【2022年9月10日】広島カープ、チーム38年ぶりの「1イニング12得点」

広島カープが38年ぶりにチーム最多タイとなる「1イニング12得点」をマークした。


2022年9月10日、広島対ヤクルト戦、広島が3回に12得点

9月10日、神宮球場での対東京ヤクルトスワローズ戦、0-1で迎えた3回、カープは先頭の2番・野間峻祥から、チームの歴史に残る、怒涛の攻撃が始まった。

カープはスワローズ先発のサイスニードに対し、1回、2回と得点圏に走者を置くチャンスをつくるが無得点。
3回、先頭の2番・野間峻祥、3番・西川龍馬の連続ヒットで無死一、三塁のチャンスをつくると4番の松山竜平が勝ち越しとなるタイムリーをレフト前に運んで、2-1と勝ち越し。
続く、5番・坂倉将吾が四球を選ぶと、無死満塁。
6番の上本崇司が放った打球は三遊間に飛ぶと、ヤクルトのサード、村上宗隆が掴んでバックホーム。しかし、この送球が逸れて、カープはさらに1点追加、3-1。
ピッチャーのサイスニードが思わずしゃがみこんでしまう。
続く、小園海斗はレフトへの浅いフライでタッチアップできず、一死満塁。
會沢翼はカウント1-2から空振り三振で二死満塁。
ここで迎えるは9番投手の野村祐輔。
サイスニードはピンチを脱したかに見えたが、カウント2-2から投じた147キロの外角ストレートを野村に弾き返され、打球はライト前へ。
これが2点タイムリーとなって、カープは5-1とさらに引き離した。

これでサイスニードは気落ちしたか、この回、9人目の打者となる1番・堂林翔太に初球を狙われ、真ん中高めに入ったスライダーを神宮球場のレフトスタンド中段、カープファンがぎっしりと詰めかけた場所に打ち込む今季8号3ラン。
8-1と大きくリードを広げる。

こうなると、もはや、カープに傾いた流れを止めることはできない。
打者一巡して、この回、2度目の打席となった野間も2球目を引っ張ってライト前へ。
続く西川は流してレフト前へ。
ここでヤクルトベンチはついにサイスニードを諦め、左腕の山本大貴を投入。
しかし、松山もレフト前に運んで、この回、2本目のタイムリーで9-1。
続く坂倉も逆方向、レフトスタンドに運ぶ今季14号となる3ランホームラン。
トドメは、上本が山本が初球に投じた142キロのツーシームをフルスイングすると、打球はレフトへ。
上本がバットを高々と放り投げる間に打球はスタンドイン。
上本にとってプロ入り477打席目にして初のホームランが飛び出した。
小園はセカンドゴロに打ち取られると、カープの長い長い攻撃にピリオドが打たれた。

上本は今季のオープン戦、3月13日、マツダスタジアムでの北海道日本ハムファイターズ戦でサヨナラ3ランホームランを放っているが、レギュラーシーズンの公式戦では正真正銘の「プロ初ホームラン」となった。

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スワローズはサイスニードがこの回だけで54球を投じ、2回2/3で9失点ノックアウト。
ただし、村上宗隆のエラーの後に失った点はすべて自責点とはならず、自責点2で済んだのはせめてもの救いであった(スワローズ2番手の山本大貴は3失点、自責点3)。

スワローズは4回、カープ先発の野村を攻めてノックアウト、続く2番手の島内颯太郎も攻略し、一挙、6点を奪って反撃、12-7と追い上げた。
野村は自らのバットで2点タイムリー安打を放ち、大量リードの足掛かりをつくったものの、本職の登板では3回1/3、80球を投げ、被安打8、1四球、7失点と、今季3勝目を逃した。

試合はその後、6回に3点を追加したカープが20安打の猛攻で、15-7で逃げ切った。

NPBで「1イニング12得点以上」は19チーム目

NPBで「1イニング12得点以上」を挙げたのは延べ18チームあり、カープは延べ19チーム目となった。

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広島カープ、38年前の「1イニング12得点」もヤクルト4番打者のエラーが・・・

広島カープが「1イニング12得点」を記録したのはチーム史上2度目である。

1984年5月30日、広島市民球場で行われた、やはり対ヤクルトスワローズ戦。
古葉竹識監督率いる広島カープは1979年・1980年の2年連続の日本一以来、リーグ優勝からも遠ざかっていたが、このシーズン、開幕直後から12連勝をマークし、4月だけで貯金12と波に乗ってたが、5月に入り、一進一退が続いた。
一方、武上四郎監督率いるスワローズは開幕ダッシュに失敗、8連敗を喫したところで、武上監督が辞任した。さらに後を継いだ中西太監督代行も8連敗の後、健康問題もあり辞任。
「代行の代行」監督として投手コーチの土橋正幸が指揮を執っていた。

しかも、カープはスワローズに対して、開幕から1引分けを挟んで8連勝中で迎えた一戦であった。

試合はスワローズの4番・杉浦亨がカープ先発の山根和男から2号2ランホームランを放って先制。
カープの古葉竹識監督は、スワローズの先発、ベテラン右腕の井本隆に対して、山本浩二と衣笠祥雄以外、左打者をずらりと並べた。
一方、スワローズの土橋正幸監督代行はそれを見るや、初回で井本に代えて、左の大川章をマウンドに送ったのである
古葉監督も、先発の山根和夫がスワローズ打線一巡目で3失点していまいちと見ると、2回途中でリリーフ左腕の山本和男にスイッチ。
両軍とも序盤から総力戦の様相を見せた。

