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スロウハイツの神様 辻村深月

スロウハイツに住む人達はみんな、何かしらのクリエイターである。それは、人気作家かもしれないし、駆け出しの卵かもしれない。

作るジャンルも違う、認知度も違う、年齢も性別も違う、そんな彼らはお互いに刺激しあって生活する。そしてその生活は、201号室に住んでいる住人が抜けたことをきっかけに少しづつ、しかし着実に変化していく。


これがこの本のあらすじである。

日常を描いた平和なお話なのだろうと思って読み始めた私は、とんだ勘違いをしていたと知る。

興味本位で、柔らかな印象の薮を持つこの本をつつくと、果てしなく大きな大蛇が飛び出してくる。

この本は、平和な本ではない。驚きと衝撃を与えてくれる本だった。

今回はそんな「スロウハイツの神様」の魅力を少しだけお伝えしたい。

登場人物が魅力的すぎる

この本に出てくる人は、本当に魅力的なのである。

この物語は、
主にスロウハイツの住人6人を中心に進められていく。

それぞれが一体どんな魅力を持っているのか、私がいちばん魅力的だと思った部分を紹介したいと思う。

【赤羽環は真っ直ぐである】
スロウハイツのオーナーであり、人気急上昇中の脚本家である環(たまき)は反骨精神が非常に強い女性である。

どんだけこの子は自分に自信があるんだよ、ってツッコミたくなる。自分を疑うことは無いのか、と。

しかし、ただ頑固で自分のことしか考えていないわけでは決してない。認めるものは認めるし、自分が悪いと思ったらきちんと謝れる人間だ。

そして、人とぶつかることを恐れない

よく、相手が求めている返事を汲み取って、相手の都合のいいように返すのが美徳である、という風潮がある(私もよくしてしまう)。

環は基本的にそれは許さない。

もちろん、自分がどうでもいい人間に対しては上辺だけの返事をする時もあるが、自分の友達や身内のこととなると、真剣に向き合ってアドバイスをする。そして時に辛辣なことを言う(ストレートにいいすぎるのがたまにキズだ)。

後に紹介する画家の卵、森永すみれ(スー)がダメ男との恋愛に溺れて絵が描けなくなったときも、きちんとぶつかる。

周りが「結局決めたのはスーなんだし、スーのしたいようにすればいいんじゃない」と諦める中で、環だけが怒り、スーに直接言う。

このままでいいの?ちゃんと絵描けてるの?
ダメになるよ。あんたみたいに男に溺れる人はきちんと見る目を養わないとダメなんだよ。


ね。辛辣でしょう。
しかさ周りも同じことを心の中では思ってる。でも環みたいに、面と向かって「ダメになるよ」なんて説教できる人はそうそういない。

環は本当に真っ直ぐで、優しい。

【チヨダ・コーキは無邪気である】
中高生から人気の小説家であるチヨダ・コーキはみんなよりも少し年上で、環が仕事で知り合い、このスロウハイツに招いた人。

余談だが、この本での私の好きな人NO.1だ。

容姿も余り良いとは言えない、長身で細身のコーキは典型的なコミュ症なのである。

人前だとおどおどしてしまい、声も直ぐに上ずり、仕事の関係者と握手をする時も手が震えて、少し触れる程度で終える。

そんな彼は実を言うと、とても謙虚で優しく無邪気な内面を持っている。

年下かつ、自分の方が圧倒的に仕事で成功しているなか、少しも傲慢な態度は見せずに敬語で接し、謙虚で居続ける。(距離感が遠いわけではなく、そういうコーキの性質である)

環が涙を流した時も、いち早く気づいて、大丈夫?と声をかけられる。包んであげられる。

人前ではおどおどするのに、知り合いを見つけると、顔を明るくさせ、大きな手をぶんぶんと振って近寄ってくる。古いキティちゃんの流しそうめん機で流しそうめんをしたときも、黙々とそうめんと向き合って格闘する。

この無邪気さが、本当にかわいい。
愛おしく思える、そんな人なのである。

【狩野壮太はミステリアスである】
漫画家の卵である狩野は大学生の時に合コンで環に出会ってから、気が合い、スロウハイツに招待された。

この「スロウハイツの神様」はコーキと環が話の軸になる、いわば主人公と言っていい。

しかし、実際に誰からの視点で書かれることが多いかと言うと、この狩野なのだ。

狩野は人間をよく見ている。「この人はこういう人だ」と掴むのが上手いし、「誰とどんな話をしたか」を覚えているから、話を繋げていく人として機能しやすい。

最初はそんな狩野のキャラを生かし、物語を作っていくスタンスなんだと思っていたが、やはりこの本は一筋縄ではいかない。

読んでいくうちに気づく。
狩野はあまり自分の話をしない。

本当は、環やコーキ並の裏側を持っている狩野が、物語の視点となることによって、不自然になることなく、狩野を隠せてしまうのだ。

【長野正義は愛されている】
正義(まさよし)は映画監督の卵で、狩野の親友だったのを、環に紹介して、仲良くなった。

そんな正義は、大変にイケメンの、俗に言う愛されキャラである。

その容姿やキャラから、普通なら「そこまで踏み込んでいいのかな」と思う質問も躊躇うことなく聞く。

デリカシーがないとも取れるこの行動が許されてしまうのが正義であり、当人も「俺は得な性分だな」と自覚している。

しかし、愛されたる所以は単に器量がいいからだけではなく、きちんと気を使える人間だから。「俺が俺が」となるのではなく、他人への気遣いを忘れないことが正義の魅力をさらに惹き立てているのだ。

