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ときめきと愛着

ある朝、キッチンの片付けをしながら思いました。
木べらについて書こうと。
はい木べらです。
料理するときに使う道具、木のヘラです。

それは屋久島を旅した時、土産物屋さんでなんとも手にしっくりときた屋久杉で作られた木べら。この木べらが我が家にこんな物語を運んでくるとは…
ではなく、
祖父母の家を取り壊すことになって、その庭に生えていたイチョウの木。そのイチョウの木から作られたのがこの木べらです…
とかいう話にはならなくて大変恐縮なのですが、無印良品で買った普通の木べらの話です。

無印良品オンラインより

先代のIKEAの木べらもまだ現役で頑張ってくれていますが、頼れるのはこの無印のもの。
何年くらい使ったでしょうかこの木べら…恐らく10年は使っていると思われます。
ある朝、食洗機からこの木べらを取り出しました。いつも通り木べらを定位置に戻そうとした時、なぜか私は木べらをじーっと眺めていました。

「随分使い込まれているなぁ」

もはや上の写真のような綺麗な木の色はどこにも残っていない焦茶色、焦げた、茶色。木べらの先の縁はザラザラと毛羽立っています。
新品で使い始めた日は「やっぱり新品はいいなー」なんて思いながら使っていたのだと思います。でも毎日使うものだからすぐにそんなことはいちいち思わなくなります。ただいつもの場所に置いてあって、炒め物をするときは無意識にこの木べらを取り出す。フライパンについた焦げ付きをこそげとったりと少々乱暴な使い方をする時もあって、その後スポンジでゴシゴシと洗い、乾かしてまた定位置に。こんなことを繰り返しているうちに色も形も少しずつ変わってきて今の姿になった木べら。

ひょっとしたらこの見た目、そろそろ買い替え時なのかもしれません。
でもこの日、この朝、この木べらの見た目がとても愛おしく思えました。「味がある」とも少し違うのですが、古くなって傷んできているけど、私にとってはとてもいい感じ。何度かの引越しを経ても処分せずに今日まで何も考えずに使ってきたけれど、ふとこんなことを思ったのでした。

その木べらを握る私自身も、それなりに年を重ねて、顔には毛羽立ちならぬ小皺や、焦茶色のシミがあるし、毎日どこかしらが痛いし、同じことを何度も話して「その話もう100回くらい聞いてる」と子供達から苦情が出たり、先日は人生初めての大腸内視鏡検査も経験して下剤と検査は思ってたより辛くはなかったけど前日の検査食と空腹が辛くて…ってなんの話でしたっけ。
でもありがたいことに家族は「そろそろ新しいママに交換したいね」とは言いません(思ってはいるのかもしれませんが)。
そして家族以外に、こんな変化を一緒に自虐し合って笑える、大腸内視鏡検査の経験談もシェアできる、そんな古い友達がいます。
ありがたいことです。

共に過ごした時間によって育まれるのが愛着でしょうか。
断捨離も良いけれど、こんまりパイセンのおっしゃる「スパークルジョイ⭐︎(ときめき)」がなくても、そう簡単には捨てられない愛着のあるものって意外とあるものです。
なんの変哲もなくても10年近くの時間、ほぼ毎日の料理時間に欠かせなかった存在としての重みを、あの朝感じました。
そう、(はいみなさんご一緒に!)木べらに

師走に入りましたね。
年末には大掃除と、こんまりパイセンと木べらの教えに従って、トキメキと愛着の間で揺れながら、断捨離もしようと思います。
そして古い友人たちとの忘年会も楽しみです。







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