215.痴漢は犯罪です

本稿は、2021年5月22日掲載した記事の再録です。

「振り込め詐欺対策」「万引き対策」あるいは「サイバー犯罪対策」などについて語る時には、「冤罪(えんざい)」が話題になることはまずありません。しかし「電車内の痴漢対策」について語ろうとすると、なぜかすぐに「冤罪」が話題になりがちです。

振り込め詐欺や万引きやサイバー犯罪だって、誤認逮捕されたり、無実なのに裁判で有罪判決を受けるようなことがあっては、痴漢冤罪と同じように人生が滅茶苦茶になってしまいます。

それどころか痴漢の刑罰は、東京都の場合迷惑防止条例に抵触し1か月以上6か月以下の懲役または50万円以下の罰金ですが、振り込め詐欺の場合は詐欺罪なので罰金刑はなく10年以下の懲役刑に(刑法246条)、万引き犯は10年以下の懲役または50万円以下の罰金刑に(刑法235条)、不正アクセスに対する刑罰は3年以下の懲役または100万円以下の罰金刑(不正アクセス行為の禁止等に関する法律第11条)と、痴漢の刑罰よりずっと重い刑罰となります。

これまでの私の経験では、男性と電車内の痴漢防止対策について話をしようとすると、ほぼすべての男性が、なぜかまず自分の身の潔白を示そうとします。振り込め詐欺や万引き対策の話で自分の身の潔白について述べる人はいないのに、痴漢対策の話となると、「自分はやったことがない」とか「痴漢の気持ちはわからない」などと言い出す人もいます。

それはわかっています。痴漢行為をすると思うような人に「痴漢対策」の話をすることはありません。信頼しているからこそ話をしているのです。それなのになかなか本題に入ることができず、ようやく話し始めても他の犯罪対策と同じように話を進めることができないもどかしさを感じます。僕は両手で吊り革を持つように心掛けているなど、冤罪対策の持論を展開し始める人も少なくないからです。

その理由を私なりに考えてみると、男性の多くは、被害者が自分の大切な娘であり、恋人や妻であり、姉妹であり、しかも「日常的に」痴漢被害に遭っているという現実や被害者心理を知らないからではないかと思うようになりました。

そしてなぜ知らないかと言えば、それは被害者のほとんどが声を上げないからだと思います。自分の大切な家族や恋人が「日常的に」痴漢被害に遭っている現実や被害者心理を知れば、男性たちの痴漢対策への向き合い方も変わってくるのではないかと思います。女性の側からだけでなく男性の側からも大切な人を守るために、意見や提案を出して対策に取り組んでくれるようになると思うのです。

noteには、様々な形で力を貸してくださると思われる方々がたくさんいらっしゃいます。そのような願いを込めて、今後の対策のために、被害者心理を知っていただきたいと、今回、私自身の若い頃の痴漢被害について勇気をもって語ろうと思います。

◇ ◇ ◇

私が初めて痴漢、正確には露出狂に遭遇したのは、昭和52年(1977年)、高校三年生になる春休みのことでした。私は17歳でした。部活の帰りに制服でひとりで高校の近くの道を歩いていたら一台の車が後ろから近づいてきて、運転手の男性が助手席の窓を開けながら「すみません、道がわからないのでちょっと教えてもらえませんか」と声をかけてきました。

助手席に地図が広げてあって、それを指差しながら質問をしてきました。自然と視線を車の助手席に落とし、屈み込む姿勢になりました。しかし質問の意味がよくわかりませんでした。どこに行きたいのか、そもそも現在地がその地図には載っていないのはどういうことだろうと、しばらくは私も助けてあげたいと理解すべく努力していたのですが、段々何かがおかしいと感じ始めました。

この人は本当は道を聞きたいのではない、これは明らかにイタズラか何かだと気づいて「すみません。私にはわからないので他の方に聞いてみてください」と言って立ち去ろうとした時、その男性は私の歩く速度と同じ速度でゆっくりと車で伴走してきました。薄っすらと気味の悪さを感じました。その時、そういえばさっき男の下腹の辺りに異物があったと思い出し、もしかしたらこれが世に言う露出狂なのかと思うと、突然恐ろしくなりました。