【森永すみれは女の子である】
なんて抽象的なんだ、どこが魅力なんだ、と思うかもしれない。まあ少し聞いて欲しい。

正義の彼女であるすみれ(スー)は、画家の卵である。狩野は、スーのことを才能と優しさで表すことが出来ると言えるほど、絵が上手い。

ではなぜ卵のままなのかと言うと、スーは自分を売り込めないのだ。

漫画家志望の狩野とかは出版社に直接赴いたりして、自分を売り込むが、スーはそういうことができない。だから絵がかけても、きっかけが掴めない。

そんなスーは包容力のある優しさがある。

環はその強気な性格からか、同性の友達が極端に少ないのに、スーとは上手くやれている。きっとそれは、スーが包んであげられるような優しさを持っているからなんだろう。

しかし、スーは他人に甘い分、自分にも甘い

誰かと揉めたとき、泣きながら真っ先に向かうのは狩野のところ。狩野は表面的に優しい言葉をくれる、自分が欲しい言葉をくれるから。

優しくて、もろくて、しかしその中に強さも兼ね備えている。そんな女の子がスーであり、読んでいくうちに、どんどん惹かれてしまうのだ。

【黒木智史は仕事ができる】
黒木はチヨダ・コーキの担当編集者であり、少しほかのみんなとは異質である。人気雑誌の編集長であり、もう既に大成している人なのだ。

この人はとにかく非情で、売り出すためならどんな手段も厭わない。自分の利益にならないような行動はしない

したがって、売れだしている環や人気作家のチヨダ・コーキ以外とはあまり深く関わらない。周りとはあくまで上辺だけの関係。

スーが自分の絵を出展しているグループ展の話をしたときも、「いいね、行こうかな」と言ったっきり来ない。

しかし、彼のする仕事に対してみんなは絶対的な信頼を置いているから憎めないし、非難できない。

だからグループ展に来なかった時も、スーは黒木に怒るのではなく、黒木を来させられない自分の力を悔やむのだ。

かなり酷いことをしているのに、私が黒木さんのことを嫌いになれないのは、きっと「みんなが彼を信頼していること」と、「たまに見せるおちゃめさ」が、悪い人ではないことを印象づけているためなのかもしれない。

以上が201号室を除いたスロウハイツの住人だ。それぞれがとても個性的で、魅力的だろう。

ちなみに、各人物紹介の題名はこの本の章題を少し真似している。

「誰々は○○した。」
この文が、その章の内容を簡単に表している。

そしてそれは、読者の興味を湧かせる。
例えば、この本の第1章
「赤羽環はキレてしまった」

環が?何でキレたの?何があったの?

章が終わり、少し休憩でもしようかと次の章題に目をやると、目的語が覗かれた短文が目に入る。

ついつい先が気になって、読んでしまう。
まんまと辻村さんの策に溺れてしまうのだ。

そして辻村さんの策はそんなものでは終わらない。

見事な伏線回収

この本は上下巻である。上巻から下巻の最初にかけて、物語の土台を作る。気づかない間に、そこにはあからさまな線から、全く見えないような線まで、いくつもの伏線が張られている

そして物語終盤に向けて、丁寧にその伏線を回収していくのが、なんとも爽快でたまらない。

きっと読んでみないとこの爽快さは伝わらないだろう。そこには、ひとつも取り除いてはいけない、作者の巧妙な罠が張り巡らされている。

本当は伏線回収がすごい、と言ってしまうこともはばかられた。伏線がすごいと言ってしまうだけで、この本を読む人はアンテナを張ってしまう。意味がなさそうなものに意味があるという面白さが半減してしまうかもしれない。

しかし、この本を語る上では避けては通れない道なので、最低限だけ伝えておくことにした。

感想

読み出すと止まらない本だった。愛おしいキャラたち、細かいパズルのピースが順々に当てはまっていく爽快さ。

中学生のときに1度読んだときは、あまりよくわからなかった。ここまで面白いとは思わなかった。

大学生の今になってこんなにも面白いと思えたのは、きっと共感できることが増えたからなのかもしれない。

各々のエピソードが自分の経験と結びつく
中学当時は得ていなかった、「恋愛」や「自分の進むべき目標とそれに対する努力」、「できない悔しさ」を経験した今、よりいっそう深くこの物語の沼にはまれたのだと思う。

「昔書いたものが恥ずかしく思えるってことは、自分の成長の証明」

狩野が言った言葉だ。私はいつか、このnoteを恥ずかしく思う日が来るのだろう。

その時は、消去したり、修正したりするのではなく、自分の成長の証拠として、ありのままを残しておきたい。

早く恥ずかしいと思える日が来るといいな。

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