243.春の予感

本稿は、2022年3月5日に掲載した記事の再録です

♫ 春の予感 そんな気分
時を止めてしまえば
春に誘われた訳じゃない
だけど気づいて
I’ve been mellow 〜

日差しが春めいてくると、私には毎年のように耳元でこの曲が聴こえてきます。この歌は、私が高校を卒業する1978年(昭和53年)の資生堂化粧品の春のキャンペーンの曲でした。作詞作曲は尾崎亜美、歌ったのは南沙織でした(Youtubeはこちら)。

高校の卒業式を前に私たち女子生徒は体育館に集められました。なにかと思ったら化粧品会社の社員が直接私たちに化粧の仕方を説明し、商品の注文を受けるというのでした。私は、公立高校なのに特定の化粧品会社が直に販売活動するのかと心の中で驚いていましたが、周囲の友人たちは、そんなことよりも何を購入するかで話は盛りがっていました。

それまで私は化粧にあまり関心がなく、その説明会で初めて化粧品には化粧水や乳液などの肌のお手入れのための基礎化粧品と、アイシャドウや口紅などのメイクアップ用化粧品があることを知りました。

これからは高校を卒業してそれぞれの社会に出ていくのだから化粧をすることになるという説明でしたが、私の通っていた高校はほぼ全員が大学か短大に進学することになっていたので、私は暢気に大学生でもお化粧するのかしらなどと思いながら説明を聞いていた記憶があります。

驚いたのは最後に商品の値段を聞いた時で、基礎化粧品とメイクアップ商品の両方入ったスターターセットは3万円だということでした。そして、もし金銭的な余裕がないのであれば、メイクアップ商品は後回しにして、せめて基礎化粧品だけでもお買い求めくださいと言われました。

私には3万円という大金を化粧品に使えるような余裕はまったくありませんでした。でももし何かを購入するとしたらアイシャドウと口紅かなぁなどとぼんやり考えていたのですが、まずは基礎化粧品をと言われて、結局、口紅一本も申し込むことなく体育館を後にしました。

◇ ◇ ◇

それからしばらく経って、いつものように仲良しの友人の家に遊びに行ったら、その子はちょうど届いたばかりという化粧品のスターターセットを広げているところでした。友人は女子高から短大に進学が決まっていました。女子高でも同じように体育館で化粧品会社の説明会があったということでした。

女子高ではほぼ全員が何かしらを購入したと聞きました。私は値段が高かったから何も注文しなかったと話すと、友人に、え? 大学の入学式はどうするの? お化粧しないで行くの? と聞かれました。そうか、大学の入学式にはお化粧して行くものなのかと妙に感心したことをよく覚えてます。

きれいなポーチに入った化粧水の瓶やクリームの容器、フタを開けると鏡のついているコンパクト、それにキラキラ光るアイシャドウや口紅を、友人は見せてくれました。母の使っている化粧品とは大分様子が違い、いかにもフレッシュスタートという感じでした。

私は体質なのかニキビに悩まされたこともなかったので、まあ、なくてもいいかな、必要性を感じたらあとから買えばいいくらいに思い、大学の入学式にも化粧することなしに出席しました。そういえばあの日、周りの女子学生が化粧をしていたかどうかの記憶はありません。

◇ ◇ ◇

実際の化粧や化粧品よりも、私にとってずっとずっと魅力的だったのは、化粧品会社のコマーシャルでした。

最初に私の心ときめかせのは、中学3年生の秋、1974年資生堂の秋のキャンペーンの「海岸通りのぶどう色」というキャッチコピーのCMで、欧州の街並みを思わせる葡萄色のテレビ画面からは「憧れ」が匂い立つようでした。このCMが流れると、何をしていても手を止めて画面を見つめたものでした。

1976年、高校2年生の秋の資生堂のキャンペーン「ゆれる、まなざし」(Youtubeはこちら)は私にとって衝撃的でした。小椋佳の歌に合わせて、切れ長の目元の美しい女性が画面に登場しました。真行寺君枝でした。のちにわかったことですが彼女は私と同い年でした。なんとも妖艶で、一度見た人の心を捉えて離さないような魅力の持ち主でした。

ちょうどこの頃、70年代中頃から、春夏秋冬のキャンペーンに合わせて各化粧品会社が工夫を凝らしてCMを放ち始めました。

1973年、中学生の頃、大瀧詠一の三ツ矢サイダーのCM(Youtubeはこちら)に胸躍らせたのが始まりでしたが、当時、テレビコマーシャルからは、新たな時代の息吹を感じました。