近くに高校生相手のパン屋さんがあったので、そこに飛び込むと、車は速度を上げて去っていきました。心臓がバクバクしました。膝が震えました。時間が経つうちに吐き気を催しました。怒りとも悲しみともつかない、さらに侮辱されたという惨めさも相まってなんとも表現のしようのない感情が逆巻きました。

あれから四十年以上の月日が流れましたが、私はかつて一度もこの話をしたことはありません。誰にも話したことがないのです。文字にするのも、今回が初めてのことです。あの日、家に帰っても両親に話すことはありませんでした。友人にも学校の先生にも誰にも言いませんでした。

還暦を過ぎた今でも誰かに面と向かっては話したくはありません。好奇の目に晒されたくないし、言葉にしてあのおぞましい情景を描写したくはありません。こんな被害を受けるような人間なのだと思われたくないし、自分が惨めだし、悲しいし、もしかしたら話しているうちに泣き出してしまうかもしれません。

当時も今も、できるものならば、被害に遭ったこと自体をなかったことにしたい気分です。ところが、これは私の人生で出遭った露出狂の最初のひとりであり、その後私は電車の中で、数え切れないほどの露出狂に遭遇しました。記録していたわけではありませんが、間違いなく二桁にのぼりました。

露出狂に出遭うのは、混んではいても比較的電車の空いている帰りの時間帯でした。通学や通勤の電車内の扉の脇で立って文庫本を読んでいる時、あるいは座席に座って本を読んでいる時、男たちは私にだけに見えるようにトレンチコートの前をそっと開くのでした。私が気がつくまで不自然な動き、つまりトレンチコートを、パサ、パサと開け閉めして私の注意を引くのです。

私がハッと気づくと、一歩前に進み出てくるような男もいたし、成功したと思うのかコートを閉じる男もいました。鼓動が高鳴り何も考えられない状態になりました。それでも動揺すればするほど露出狂が悦ぶのかと思うと、冷静さを装い、読書に熱中するふりをしました。目の前に露出狂が立っているというのは恐怖でした。心の中は怒りと羞恥と侮辱された惨めさでいっぱいでした。

◇ ◇ ◇

露出狂は私の体に触れることはありませんが、直接触ってくる痴漢もいました。よく電車でお尻を触られるとか、胸を触られるなどと表現されますが、そういうこともなくはないけれど、戦慄を覚えるのは、両脚の付け根の間に直接手を差し込まれることでした。これは恐怖以外のなにものでもありません。まったく身動きの取れない朝の満員電車の中で、服の上からとはいえ局部に他人の手が差し込まれるわけですから。

この被害についても、私はたったの一度も誰かに話したことも、書いたこともありません。今、初めて文字にしていますが、書きながら心臓が高鳴り、呼吸が浅くなるのを感じます。恐怖が蘇ってきます。

私は電車の中で声を上げたことは一度もありませんでした。恐怖に耐えるのが精一杯でした。全身の血液が逆流する中、とにかくなんとか体の向き変えようと、他の人への迷惑も顧みず強引に体勢を変えようと懸命になりました。うまくいく時もいかない時もありましたが、無茶苦茶になりながらもなんとか次の停車駅で下車し、他の車両に乗り換えました。

まったく惨めで羞恥と怒りで卒倒しそうになりました。尊厳を踏みにじられて涙が滲みました。それでも、これから学校に行き試験を受けたり、職場へ出勤して一日の業務が始まるのでした。

◇ ◇ ◇

私が痴漢に遭遇していたのは、電車通学を始めた18歳から25歳の間でした。月に一度くらい被害に遭いました。ひどい時には同じ週に二度も遭遇することさえありました。ところが25歳を過ぎた途端、パッタリと被害に遭わなくなりました。不思議なほどでした。

あの頃、1978年から1985年は「痴漢に遭うのは、それは痴漢が悪いのは悪いけれど、でもやっぱり女の子にも責任があるよね」という空気が支配的でした。肌を露出させているから、これ見よがしのミニスカートを履いているから、男を誘惑するような素振りをしているから被害に遭ってもやむを得ない、と考えられていました。

