087.ユリ・ゲラーと金の匙

子ども時代から持っている宝箱があって、それは古い外国のクッキーの缶なのですが、その中には彫金の手鏡や、本体だけになってしまったオルゴールや、観光記念のメダルなど思い出の品物と共に、グンと反り返ってヘアピンのようになっている金色のスプーンが入っています。

このスプーンは、私の目の前でユリ・ゲラー本人が曲げたものでした。

◇ ◇ ◇

1982年に新卒で入社した会社で、私は社長室秘書課に配属されました。主な職務に「国内外からの来客にお茶をお出しすること」というのがありました。普段の社内会議なら普通の湯飲み茶碗でお茶をお出ししましたが、社長宛にお見えになったお客さまには蓋付きの湯飲み茶碗で緑茶を、外国人のお客さまには金の縁つきのティーカップで紅茶をお出しすることになっていました。

金の縁つきのティーカップというのは、飲み口が花びらのように開いている背の低い、いかにもロココ調という食器で、金色のスプーンを添えてお出ししました。そしてその金のスプーンというのも、柄の部分が透かし彫りになっている凝ったものでした。

大切なお客さまにお出しする食器の手入れも私の仕事のひとつでしたから、定期的に食器を丁寧に磨いているうちに、次第にひとつひとつの食器にも愛着がわくようになっていました。

そんなある日のことでした。今日のお客さまは「あのユリ・ゲラー」だというのです。

「あの」というのは、当時、1970年代中頃から80年代初頭にかけて、巷では超能力ブームが起きていました。ユリ・ゲラーは度々来日してテレビ番組に出演してスプーンを曲げたり、念力を送って止まっていた時計を動かすなど、日本中に超能力ブームを巻き起こしていました。

あの頃は、スプーン曲げや念力だけでなく、空飛ぶ円盤UFOや、透視術など、超常現象とかオカルトなどと呼ばれる一大ブームがあって、クラスや職場にひとりやふたりは実際にスプーンを曲げたり、UFOを見たという人がいました。

◇ ◇ ◇

その日、ユリ・ゲラーは私の勤務先の担当役員と通訳をする役員秘書と三名で第一応接室にやってきました。来訪の目的まで私は知らされていませんでしたが、日本で新しいビジネスを始めたいなどということだったと思われます。

背の高い人だというのが、私の第一印象でした。

私は外国人の来客へのいつもの対応と同じように、人数分の紅茶を淹れ、ロココ調のティーカップに注ぎ、金色のスプーンを添えて、第一応接室へお持ちしました。

ノックして私が部屋に入った頃には、挨拶も終えて既に話が始まっていました。通常の作法に従って、まず主賓であるユリ・ゲラーの前にティーカップを置き、他の方々の前にもティーカップを置き終わる頃、ユリ・ゲラーは、英語で「私のこの超能力を持ってすれば」というようなことを口にしながら、たった今、私が置いたばかりのティーカップから金色のスプーンを手に取ると、スプーンの柄と丸くなっている匙の間をすっと撫でました。

すると、金色のスプーンは、くたっと音も立てずに反り返りました。私の目には力も入れずに、すっと撫でただけのように見えました。

私は目が見開いて、声を呑み込みましたが、他の方々は特に驚いた様子もなく淡々と話が進んでいました。ひとり部屋を出てからも私はドキドキしていました。「すごいもの見ちゃった!」というのがその時の私の感想でした。そのスプーンにタネも仕掛けもないことは、私自身が一番よく知っていました。

◇ ◇ ◇

しばらくして、ユリ・ゲラー一行はお帰りになりました。私が食器を片付けに第一応接室に入ると、さっきのまま、ティーカップの上にヘアピンのように反り返った金色のスプーンは置かれていました。

すべての食器を下げて、秘書課の炊事場に戻り、同じ秘書課に配属された同期の子に事の顛末を話すと、興奮して「わぁ、ホント?! すごいね! どんな風だったの?!」というので、ジェスチャー入りで詳しく説明しました。ひとしきりスプーンを手におしゃべりをしたあと、同僚は私に「このスプーンは記念に取っておけば?」と言ってくれました。

会社の備品を私物にするのは気が引けましたが、力任せに元に戻そうとしたら折れてしまうかもしれないし、戻したところで真っ直ぐには戻らないと思い、上司に相談に行ったら、そこでもまた驚かれ、再びジェスチャー入りの説明を行うと、上司も「記念に取っておきなさい」と言ってくれたので、このスプーンは私の物になりました。

