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鞍馬山と牛若丸(源義経)と鬼滅の刃

こんにちは。こんばんわ。

私、古代日本史や近代史の勉強はたくさんしてきたのに、お恥ずかしながら平安後期あたりから江戸時代のことに興味を持てなくて、教科書の黒字で太くなった言葉くらいしか全然と言っていいほど学んでこなかったんです。
(これから、埋めていきますね、トホホ。)
特に源平合戦とか戦国時代とか、武将たちが戦ってる時のことは、頭の中からスッポリと抜け落ちてて、源義経?牛若丸?といっても、マンガで薄っすら見た気がするくらいで(汗)。

そんなわけで、源義経を祀っている祠や堂があっても、スルーしちゃったんですよね、今回。

ところがね、帰ってからネットで勉強してみたら、牛若丸(源義経の小さい頃)がお父さんが亡くなった後、鞍馬山に引き取られて、あのお寺や山で修業を積んだと書いてあるではありませんか。
さらに、その牛若丸の師匠が一人の山伏(天狗)だったと。
((山伏(天狗)がユダヤと関係があるとかの考察はまたいつの日かお話します))

コレって、そのまま鬼滅の刃のモデルで確定ですよね!
竈門 炭治郎(かまど たんじろう)と師匠の鱗滝 左近次(うろこざき さこんじ)ですよね!
煉獄さんは、武蔵坊 弁慶???

なんて、知ったかぶりしてますが、鬼滅の刃ってほとんど知らないんです。第1話を見ただけ。
後はあらすじとか、部分的になんか話題になったから知っとかなくちゃ的にかいつまんで知ってるだけ。
天狗のお面をかぶった鱗崎さんの弟子になって、修行の末に岩を割って煉獄さんに認められたとこらへんまでしか知らないんですがね(汗)

同じように感じた人が他にいないか検索したら、流石!、いました。

やっぱ、ワカモノの感は鋭いね!素晴らしい!!

鬼滅のりっぺちゃん【鬼滅の刃】鱗滝さんは京都鞍馬山の大天狗だった!!|鬼滅のリッペちゃん (note.com)

ワカモノBASE【京都 鞍馬寺その2】奥の院 魔王殿 〜鬼滅の刃の主人公、炭治郎のモデルは牛若丸!?〜|ワカモノBASE (note.com)

有名な牛若丸(源義経)が昨日の木の根道や奥の院までの山道で修業を積んだというのを知って、約900年後の今、私も同じ場所を歩いたんだなぁと思うと、なんか、ゾクゾク・ワクワクした。
子どものころにあんなに険しい山の中で修業をしていたかと思うと、生きるか死ぬかの命がけで生きていたころの日本人男性や、電気もガスも水道も科学的な技術が何にもない時代に家を切り盛りし、守っていた女性の強さを覚える。

現代人は、頭は良くなって知識はいっぱい詰め込んだけど、本当に「今、目の前にあるもの」に目をやらず、モニタやスマホ画面ばっか見て、悩みばっかり膨らませて、身体鍛えるためにジム行ったり、心を整えるために瞑想に励んだりする人が増えたね。
そして、神社やお寺に行く人は減り、氏子さんや檀家さんが減り、代々日本人が受け継いできた日本人として一番大事な(と私が思っている)「祭り」の文化が廃れてしまった。
あの、階段や山道できれいな空気を吸いながらおまいりしたら、それだけでパワーも分けていただけるし、ダイエットにもなるし、体力鍛えられるのにね。

神社やお寺に行く目的が「ご利益」「御朱印集め」のため、みたいな個人的願望を叶えてもらうためになってしまって、神仏に対する敬意みたいなものがかなり薄れてしまったような気がする。
(信仰深い方も、もちろんたくさんいらっしゃるのですが)

「パワーをもらいに行く」とか、個人的には、なんか違うと思う。
日々生かされていることに感謝し、本当に困った時の拠り所として存在してくださっていることや、あるいは存続させてくれている方々に対して感謝と敬意を持って初めて、「パワーを分けていただきます、ありがとうございます。」なんだと思う。

パワースポットは、ミーハーな気持ちで行く場所ではない。
神聖な場所だから、パワースポットなのだ。
畏れ敬う心と、感謝の気持ちを持って行く場所なのだとおばさんは思うがどうだろう?

どこまでもついてくる鬼は、外側だけにいるのではないよね、きっと。
自分が正しいとか、自分自身の魂レベルを上げる訓練もせずに、不平不満を言い続けている自分の中にもいる「欲」とやらも鬼だよね、きっと。

書きながら、自分自身もこれまでの人生を反省しております。

さて、話は鬼滅の刃の話のモデルになりますが、一時、日本全国で大ブームになったころ(猫も杓子もあっちゃこっちゃで緑と黒の格子柄を見かけたころ)、京都の丹後にある神谷太刀宮神社(かみたにたちのみやじんじゃ)の境内の磐座のご神体の岩が丹次郎が修行で切った岩のモデルということで、田舎の誰も来ないような神社が湧いた話を久美浜町に住む友人から聞いて、見に行ったことがあった。

神谷太刀宮神社の磐座

若い頃、外国にしか興味を示さなかった私は、海外旅行ばっかりしていて、ほとんど国内旅行をしていませんでした。
ようやく50歳手前くらいから、自分の置かれた不思議な魂のルーツを探るにあたっての答えが日本の神社仏閣の中にあることを知り、導かれるままに様々な神社仏閣巡りを始めたんですよ。

一番出歩いていたのは三文字全盛期で、HSPでマスクができない私は、とにかく人気(ひとけ)がなくて、空気がキレイで、マスクしなくてもいい場所に車を飛ばしていろんな場所に行きました。

そうして、気が付いた。
「?」って思うことが「ここでも」「あそこでも」「あ、ここもだ」ってなってくると、一つのルール性に気付く。

鬼滅の刃は単なるアニメではない、きっと。(鬼滅の刃以外の有名アニメもだけど。私は見てないけど。)
昭和から平成にかけて、廃れていったような、今まで観光地にもならなかったような僻地の古い神社仏閣に、国民の、あるいは若者の、あるいは外国人の興味を持たせるための国策事業なのではないか、と思うほど、誰かが意図的に創作したとしか思えない足跡が見え隠れする。

そして、ネットには掲載がないけれど、その場所が「何万年も前から」とか「古代ピラミッドが・・・」とか、これまで別々だと思っていたものが実は同じものをルーツにしていたといった、日本と世界の融合というか、西洋と東洋の融合というか、昨日までの尊天のお話のような、いろんなものあるけど、結局一つであり全体(ワンネス?)という認識を持たざるを得ないような、そんな言葉が立て看板(これらが結構最近書かれたみたいに見える。神社は古いのに)に書かれていたりするんです。
(行けば、分かる人にはわかると思う)

ま、そんなこんなで、長い一日の旅の感想日記が終わりました。
最後までお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。

今日もとても良いことがありました。
今日も「光に向かってはげむ」ことができた一日を過ごすことができました。
心がとても充実しています。
過不足なく穏やかな幸せを感じていることができている状態を「幸せ」と呼ぶのですね。
ラッキー(超幸運)はフラッシュみたいに光るだけだけど、ハッピー(幸せ)は自分が感じようと思えば、暖かく降り注ぐ太陽光のように、常に感じ続けることができるってなものですね。

またね。




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