私はごく普通のブラウスとジャケットに膝丈のスカートで通学通勤していましたが、もしも私が痴漢被害に遭ったと知った人がいたとしたら、その人は「そうは言っても隙だらけで脇が甘く、あなた自身に何か問題があったんだと思うよ」と仮に口には出さなくとも、心の中では思ったことでしょう。痴漢被害は女性の責任だとされていました。

警察に行ったら男性警察官の前で、何をどうされたのかを事細かに逐一説明し、警察官相手に実演もさせられるらしい。裁判でも繰り返し尋問を受け、被害は何秒くらい、何分ぐらい続き、その時犯人の手や指はどのような動きだったのかを詳細に渡って、具体的に説得力をもって裁判官に説明できないと、裁判をしても勝ち目はないらしいと、嘘か誠か囁かれていました。

◇ ◇ ◇

自分の被害体験を思い起こしていると、男性が被害者の立場に立ったとしたら、どのように対応するのか聞いてみたいという気持ちが湧き上がってきます。電車の中で自分よりも明らかに体格・体力の勝る人たちに囲まれているラッシュ時、突然、自分の股間を誰かに鷲掴みにされたとしたら、どのように対処するのか聞いてみたいと思うのです。

男性ならば、相手が自分よりも体格の勝るプロの格闘家のような人物でも、その男の手首を掴んで声を上げるのでしょうか。直ちに鉄道会社や警察に連絡するのでしょうか。先生や上司に遅刻の理由として今朝電車の中で股間をつかまれたと話すのでしょうか。帰宅して家族に、母親や妻にも、自分がどのような性的被害に遭ったのか報告するのでしょうか。友人たちと被害を受けた時の気持ちについて語れるのでしょうか。

男性が性的被害を受けた場合には、羞恥をあまり覚えずに公に語ることができるのか真面目に問いたいと思ってきました。男性ならば薄着だミニスカートだなどと被害者に責任が転嫁されることはないので、自分に落ち度がないと自信を持って躊躇なく申告し、問題は速やかに公になって対策が練られるのでしょうか。

◇ ◇ ◇

私自身に限って言えば、誰にも話したことはありませんでした。電車内でも、帰宅したのちでも、話したことはありません。父や母にあなたの娘が毎月電車の中で恥辱に塗れ、羞恥と闘い、惨めな思いをしているのだということは知られたくありませんでした。交際中の恋人にも、電車の中で日常的に辱めを受けているということを打ち明けたいとは思いませんでした。

私は友人同士でも痴漢被害について、真剣に語り合ったことはありません。
「満員電車は痴漢が出るからイヤよね」
「ホント、ホント! イヤよね〜」
「ね〜、いい加減にしてもらいたいわよね」
せいぜいこの程度の会話でした。なぜなら、あの記憶を呼び覚まして語るにはあまりにも恐怖と羞恥が強過ぎました。

それに痴漢被害に遭うたびにその被害を申告していたら、毎月のように学校や職場に遅刻することになります。毎月警察で調書を取られ、毎月裁判所に通うことになるのです。それでは日常生活が破壊されてしまいます。裁判に勝ったとして、長くない刑期を終えた犯人に逆恨みされるかもしれません。でもその前に、そもそも被害を口にすることなど恐怖と羞恥でできませんでした。

◇ ◇ ◇

先に書いた露出狂や、両脚の間に手を入れてくるような痴漢行為は、その辺りの普通の人が「つい出来心で」という素人の仕業ではありません。お金を稼いでいるわけではないのでプロとは言わないのかもしれませんが、熟練の技を持ったプロの仕業だとしか思えませんでした。彼らは狙いを定めます。

「狙われていた」と感じるのは本当に怖しいことです。別の車両に乗り換え、あるいは学校や会社に向かいながら、そして家に帰ってからも、恐怖はじわじわと続きます。

例えば、座席に腰掛けて本を読んでいる時に、正面の男が、左右の人には決して気づかれないように巧みにトレンチコートの前を開け閉めするのは、たまたま偶然、私の目の前に立った男が、その場で思いついて行為に及んでいるわけではないのです。

明らかに駅のホームにいた時から私に目をつけ、狙いを定めるように私の正面に立ち、周囲の人々が目を閉じたり新聞を読んだりしているのを見定めてから行為に及んでいるのです。

