時間を要さなかった。カープのライトを守る鈴木誠也はその場で、自らの頭上を越える打球を目で追うだけだった。まさに弾丸ライナー。村上は一塁ベースを周る前に、自らの打球を目で追いながら確信したかのように静かに、右手をL字のような形にして、人差し指を高々と掲げた。それは無意識だったにちがいない。その後は、淡々と、やや速足でダイヤモンドを一周した。その間、私の周囲のカープファンは「おー」と口々に言った後、打球の行方を見て静まり返り、そして、一拍置いて、敵ながらその鮮烈な一打に感嘆していたようだった。打たれた岡田はマウンドで、ホームベース側にいるキャッチャーの會澤翼のほうを向いて、その時が過ぎ去るのを待つしかなかった。私はその一部始終を動画に収めた。まさに僥倖だった。高卒新人がプロ初打席でホームランを放ったのは、長いプロ野球の歴史の中で、村上が7人目である。その場に居合わせた神宮球場の観客3万人は敵、味方関係なく、その歴史の証人となった。
 この日は、シーズン最後となる神宮でのカープ戦で、日曜日のナイターだった。村上がライトスタンドにライナーを叩き込んだその時刻はまだ19時を廻る前で、もし、これが平日のナイターだったら、試合序盤に間に合わず、村上のプロ初打席を見逃した観客は多かったかもしれない。スワローズファンなら悔やんでも悔やみきれない。試合は村上のエラーで始まりカープが挙げた4点に対し、スワローズは村上が2ランホームランで2点を返しただけで、序盤のスコアのまま動かず、スワローズが2-4で敗れた。
 しかも、結局、この年、村上が一軍の公式戦で打ったホームランはこの一本だけ、いや、その後はシーズン終了まで快音どころか、ヒットの一本すら生まれなかった。14打席に立ち、12打数1安打、1本塁打、2打点、5三振、打率.083。これが、村上がルーキーとして残した打撃成績だ。しかし、この年、村上が放った、たった1本のホームランは、スワローズファンに強烈なインパクトを与え、「スワローズの未来の四番打者になる男」という期待を抱かせた一打となった。
そして翌年、2019年のシーズン、19歳になったばかりの村上はスワローズの開幕スタメンに名を連ねた。終わってみれば、36本塁打。日本のプロ野球史上、10代でシーズン30本塁打以上を打ったのは、「弾丸ライナー」が代名詞だった中西太(西鉄ライオンズ)と、あの清原和博しかいない。18歳のシーズンでは村上は、清原がマークした32本塁打には遠く及ばなかったが、中西太が19歳のシーズンでマークした36本塁打には肩を並べた。しかも、この年、チームの全143試合に、村上は1試合も休まず出場した。そして、そのうち、25試合でスタメン4番を務めた。村上の大ブレイクと反比例するかのように、チームは投壊し、前年の2位から最下位へと転落、指揮官の小川監督はシーズン終了後、ユニフォームを脱いだ。プロ2年目の村上はセ・リーグの新人王争いで、社会人出身のルーキー近本光司(阪神タイガース)を制して堂々、受賞した。長らく主砲を務めたウラディミール・バレンティン(現・福岡ソフトバンクホークス)がチームを去り、シーズン開幕が遅れた2020年、スワローズの開幕スタメンの4番の座には20歳の村上が座るだろう。
私はたまに、いまでも思い出したように、iPhoneのカメラロールを繰っては、このホームランの動画を観る。王貞治は左打席で生涯、868本のアーチを築いたが、同じ左打者の村上にもその未踏と思われる記録を更新するチャンスがいずれ訪れるかもしれない。その日が来るまで、私はスマートフォンを幾度、買い替えたとしても、この動画を消去することはないだろう。

#東京ヤクルトスワローズ #プロ野球選手


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