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「近代栄養学の父フォイトはロックフェラーの手先だった」の真相

【“食べ間違い”の元凶、フォイト栄養学の大罪】

●「2.5倍肉を食え!」狂気の栄養学

 いつから人類は、誤った食事の道を選んでしまったのでしょう?

 これら“食べ間違い”の最大原因は、近代栄養学にあります。そのルーツは、ドイツのフォイト栄養学にたどり着きます。ミュンヘン大学(生理学)に45年も君臨したV・フォイト博士。彼は成人1日当たり必要タンパク量は48グラムと知っていながら、2.5倍も膨らまして「118グラム摂れ!」とドイツ国民に命じたのです。

 フォイトの栄養学“理論”は、今からみると驚天動地の内容です。彼はこう公言しています。「もっともすぐれた栄養素は、タンパク質である。炭水化物は栄養価が乏しいので摂るべきでない」。さらに仰天は「タンパク質でもっともすぐれているのは動物タンパクの“肉”である。植物タンパクは劣等である」。つまり「肉こそ最高の栄養源である」と肉食を礼賛したのです。彼の唱えた「タンパク質を摂れ!」とは「肉を食え!」と同義だったのです。それも必要量の2.5倍も食え!とドイツ国民に勧告しました。

 彼は平然とこう言い放っています。

「良い物は、摂りすぎるということはない」。

 これが同栄養学の骨子です。

 呆れて天を仰ぎます。その“栄養学の父”は「過ぎたるは及ばざるがごとし」という警句すら無知だったのです。 船瀬俊介〈3日食べなきゃ、7割治る!〉より

✔️【真相〈正しいフォイト理論〉】

 「肉は1日120グラム食べよう」

 「炭水化物や植物タンパクは劣等であり、肉こそが最高の栄養源」

 ……これらの主張は糖質制限的にはまったくの正論であり、正しさを裏付けるデータもそろっています。

 船瀬俊介はフォイトの主張を徹底的に否定しているのですが、その根拠が〈チャイナ・スタディー〉やWHO勧告なので苦笑するしかありません……。

【フォイトはロックフェラーの手先だった!?】

 ところでフォイトは「近代栄養学の父」と呼ばれていますが、その冠を授けたのは船瀬俊介によると、カバールの一角をなすロックフェラー一族なのだそうです。

 なぜそう言えるのか、〈3日食べなきゃ、7割治る!〉には根拠は書かれていないのですが、〈ロックフェラーに学ぶ悪の不老長寿〉という本の中に船瀬俊介は次のようなことを書いています。

 これからは私の推論ですが、おそらく彼はドイツ国内だけでなく、欧州全体の食肉産業と深く結びついていたはずです。当時、ドイツ最高レベルのミュンヘン大学教授の地位に45年間も君臨し、“栄養学の父”と絶対視されていた。さらにドイツ政府の信任を得て、同国の栄養指導は、すべて彼の掌中にあった。そしてドイツ栄養学イコール欧州栄養学であり、それは近代世界の栄養学でもあったのです。

 食品業界がこの栄養学の首領(ドン)と“緊密な”つながりを求めるのも当然です。

 とくに食肉業界の背景には穀物業界が存在し、その背後には石油業界が控えています。

 つまり食肉利権は、穀物利権であり、石油利権そのものです。

 石油利権といえば、石油ロックフェラーです。

 生理学者であったフォイトには、このような利権構図は頭にあったは不明です。

 しかし、食肉産業との癒着は間違いなく存在した……と確信します。そうでなければ、必要量の2.5倍近くも「肉を食え!」とドイツ国民に命じることは不自然です。

【フォイトがドイツ国民に肉をすすめた理由】

 なんとも苦しい推論ですが、こもれび診療所というサイトにちょっと違う視点からの情報が載っていたので、少し長くなりますが引用します。

 私たちの国に「栄養学」という学問が入ってきたのは、今から100年以上前の明治時代初期です。300年以上続いた江戸から、明治という時代の変化において、時の政府は、「富国強兵」を旗印に、西洋諸国から知識を吸収することに全力を注ぎました。その際、非常に大きな役割を果たした国がドイツです。ドイツからは政治、経済、法律、科学など様々な文化を取り入れました。特にドイツ医療の貢献は大きく、近代日本医学の基礎を作り出しています。

