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推し活DAY ~INFJの2人~


先日行きたいところがあり、数日前に日帰りで東京に行くことを決意。

行きたいところとは、推しがYouTubeで少し触れていた神社だ。お守りをお財布入れている、私の推しは、「よくない縁は切れた気がする」と言っていた。そのYouTubeをみてから、その言葉を聞いてから、ずっと気になっていた。なんとなく、今の自分に必要な気がした。

どうせ東京に行くならば、推し活がしたいと思い、Instagramでカフェを探していたところ、とっても可愛くて映えそうなカフェを発見した。

このカフェで、可愛く写真を撮ってSNSにあげたら、くぅちゃんきっと喜んでくれる気がする。嬉しいって思ってもらえる気がする、そう思ってそこのカフェに行くことに。

初めは1人で楽しむ予定だったのだが、最近よく連絡をとっている子と直接会って話したい気もしてきた。誘ってみると、凄く喜んでくれて、推し活兼INFJ会の開催が決まったのだ。



カフェに到着してすぐに、お互いに持ってきた、推しのエッセイを並べて写真を撮った🤳

この時点でもう既に最高に楽しかった。


 頼んだラテアートとケーキがきて、2人で沢山写真を撮り、怒涛のSNS Time。

「くぅちゃん、見てくれるかな~?」

「喜んでくれるといいよね」

「くぅちゃん、インスタの方がみるからストーリーからあげよ!」

「Xにものっけよ~!」

と、楽しすぎる、幸せすぎる空間。


推しの名前が入った可愛いラテアート。名前を崩さないように、2人で細心の注意を払いながら飲むのが、すっごく楽しかった。

私たちの大好きなくぅちゃん。
最近はどうしてるかな、元気かな。
今日は仕事かな、大学かな、誰かと会ってるのかなぁなんて、想像しながら2人で話していると、やっぱりすっっごく会いたくなってしまった。

最後に会ったのは3月で、まだ少し寒かった。
オンラインお渡し会で、くぅちゃんが言ってくれた言葉を思い出しながら日々生きている状態だ。

「絶対また会えるように頑張るから、待っててね」

言われた時、ほんっとうに嬉しくて、オンラインお渡し会が終わった後も、何度も思い出しては涙しているぐらい。私にとって、大好きな子に会えて話せる時間はすっごく貴重だった。

最近では、いつ会えるのかなと考えては、私のことなんてもう覚えていないかもしれないと不安になり、距離が遠いことに、寂しくなってしまうことがたまにある。東京に来るたびに、くぅちゃんに会えるかもと期待して街を歩いてしまう。

“くぅちゃんに次会えたら何を話そう”

そんな事を考えて、次また会える日を想っている。

いつもなら1人でくぅちゃんのことを考えては、幸せになったり寂しくなったり、大好きが溢れては涙が出たり。でもこの日は違った。

「くぅちゃんのこと、大好きすぎるかも」と言うと、「ほんとにね」と笑ってくれる子が隣にいた。それが凄く嬉しかった。好きを共有できて、肯定してくれる。SNSで居心地が良くないように感じでしまっていた私にとって、それが今の私には凄く凄くありがたかった。

その子と2人で、推しのエッセイにも書かれていた、芸能の神様がいるという神社でくぅちゃんの活躍を祈った。そして、お目当ての神社に行って、自分自身のこれからを祈る。そして、どさくさに紛れて、くぅちゃんに会えますように、とも祈った。これは今のわたしの1番の願いだ。


その子といる時間は、久しぶりに疲れずに気を使わずにいられた気がした。外にいる時間はあまりにも暑すぎて、何にも考えずに会話をしすぎて「東京あっつい!」としか言ってないような気がするぐらいだ。

大好きなくぅちゃんの話や、SNSって難しいよねという話。それから世の中って生きづらいよね~の話。人間関係の話もした。おんなじINFJだからなのか、似ているところがある気がした。

初めてその子と出会った時は、歳も離れていたこともあって、緊張していたし、どう関わればいいのか試行錯誤していた気がする。明るくて元気な子だなと思っていた。けれど、話すたびに、嫌だと感じること、居心地が悪いと感じること、人との関わりにおいて本当はこう言う関係を築きたいというものが、ほぼ同じだと言うことに気がついた。

他の人が気にしないことを気にしたり、大丈夫かなと心配したり。そういうところまでが似ていた。

同じMBTIだからこそ、考えていることがなんとなく分かるし、分かりすぎるが故に、気を使い合ったり、気にしすぎてしまうこともあるのだけれど、そう言うことに全く気付けない、又は、気付いても気づかないふりをする。そう言う関係より全然心地が良かったのだ。


同じMBTIだからこそ、自分のことを話した時に、この子は絶対に否定せずに聞いてくれるという安心感もあった。

この日、その子と一緒に過ごしてみて、INFJという性格を客観的に間近でみてみると、INFJが少し好きになった気がした。自分のことを少し肯定できた気がしたのだ。

私は自分にしか絶対分からない、人には理解されないと思っていることが、きっと人よりも沢山ある。だからこそ、そういう部分を分かってもらえたら、お互いに分かり合えたら、やっぱりそれは凄いことなのだ。そういう人とこれからは出会って、繋がれたらいいな。

「良くない縁が切れる」
「厄除け」
「悪いことを遠ざけて、良い運を呼び寄せる」

こんなにも神社に頼り、又、信じているのは、生まれて初めてだった。そういうものに頼りたくなる歳なのだろうか。そして、自分にとっての、良くない縁ってなんだろうと帰りのバスの中で考えていた。


それは、自分が大切にしていること、想いだったり人だったり、信念だったり、そう言うものを貶したり笑ったりする人。そして、人を簡単に傷つけてしまえる人。そして誰かを傷つけていることを知っていながらもその人と平気で関われる、見てみぬふりが上手な人。見て見ぬふりだって傷つけていることと同じなのだ。少なくとも、私は見て見ぬふりをされることで傷つくから。
また、自分が傷つけたのにも関わらず、平気でその人との距離感を間違えてしまえる人そんな人との縁だ。


私は私。
他の誰でもない。

自分のいいと思うこと、嫌だと思うことを自分だけは信じてあげたい。

時に、逃げたり、離れたり、信じたりしながら。






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