134.47年前のバレンタインデー

本稿は、2020年2月15日に掲載した記事の再録です。

私が初めてバレンタインデーの存在を知ったのは、1973年(昭和48年)のお正月明けのことでした。中学1年生の3学期のことです。バレンタインデーとは、年に一度だけ女性から男性に愛の告白をしていい日だと言うことでした。

小学生の時にはバレンタインデーなどという言葉は聞いたこともなかったのに、中学生になって駅前のデパートに行ったら、1階にチョコレート特設売り場が開設されていて、大勢の女性が群がっていました。この人たちはみんな、自分から愛の告白をするのかと驚きながら見つめていたことをよく覚えています。

あの時、中学1年生の私は、愛の告白は男の人がするものだと固く信じていたのだと思われます。一体子どもたちはどこでそのようなことを学習するのでしょうか。

チョコレートの特設売り場には、指を広げた掌くらいの大きさのハートのチョコレートに、好きな人の名前と、送り主の名前を刻んでくれるというサービスがありました。サービスというより、そもそも特設売り場とは、ハート型のチョコレートに2人の名前を入れて販売することが目的で設置されているのでした。

大きなハート型のチョコレートに、歯医者さんで歯を削る時に使うような先の尖った電動マシンで「大好きな太郎さんへ」「花子より」などと名前を彫り込んでくれました。メッセージは確かあらかじめ紙に書いて職人さんに渡すのことになっていたと思います。名前を入れてくれる職人さんの前に大勢の女性たちが並んでいました。ものすごい熱気でした。


翌1974年(昭和49年)中学2年生の時、私は初めて好きな人にバレンタインデーにチョコレートを渡しました。相手は1学年上の同じ中学の3年生の男子生徒でした。もうあとひと月で卒業してしまうので、今回チョコレートを渡さなければ永遠に会えなくなってしまうと思っていました。

仲良しの2人に相談したら、それはもう絶対にチョコレートを渡して告白した方がいいということになり、デパートにも一緒についてきてもらって、例の歯医者さんのような電動マシンで彼の名前と私の名前を刻んでもらうことになりました。ドキドキです。

彼とは一度も話などしたことはなく、私と同じ図書委員だった彼の定例会で発言する姿や、剣道部の袴姿で浅黒い肌に白い歯を光らせて仲間と笑いながら体育館に入っていく姿に一方的に片思いをしていました。どこの高校に行くのかも知りませんでした。

彼の名前をどのように彫り込んでもらうかは当時の私には大問題でした。見本のように「大好きな太郎さんへ」というわけにはいかず、散々悩んだ結果、苗字に先輩を付けてもらうことにしました。話したこともないのに「先輩」とは失礼ではないかとか、「さん」付けにすべきではないか、いやいや「様」でしょうとなどと、仲良し3人組で姦しく文殊の知恵を出し合った結果でした。

チョコレートの値段は、名前を彫り込んでもらって確か300円、もしかしたら500円だったかもしれません。それでも中学生の私にはかなりの大金だった記憶があります。


さて、バレンタインデー当日は、前の週から何度も予行練習をしていましたが、緊張の極みでした。私の考えた作戦は、本のカバー(当時はカバー付きの本がたくさんありました)の中にリボンのかかったチョコレートを入れ、チョコレート側をお腹に押し付けて、あたかも図書館に本を返しに行くかのように装って図書館で待つという方法でした。仲良し2人も一緒に来てくれるというのを断って、敢えてひとりで図書館に向かいました。

待っている予定でしたが、私が図書館に着いた時には、その日の図書当番だったのか彼は既に来ていて、ひとりで書棚の辺りで本を眺めていました。「今だ」と思えば思うほど足がすくみ、中々声をかけることはできませんでした。それでも彼が帰ってしまったらもう渡せなくなると自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って一歩踏み出し、彼にチョコレートを渡しました。

彼は、驚いて目を丸くしていましたが、白い歯を見せてニッコリ笑い、「どうもありがとう」と言ってくれました。学校内では名札を付けていましたから、私の名札を確認して名前も覚えてくれたようでした。本棚を背景にした彼の笑顔は今でもよく覚えています。もう47年も前の笑顔です。

その後、どういうやり取りがあったのかは覚えていませんが、彼の進学した高校の文化祭に誘ってくれたので、中学3年生の秋に仲良し3人組で一緒に行ったことを覚えています。彼は普通の高校の部活動にはないようなスポーツをやっていて、初めてその競技を見せてもらいました。その高校を選んだのもその競技をするのが目的で選んだということでした。でも、もうそれっきり彼とはお付き合いすることもなく、自然消滅という言葉もふさわしくないほど、何も始まることさえなく終わってしまいました。

あの頃のバレンタインデーは、義理チョコなどというものもなく、女性が真剣に愛の告白をするためだけに存在していたように思います。それこそ、たった一枚の大きなチョコレートに名前を彫り込んでもらうほどのことなのでした。ホワイトデーもその頃にはありませんでした。

私の初めてのバレンタインデーの告白は、あえなく終わりました。


終わったと思っていました。ところが先日、実家の母が倒れて入院したので、この年末年始はしばらく実家に滞在することになったのですが、その時、かつての自分の部屋を少しは片付けようと古い引出しを開けてみたら、昔の手紙ばかりを入れた箱が出てきました。

小学生の頃からの年賀状、引越しをした時にみんながくれた手紙や葉書、お誕生日のカードなど、懐かしい手紙がたくさん入っていました。ケータイやスマホがなかった時代、当時の小学生、中学生、高校生が、これほど多くの手紙や葉書をやり取りしていたとは、当の本人である私も大変驚きました。

そして、その中に、彼からの手紙を発見したのでした。文化祭に招かれたことは覚えていましたが、手紙はすっかり記憶から抜け落ちていました。まるで初めて読むような内容でした。この手紙のことは、次回書きます。もったいぶるようなものではありませんが、還暦になった私が読んでも心に触れる内容でした。


<再録にあたって>
2年経ったので、中学2年生のあのバレンタインデーから49年、ほぼ半世紀が経ちました。あの頃はバレンタインデーがクリスマスに次ぐ商戦対象でしたが、いつのまにかホワイトデーやら、ハロウィンやら、最近ではイースターも耳にするようになってきました。



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