 現在の栄養学の礎もまた「ドイツ」です。では、ドイツの栄養学とはいかなるものだったのでしょうか。簡単に言えば、「カロリーと栄養素を中心にして考える学問」です。その基礎を作ったのがドイツミュンヘン大学栄養学者、カール・フォン・フォイト。彼は、健康そうなドイツ人の食生活調査を調査し、当時の平均体重64kgの健康ドイツ人は一日当たりタンパク質118g、脂肪56g、糖質500g、およそ3000kcalを摂っていることに目をつけ、その量こそが健康になるための必要量であると提唱し、これをドイツ栄養学の基本としました。そして、この学問を取り入れた明治の日本は、当時の日本人の体重52kgから比例配分して「タンパク質96g、脂肪45g、糖質415g、2450kcal」を日本人の栄養所要量と定めたのです。これは当時の日本人の食生活「タンパク質56g、脂肪6g、糖質394g、1850kcal」を大幅に超えるものでした。

 でも、なぜドイツはこのような高たんぱく、高カロリーの食事になったのでしょうか。それを「地理」という視点から考えてみましょう。

 ドイツの首都ベルリンは、北ヨーロッパの北緯52度に位置します。これは北緯45度、日本列島最北端北海道の稚内より北にあたります。(ちなみに日本国の最北端は北方領土択捉島であす。お間違いのないように)つまり、ドイツは北海道よりさらに緯度が高い、非常に寒冷な土地であるということです。となると、当然土地は痩せ、穀物、野菜などを作ることが困難な環境だと推測できる。さらに寒冷のドイツでは、体温を維持するために、高カロリー、高脂肪の食事が求められます。そのため、寒冷地ドイツでは生きていくために「酪農、放牧」が中心にならざるを得ず、その結果、肉、牛乳、チーズ、バターが主食となる「北緯50度の栄養学」が誕生したのです。つまり、ドイツ人の基本的な食事、少しのパン、野菜に、大量の肉、牛乳というのはそもそも「栄養学」から考え出された食事ではなく、地理的条件が作り出した「風土」としての食事の結果であり、それに無理やり理屈をくっつけたものなのです。逆に日本は、前述のとおり非常に肥えた土地、高温多雨というすばらしい気候風土、周りを海に囲まれており海産物が豊富という環境であり、逆に平地が少なく、放牧に適さない、という地理的条件なため、穀物を中心にした食事となったのです。

 しかし、明治政府は、日本の体が小さいのは食事が悪いからだ、西洋人のように大きく強くなるためには、ドイツ人並みの「高タンパク・高脂質・動物食中心」の食事に改めるべきだ、となりここから日本の「カロリー・栄養素計算偏重主義」、そして、風土や日本人の体質を無視した西洋の栄養学一辺倒の現実離れした健康政策が始まったのです。

 これでわかるように、フォイトがドイツ国民に肉をたくさん食べるようにすすめたのは、食肉業界と癒着していたからというわけではなく、寒い土地に住むドイツ国民の健康を考えてのことだったのです(「1日の糖質500グラム」というのはなにかの間違いだと思いますが)。

【カバールにだまされた陰謀論者たち】

 そんなフォイトを船瀬俊介が目の敵にする理由は、おそらくユースタス・マリンズなど、海外の陰謀論者の本に「フォイトは悪い奴だ」的なことが書かれていたからだと思われます。

 フォイト悪人説を捏造したのは明らかにカバールであり、船瀬俊介が尊敬する海外の陰謀論者の先駆者たちも、まんまとカバールの掌で踊らされていたのです。

【まとめ】

 ●フォイトの理論はなにも間違っていない。

 ●フォイト悪人説はカバールの陰謀である。


 日本の国民病の1つである糖尿病。しかし標準治療は大変危険なものなのです。糖質制限による治療をぜひご検討ください。

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