232.受験勉強と人生

元日に起きた震度7の能登半島地震、そして翌日の羽田空港事故と、2024年は大変な幕開けとなりました。株式市場も大発会で700円以上も下落しました。

このような中でも、受験生はコツコツと受験勉強をしているのではないでしょうか。文部科学省は、今回の能登半島地震によって日程通りの受験が難しい受験生には、特例措置で別日程での追試験会場を設置すると発表しました。

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「受験戦争」という言葉は、私が小学生だった昭和40年代(1965〜74年)には既にありました。戦後のベビーブーマー、つまり私たちよりもひとまわり上の団塊の世代が受験の時期に当たっていた頃です。小学生のうちから塾に通って受験勉強をして、「いい中学、いい高校、いい大学」へと進学し、そして「いい就職先に入って出世をする」、それこそが「いい人生」なのだという空気が社会を覆っていたように思います。

とは言いつつも、私自身は大して勉強もせず、塾というものにも一度も通ったことはありませんでした。高校三年生の冬休みに初めて代々木ゼミナールに行きました。

私は東京の西の郊外で育ちましたが、周囲を見渡しても塾に通っていた子はいませんでした。近くに米軍基地がまだたくさん残っていた時代なので、近くの米軍ハウスに英会話を習いに行っていた子はちらほらいましたが、いわゆる学習塾というのは、存在すら知りませんでした。

私の三歳上の夫は、都心部で育ったせいか、小学生の頃から近所の人がやっている個人塾に通っていたそうで、塾に置いてある世界少年少女文学全集を自由に読めるのが楽しみで、いつも早目に行っていたと話していたことがあります。日曜日には全国模試にも参加していたそうです。

全国模試など聞いたこともない私でしたが、いよいよ大学受験となった時に、冬休みにクラスの仲良しと共に代々木ゼミナールに通おうということになり、みんなで一緒に電車に乗って行きました。

代ゼミで私が一番驚いたのは、英文解釈の授業で、講師が「カンマを見たらすぐカッコ」という呪文のようなフレーズを教えてくれたことでした。それは、長文読解問題の時に、文章のSVO、SVCなどの構文を簡単に見つけるための方法として、カンマとカンマで区切られている箇所を見つけたらすぐにカッコ( )で閉じ、また that や which などの関係代名詞を見たらすぐに鍵カッコ[ ]で閉じなさいというものでした。

講師が「それでは皆さんご一緒に! カンマを見たらすぐカッコ! ハイ!」と呼びかけると、周りの生徒が全員口を揃えて「カンマを見たらすぐカッコ!」と復唱しました。

受験間際の高校3年生の冬になるまで、私は長文読解をしようとすると、頭の中で英文がこんがらがってしまっていたのですが、この呪文の通りにすると、本当に魔法のように長文が難なく読めるようになったのです。これには本当にびっくりしました。特に関係代名詞節や関係副詞節を鍵カッコに閉じ込めてしまえば、SVOOやSVOCなどの複雑な構文もサラサラと読めるようになりました。

予備校って凄いところなんだ!とその時思いました。私の通っていた高校は、進学校という触れ込みでしたが、このような受験テクニックはまったく教えてはくれませんでした。しかし、この呪文は受験テクニックというよりも、その後の私の人生において、ずっと役に立ち続けました。

外資系企業に再就職して、仕事上読まなくてはならない長い英文を読む時にも、私は鍵カッコをよく使いました。後年、フランス語を読むようになってから、とりわけ五十歳を過ぎてから読み始めたプルーストのような何行にも渡る長い長い文章を読む時には欠かせませんでした。人生には思いがけない出逢いがありますが、この呪文と出逢えたことは私にとって幸運でした。

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中学生の時には「いい高校へ」、高校生の時には「いい大学へ」と、誰に言われたということもなく、社会の雰囲気で思い込まされていました。私たちの多くは子どもの頃から、宿題やったの? テストの点は何点だったの? 中間テストは? 期末テストは? 三者面談は? どこの学校受けるの? などと言われ続けて大人になりました。

先日亡くなった山田太一原作のドラマ、「ふぞろいの林檎たち」の第一回目のサブタイトルは「学校どこですか」でした。

あの頃、もしも叶うものならば、東大法学部に入学し、大蔵省に入り、出世の階段を上りつめて大蔵事務次官になるというのが、おそらく多くの人にとっては「ザ・ベストコース」と信じられていたと私は感じていました。あの頃は「起業する」などという概念はなく、一流大学から中央官庁・一流企業へと就職してサラリーマンとして出世することが人生の王道とされていたように思います。

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それから何年も何十年も経ったある日、森友学園問題が報じられました。報道によれば、森友学園と国有地の売買交渉にあたったのは、当時の財務省理財局長でした。理財局長の氏名と年齢も報じられました。年齢を見たら、なんと私と同い年でした。

全国の同学年の仲間の中でも、最も賢いとされていた人が入学する東大法学部を卒業して、当時の大蔵省、現在の財務省に入省し、理財局長にまで上りつめた人物が、こんな問題に関わっていたのかというのは本当に驚きました。さらに国税庁長官も務めたと知り、何とも表現できない感情が湧き上がりました。

さらにその翌年、当時の財務省事務次官がセクハラ疑惑で辞任するという事件が報じられました。なんとその人物も私と同じ年齢でした。財務省事務次官とは、昭和34年に生まれた全国の同学年およそ160万人の中で、最も優秀であるとされていたはずの人物が、あろうことか「セクハラ」とは、私はそれまでの自分の中の何かが音を立てて崩れていくようでした。

ドリフターズにも「宿題やったか?」と聞かれ、「学校どこですか?」という質問にはコンプレックス抱いてきた160万人の全国の同級生の中で、彼らはトップランナーだったはずのなのに、国有地の払い下げの不正に関わったり、「セクハラ疑惑」という滑稽で情けない理由で辞任したのでした。

全国の同学年の人々は、彼らのニュースをどんな風に捉えていたのだろうかと思いました。私自身は、あまりに情けないという思いと同時に、なんだか目に見えない呪縛から解き放たれたように感じました。

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少子化だからか受験戦争という言葉は最近耳にしなくなりました。それでも受験は相変わらず若者にとって人生における大きなハードルです。けれども、受験勉強や学力などというものは、人生においては、単なる一側面に過ぎないと思います。生きていく上で大切なことは、他にもっとたくさんあります。

中学受験をする小学生、高校受験の中学生、そして大学受験に向かう高校生や浪人生の皆さん、まもなく始まる入学試験には、是非とも体調を整えて、これまでの努力が実を結ぶように祈っています。そして、その後の人生が自分で納得のいく充実したものになるよう、心から祈っています。



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