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0円生活終了!!

2022年8月3日、1年間に渡る0円生活は幕を閉じた。長かったような短かったような、楽しかったような辛かったような1年間。お金を使うようになったここ数日のことも含め、振り返ろうと思う。

なぜ、0円生活だったのか

これは、この1年間幾度となく人に聞かれ、一度もうまく説明できた試しのない問い。
きっと人に納得してもらえるような理由というのはなく、お金ってなんだろう、もし無かったらどれくらい困るんだろうどれくらいラクなんだろう、とふと疑問に思ったのが始まりだったのだと思う。まるで朝トーストにバターを塗りながら、「あれなんで自分、朝ごはんはトーストにバターなんだろう?」って。
一年の中で、これが本当の動機なんじゃなかろうかと思い当たるものにも出会った。たとえば、自分は仕事をしてお金を稼ぐ生活が嫌で、お金から離れたモラトリアムが欲しかったんじゃないか、とか、資本主義の世の中に疑問を呈するべくこのプロジェクトをやっているのだ!、とか。
でもどの理由も後付けで、はじまりはちょっとした悪ノリというか、好奇心からだった。

0円生活やめてやる!moment トップ3

「0円生活しています」と人に言うと、返ってくる反応はさまざま。でもみんな私の考えに賛同してくれ、あまりネガティブなコメントをされることは少ない。ここで敢えて、0円生活なんてやめてやる、って拳を握りしめた瞬間を晒しておこう。

第3位 地元でusaginingen さんのライブがあったとき

コロナのせいで音楽ライブや舞台公演が少なかったのは、ある意味ラッキーだったかもしれない。ライブや舞台って、その時その場所でしか出会えないものと思わせるマジックがある(というか事実そうなんだと思う)から、こういったイベントに参加できないのは辛い。

第2位 旅したいとき

高校卒業して以来、同じところに留まることができない症候群だったから移動範囲が狭まったことはかなり苦痛だった。ただ時間を追うにつれて少しずつ範囲は広がり、京都までならヒッチハイクや自転車で行くようになった(一回京都から歩いて返ってきたら24時間かかって死ぬかと思った)。交通費さえ支給されれば東京にも行ったので、これも辛かったのは最初の方のみ。
逆に、旅するように、近所を歩くスキルが身についた。これは現代における必須サバイバルスキルだと思う。

第1位 初めの1ヶ月、1日1食で生活していたとき

初めの1、2ヶ月は、毎日「なんでこんなことしてるんだろう」と栄養不足で働かない頭を使って考えていた。0円生活直前に手伝いに行った農家さんでもらったズッキーニを糧に、兵庫区から三宮のバイト先まで往復2時間弱かけて歩く日々。なぜか便秘と下痢のダブルヒットで腸内環境は人生最悪。1日2食食べられたらこの上ない贅沢だったあの頃、一気に6キロくらい体重が減った。
シェアハウスのハウスメイトさんたちや西村組の人が助けてくれてなかったら、早々に0円生活を辞めていたかもしれない。

でも実は、これらはどれも初期のものだ。だんだんと、「0円生活してるからできない」から「0円だけどなんとかできるかも」という思考回路になってきて、それは楽しい経験だった。人間の成長ポイントは分からない。竹の節のように、通り過ぎて振り返ったらわかるものなのかも。

お金生活に戻ってみて

お金を使える生活に戻って一番初めにしたかったこと、それは、みんなにご飯を奢ること!4日の夜、西村組で焼肉に行った。コンビニのATMで1万円おろしたら「全員分奢るなら1万円じゃたりひんで!」と言われ、お金の感覚を取り戻すのに時間がかかりそうな予感を覚える。焼肉おいしい。
0円生活が終わったら何にお金を使おう、服買いたいなあ、靴も欲しいし、本も欲しいのあったんだよなあ、と想像妄想を膨らませていたけど、0円生活後の数日間、使ったお金はほとんど全部人とご飯を食べたり人に何かするために使っている。物を買えない生活が長すぎていきなり何を買っていいのか混乱しているせいもある。お金が使えるようになって感じたことは、いちばん気持ちのいいお金の使い方って、他人と時間や経験を共にするために使うことだ。お金がなくても人と時間を共にすることはできるんだけど、お金を使うことでそのハードルは低くなると思う。


お金を使ったこと

では肝心要の、1年間お金をまったく使わなかったのか、というところ。以下が、0円生活の中で稼いだ/使ったお金の内訳。正直に言ってしまう、現代でお金を全く介さない生活はわたしには無理でした。

・2021年8〜11月アルバイト収入 ¥180,000×4
・ちょこちょこアルバイト収入 ¥20,000
・病院・薬代 ¥2,990-
・精神療養のために三重の友人宅に逃避行 ¥10,000-

結果、お金がないと生きていけないのか

お金はないと生きていけない。
これがわたしの出したこの問いへの答えだ。でもこの台詞、絶望感や悲壮感に打ちひしがれながら言っているわけでも、苦虫を噛み潰したような顔で言っているわけでもなくて、「今この社会で他人と生きていくなら、お金はないと生きていけない」と、暫定的な気持ちで言っている。とりあえずの答え。
京都でお世話になっているある尊敬するダンサーが、「正解というのはなくて、ただ美学がある」と言っていた。お金にも当てはまる。それは特に、101人にお金に関するアンケートをして感じた。お金の稼ぎ方や使い方、お金との関係に正解なんてなくて、ただ個人個人の美学がそこにある。お金は考えても考えても実態に辿り着けないフシギなもので、でもその役割は、使う人の価値判断を示す、それ以上でもそれ以下でもない。
わたしはこのことに気づくために0円生活をしたんじゃないかと思う。

そして気になるモモコのコレカラ

は、未定です。0円生活が終わりワタナベモモコという人間の全アイデンティティーが剥奪されたような、それは大袈裟だけど、これからのことはこれから決めます。0円のモモコが、次はナニのモモコになるか、お楽しみに!
(ちなみに、「0円生活の次はサラ金生活かなあ」と言ってみたところ周りの人に全力で反対されましたので、その方向には行かないみたいです。ご報告まで。)


そして私の0円生活にご協力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。ご飯食べさせてくれた人、家に住まわせてくれた人、服をくれた人、話を聞いてくれた人、話をしてくれた人、インスタの投稿を見てくれた人、アンケートに答えてくれた人(なんと101人!!!)、このブログを読んでくれているアナタ、その他本当にさまざまな方法で助けていただきました。伝えきれない感謝です。届け届けと念じながら書いてます。では投稿します。届け!

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