身動きできず、胸が圧迫されて息ができないかもしれないと思うほどの満員電車の中でも、死角から、確実に、両脚の間に手を差し込むなどという芸当は思いつきで出来るものではありません。そこには自分の性的欲望を満たすためなら手段を選ばないという明確な意志と、狙った獲物は決して逃さないという執拗な執念が感じられました。

それは喩えていうのならば、プロのスリ犯に似ています。たまたま電車で隣り合わせた一般の人が、ふと出来心を起こして隣の人の懐から財布を盗むということがないのと同じです。ちなみに私は電車内でスリの被害に遭ったことは一度もありません。痴漢には月に一度は遭遇したというのにです。痴漢の数はスリ犯より圧倒的に多いというのが私の認識です。

電車に乗る前から目をつけられて、狙われたら最後、顔色を変え、恐怖に怯え、もがき苦しんでいる様子を、犯人は逐一見ながら性的興奮の中で悦びを感じているのかと思うと、怒りと屈辱に震えました。

◇ ◇ ◇

痴漢対策の第一歩は被害実態を知ることですが、かつて若かった時の私がひと言も発することができなかったように、実態が正確に伝えられないということにまず難しさがあると思います。今から十五年程前、私が四十も半ばになった頃、痴漢冤罪がよく話題になったので、痴漢対策について話をしようとすると、男性のほぼ全員が冒頭に書いた通りの反応を示しました。

私は、その時に自分の被害について話そうとしましたが、聞く耳を持たない人に怖しい恐怖体験を語ることを躊躇しました。このように私も口をつぐんだまま今日まできてしまいました。今では還暦を過ぎましたが、そんな私にとっても過去の性的被害を語ることには、大きな葛藤があります。このようにペンネームで書いていても大変なエネルギーを要します。

四半世紀前のデータではありますが、1995年5月10日の朝日新聞25面の記事によれば、「大阪府警鉄道警察隊が調査を行うと、警察に被害届が出されるのは一%程度にすぎなかったことがわかった」とあります。

若い女性にとっては、性的被害は口に出すことさえ難しいことなのです。

男性の方々には、被害者と同じ側に立って犯人に対峙していただきたいと思います。被害者は娘であり、恋人や妻であり、姉妹なのです。しかも大切な家族や恋人には被害を知られたくないと、かたくなに口をつぐんでいるのです。

「痴漢は犯罪です」 正直に言えば、駅でこのポスターを初めて見た時「ここからなのか」と大きな失望感がありました。それでも「千里の道も一歩から」と、小さくても一歩が踏み出されたのだと前向きに捉えたいと思いました。

女性専用車両の提供も対策のひとつですが、このような状況を長年に渡って黙認・容認し続けてきた私たちの社会は、抜本的な鉄道網整備による通勤電車の混雑緩和や、都市計画のあり方そのものを問い直すなど、新たな視点での対策を講じることが必要です。

例えばリニア中央新幹線の、国からの約3兆円の財政投融資を含む9兆円とも言われる予算の、その何分の一かを痴漢対策に当てるという検討がなされても良いのではないでしょうか。数多くの男性が不安に感じている痴漢冤罪問題も同時に解決できるような対策ができれば、尚一層素晴らしいと思います。それには多くの方々の多面的なご協力が欠かせません。

痴漢とは性暴力です。若い女性が日々恐怖に怯え続けている性暴力犯罪なのです。拙い文章ですが、また幾多の痴漢被害の中で、私の被害体験などほんの一例に過ぎませんが、この稿が痴漢問題の現状認識と対策の一助になることを願ってやみません。


<再録にあたって>
この稿を書いたのは2年4ヶ月前のことでしたが、性暴力についての社会の対応が随分変化しました。このような中で、改めて性暴力というのは被害者の心にはかりしれない大きなショックを与え、人としての尊厳を奪うものだということが社会全体で認識されるようになってきました。

これまで誰もが皆見て見ぬふりをして、議論することさえタブー視し、被害者は泣き寝入りするものとされてきた社会的認識が変わってきたことは、苦しんできた多くの方々の勇気によるものだと思っています。微力ではありますが、私も社会を変える一助になりたいと思っています。


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