1977年、高校3年生の春には尾崎亜美の「マイピュアレディ」(Youtubeはこちら)がヒットしました。画面には可憐な小林麻美が登場していました。「♪ あ、気持ちが 動いてる たったいま 恋をしそう」というフレーズが印象的でした。

同じ年の、カネボウの夏のキャンペーンで夏目雅子がクッキーフェイスというキャッチコピーで輝くように登場したCM(Youtubeはこちら)も忘れられません。街中に夏目雅子の健康的なビキニ姿のポスターが溢れました。

1978年春、いよいよ私自身が高校を卒業し、化粧品会社のターゲット顧客層となった最初のCMで使われた曲が、冒頭で紹介した「春の予感」でした。なんだかこの曲は、私たちが高校を卒業して社会に出る応援歌のように感じていました。あの頃の全国の大学進学率はまだ3割を超えた程度でしたから、高校を卒業すること自体が社会に出ることを意味していたように思います。

1978年夏、大学に入った年のキャンペーンは、資生堂は矢沢永吉が歌った「時間よ止まれ」、カネボウはサーカスが歌った「Mr.サマータイム」で、どちらも大ヒットしました。これらの曲を聴くと一気にあの時代に引き戻されます。

それからも、堀内孝雄「君の瞳は10000ボルト」(78年秋資生堂)、ツイスト「燃えろいい女」(79年夏資生堂)、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」(79年秋カネボウ)、竹内マリア「不思議なピーチパイ」(80年春資生堂)などなど、他にも数多くのヒット曲と共に化粧品のCMは花盛りとなっていきました。

◇ ◇ ◇

大学生になってからも、学費や生活費を稼ごうとアルバイトを掛け持ちしていた私にとって、あいかわらず化粧とは「テレビの中の美しい人々がほどこすものであって、まったくのひとごと」でした。しかし遂に、そんな私でも口紅を買う日が来たのでした。それもやはりCMに影響を受けてのことでした。

1981年春、カネボウの春のキャンペーンは、矢野顕子の「春咲小紅」でした(Youtubeはこちら)。作詞は糸井重里、作曲と歌は矢野顕子で、編曲にはymoymoと名乗ったYMOのメンバー、細野晴臣・坂本龍一・高橋ユキヒロ・松武秀樹・大村憲司・矢野顕子らが勢ぞろいしていました。

あの頃の私は、YMOのトレーナーを着て初めてのパスポートの写真を撮ったくらいでしたから、この曲にすっかり夢中になりました。そしてこの時のキャンペーンタイトルは「春咲小紅ミニミニ」で、通常の容量を半分にしたミニ口紅を、値段も半分以下に抑えて売り出すというものでした。

調べてみると、一般的な口紅が2,800円だったにもかかわらず、ミニ口紅は1,200円という破格の値段で売り出されており、アルバイトに明け暮れて万年金欠病だった私にも手の届くものでした。初めて買った思い出深い口紅です。

◇ ◇ ◇

実際の化粧品はほとんど手に取ることもなかった私ですが、CMにはますます興味が湧いてきました。ある時、日本天然色映画という広告制作プロダクションが一般向けに過去のCMを特別上映するというので出かけて行ったら、あの憧れの「海岸通りのぶどう色」や「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが…」というCM(Youtubeはこちら)も上映されていて、私は大感激しました。

その場にいた日本天然色映画の社長に、どうやったら入社できるのでしょうかと直接聞いてみましたが、うちの会社に興味を持ってもらえてすごく嬉しいよと言われただけでした。結局、この会社にはご縁はなかったようで、入社試験を受けることもなくただの憧れで終わってしまいました。あの頃は、時代を作り出すような仕事に憧れていました。

◇ ◇ ◇

ある調査によれば、半数以上の男子高校生がヘアケア、スキンケアに興味を持つ時代が到来しているようで、令和の時代、口紅一本も持たない女子学生など絶滅危惧種になっているかもしれません。

日差しのトーンが変わり、沈丁花の香りが漂い、近所の庭先に水仙の花を見かけるようになると、つい、♫ 春の予感 そんな気分〜と口ずさんでしまいます。


<再録にあたって>
最近、電車の中などで少し気をつけて10代、20代の若者を見ていると、みんな実に身綺麗にしています。ヘアスタイルもきっと美容室でヘアカラー、パーマをしてもらったのだろう思う子がたくさんいます。18歳当時の私のように基礎化粧品とメイクアップ用品の区別もついていない若者なんていないのかもしれません。

それでも、不安と期待を胸に社会に踏み出していく若者の思いは、いつの時代も変わらず、新しく迎える春の高揚感はきっと同じなのではと思っています。


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