そして、カープが1-3と2点ビハインドで迎えた4回裏、カープ打線がスワローズ2番手の右腕・大川章に襲いかかった。

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カープは4回裏、先頭の長内孝がセンター前安打で出塁したが、続く高橋慶彦はセンターフライに倒れ、一死。
回は4回とまだ序盤だが、ここが勝負所と呼んだ古葉監督は、ここで8番・捕手の山中潔に代えて、同じ捕手で右打者の堀場秀孝を代打に送った。
これが見事に的中。
堀場はセンター前安打でつないだ。
さらに、9番の投手・山本和夫に右の代打・小川達明を送る。
小川は外野の守備固めでの出場が多かった。
小川が打った打球は一塁へ。
しかし、これがスワローズ一塁手・杉浦亨のエラーを誘い、一死満塁となった。
古葉監督はさらに、1番・左打者の長嶋清幸に代えて、ベテランの右打者、木下富雄を代打で起用。
すると、木下はセンター前にはじき返し、同点となる2点タイムリー安打を放った。
3-3。
続く2番の山崎隆造が四球を選び、再び一死満塁。
ここで、3番・小早川毅彦を迎えたが、古葉監督は2打席ノーヒット、左打者の小早川に代えて、代打に右のティム・アイルランドを送った。

今度は土橋監督代行が動く。
2番手の大川章に代えて、3番手に右腕の酒井圭一を送った。
すると、古葉監督も負けじと、代打の代打、左の西田真二という切り札を切った。
これがまた見事に的中。
西田はライト前に運び、二者が還って、カープは5-3と勝ち越しに成功した。

さらに4番の山本浩二がレフト前にタイムリー安打で6-3。
5番の衣笠祥雄はサードゴロに倒れて、二死となったが、打者一巡。
この回、2打席目の長内孝が2本目となるセンター前にタイムリー安打で7-3、さらに高橋慶彦もレフト前にタイムリー安打で8-3。

続く堀場にこの回、2度目の打席が廻る。
堀場は慶応義塾大学野球部出身、東京六大学野球リーグで歴代2位となる125安打、通算11本塁打を放った強打の捕手で、社会人のプリンスホテルを経て、プロ2年目のシーズンを迎えていた。
すると、堀場は酒井を捉え、広島市民球場のレフトスタンドに叩き込む、2号3ランホームランを放った。
ついに11-3。この回、10得点。
さらに、塁上から走者が消えた後、小川が死球の後、木下がレフトスタンドに2号2ランホームラン。
13-3。
ここで土橋監督代行は酒井を諦めて、鈴木正幸に交代したが、酒井は1死しかアウトが取れず、7失点。
この回、15人目の打者、山崎隆造がレフトフライを打ち上げ、レフトの若松勉のグラブに収まってようやく、カープの長い攻撃が終わった。

怒涛の1イニング12得点。
カープはこの回、長内、堀場、木下の3人が1イニング2安打、2得点を達成した。

当時、1イニング最多得点のNPB記録は1969年5月27日の阪神(対アトムズ戦)、1972年6月23日の巨人(対ヤクルト戦)が挙げた13得点だが、1イニング12得点以上を挙げたのはカープが10度目となった。

一方、「1イニング12失点」のヤクルトは、これがチーム通算3度目の「屈辱」となった。
このビッグイニングのきっかけをつくってしまったのは、「4番・ファースト」の杉浦亨のエラーであり、杉浦は先制ホームランのヒーローから一転、2打席で代打を出される憂き目にあった。


リリーフ投手の森厚三まで「プロ初打席・初ホームラン」で1試合21得点


さらにこの試合、カープは終盤、7回裏にスワローズ5番手、高卒2年目の荒木大輔を捉え、山本浩二が2点タイムリー安打を放ち、15-3。
8回裏には4番手としてマウンドに上がった森厚三がプロ初打席で、荒木から広島市民球場のバックスクリーンに叩き込む、プロ初ホームランを放つなど一挙、6点を挙げた。
カープは18安打の猛攻で、21-3でヤクルトに大勝した。

NPBで投手がプロ初打席でホームランを放つのは1950年5月11日、東急フライヤーズの塩瀬盛道以来で、森は34年ぶり2人目の快挙となった。

カープは球団が創設された1950年6月、旧・三次市営球場で行われた大洋ホエールズ戦で1試合22得点を挙げており、チーム最多得点にあと1と迫ったが、届かなかった。

1984年の広島カープ、古葉監督の執念の采配で、4年ぶりのリーグ優勝、日本一へ

まだシーズン序盤、古葉監督の「執念」の采配が引き寄せた1イニング12得点。
その甲斐あってか、カープは6月は再び11勝5敗と快進撃を見せ、6月終了時点で貯金18をつくった。
それでも、山内一弘監督率いる中日ドラゴンズとのデッドヒートとなり、カープは7月・8月は一時、首位を明け渡したが、結局、開幕から一度も負け越した月はなく、9月には首位に立ち、10月4日、4年ぶりにリーグ優勝を決めた。
カープは阪急ブレーブスとの日本シリーズも4勝3敗で制し、古葉監督は就任10年で3度目の日本一を達成し、地元・広島市民球場で胴上げをされた。
翌年1985年オフにカープ監督を勇退した古葉竹識にとってこれが最後となる日本一の美酒となった。


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