しばらくの間はいつもポケットに忍ばせておいて、会う人ごとに「実はこのスプーンはね、本物のユリ・ゲラーがね」と説明してまわっていました。みんな「触ってもいい?」とか「曲げた時に音はしなかったの?」「熱くなってなかった?」などと私を質問攻めにするので、私も「触ってもいいよ」「うん、音もなく、そっと撫でただけで、くたっと」「少なくとも私が応接室に戻った時には熱くなってなかった」などと、もちろんジェスチャー入りで答えていました。

会社の同期にはもちろん、学生時代の友人にも、フランス語仲間にも、社内外のあらゆる人に「ユリ・ゲラーの金のスプーン曲げ」の話をしてまわりました。もう周囲の人全員に話してしまって、これ以上話す相手がいなくなった頃、この金のスプーンを宝箱にそっと入れました。

◇ ◇ ◇

あの頃、超常現象は頻繁に日常の話題になっていました。この手のテレビ番組も数多く放送されており、「ユリ・ゲラーがテレビ局のスタジオで念力を送るので、視聴者もテレビの前にスプーンや壊れた時計を並べて一緒に念力を送ろう。するとスプーンが曲がったり、時計が動き出したりするのです」などという番組も放送されました。私の周りにも参加して成功した人、全然何も起こらなかった人などいろんな人がいました。

超常現象番組は、スプーン曲げだけでなく未確認飛行物体UFOについてのものも多く、どちらもごちゃ混ぜに議論されているようなところがありました。1977年に公開された映画「未知との遭遇」も大ヒットしました。宇宙人との「第三種接近遭遇」(原題の「Close Encounters of the Third Kind」の邦訳)は流行語にもなりました。私の友人の中には「本当に絶対に空飛ぶ円盤UFOを見た」と断言する人もいましたし、透視ができると公言している人にも会ったこともあります。

宇宙人の話は、私もカール・セーガン著『Cosmos(コスモス)』を読んで、もしかしたらいるのかも…などと思っていましたが、スプーン曲げや念力となると、そんなものは何かしらのカラクリがあるに決まっていると疑っていました。まさか、自分が目の前でユリ・ゲラーのスプーン曲げを、それもいつも私自身が手入れしている秘書課のスプーンで見せられるとは思いもよりませんでした。

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そんなことがあってしばらくした頃、私にスプーンを記念に取っておきなさいと言ってくれた上司が、ある時、忘年会だか何かの飲み会のあとに、私たちみんなをマジックショーに連れて行ってくれることになりました。Mr.マリックというすごい手品師がいるらしいという評判を聞きつけてのことでした。その頃はまだテレビにも出ていない無名の頃でした。

六本木のショーパブというのか、紫を基調にしたキラキラとしたお店に連れて行ってもらうと、5、6人ずつ座れるような区画がいくつもあって、ある区画には、有名な芸能人も来ていました。私も職場の人たち数名と一緒に座って飲み物を飲んでいたところでショーが始まりました。

最初はお決まりの手品でしたが、途中から、各区画から誰か代表者が出て、Mr.マリックの透視術を受けるということになりました。その時、私たちの区画からはどういうわけか私が代表ということになりました。

Mr.マリックは、私の目の前によく切ったトランプを広げて、私に好きなカードを一枚抜くように言いました。その私が引いたカードをMr.マリック自身は見ないまま、ポラロイドカメラで私の顔の写真を撮りました。ポラロイドカメラは写真を撮るとその場でカメラから印画紙が飛び出てきて、最初はぼんやりと何も見えない印画紙ですが、時間が経つとくっきりと画像が浮かび上がってくるというものです。

私の顔を写した印画紙ですが、まだ何も画像が出ていないうちに私に渡されました。しばらく職場の人たちと眺めていたら、次第に画像が現れてきたのですが、その画像の私の額のところには、さっき引いたトランプカードがそのまま映し出されていました。

ポラロイドカメラは細工ができないという話でしたが、見事に私の額には先ほど引いたトランプに絵柄が写し出されていました。まったく不思議としかいいようがない現象でした。Mr.マリックは、余白にサラサラとサインをしてくれました。

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今も実家の引き出しの中には子ども時代からの宝箱があって、中にはユリ・ゲラーの金色のスプーンと共に、Mr.マリックのサインの入った、額にトランプを貼り付けた笑顔の私のポラロイド写真も入っています。どちらも超能力といえば超能力の、手品といえば手品のような不思議な体験でした。


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