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「才能を語れるほど、努力したか?」

タイトルは自分がかねてより尊敬する方の言葉なんですが、同じようなイメージの表現は将棋界でも(特に最近)よく聞かれます。

タイトル戦20連勝で史上最高記録を更新、さらに今年(2023)度は年間勝率でも史上最高率を更新するかというくらい勝ちまくっている藤井聡太八冠に対して「才能」を持ち出すのは、じつに直感的(英語だと、"That's human"というところ)です。

それでも、彼に負けてしまうのは自分の才能が劣っているせいなのか、それとも努力が足りていないからなのか、と自問する。もっと自分が頑張りさえすれば、勝つ筋が見えるのではないか、と。こういう言説が、プロ棋士のインタビューでは頻出します。そして、それを裏付けるかのように、人間離れした努力から「軍曹」と渾名される永瀬拓矢九段が2/10の朝日杯オープン戦決勝で藤井八冠を降して初優勝を飾りました。

この流れを汲んで、最近自分が講師を務めるリーダーシップ研修では「才能か、努力か」という論点をいつも取り上げるようにしています。

「生まれつきの才能なのか、それとも努力で身につけるべきスキルなのか」これは実務のみならず研究の分野でもつねに議論の対象となるテーマで、それを考えるときに上記の棋士の先生方の言葉は深い示唆を与えてくれます。

たとえば、才能を言い訳にして「自分は”リーダー”(なり、”学者”なり、なんらかの「◯◯」)に向いてないんですよ」というのは、努力による成長の可能性を軽視していないか。

一方で、やればできるからと「オマエができないのは努力が足りないからだ」と言い切るのは、本人の責任の範疇外にある生来の環境や偶発的要因を無視してしまっていないか。

どちらの極に振ってもおそらく妥当性が損なわれるこの二つの言説の、一体どこに中庸たるバランスを求めるのか。これは、将棋やリーダーシップに限らず、ビジネスでも研究でもふだんの生活における営みでも、ありとあらゆるシーンでにじんでくる問いなのかなと思います。

「才能か、努力か」 皆さんは、どう思われますか?

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