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パニック障害になった時の話。あれはさすがに働き過ぎだった。そして猫を飼いました。

ある日の深夜残業中、
突然後頭部というか首裏辺りから
『ブチンっ!!!』
ってデカい音が聞こえた。
おそらく自分にしか聞こえて無さそうで、
聞こえた瞬間、これはもうおそらくぶっとい血管でも切れたのだろうと思い込み、何故か会社のみんなの前で死ぬ訳にはいかないと思い、誰にも何も言わずに途中の仕事をほっぽりだして1人家へと帰るのでした。

そのまま自分は永久の眠りにつくはずが、
次の日普通に目が覚めるのでした。

職場④がとにかく忙しくストレスの巣窟でした。
一応全ての職場、デザイナーとして働いていました
キリッ


この時【職場④】、
自分は異常なくらい働いていました。
大げさではなくリビングで寝落ちするしか寝れなくて布団で寝るという行為は出来ていなかったです。床とかソファばかりで寝てました。丸一年布団で寝ることは無かったと思います。
それなのに毎日働けている自分はやっぱタフだなくらいに思ってました。

そしてそのまま仕事を続けるものの身体の異常は続き、暑い寒いがわからない。これはずっとあって、この2-3年前にはこの状態でした。でもそれは太ってるせいだと思ってました。
あとお腹の空いてる空いてないもよくわからなく、おしっことかの排泄とかもしたいのかしたくないのかよくわからなかったように思います。

そしてまた日は過ぎ
しかし身体の異常は止まるところを知らず、
さらには、
ご飯を食べる際に口に食べ物を入れて噛むことをせずに飲み込んでしまうなどしてよく喉に食べ物を詰まらせ死にそうになるのでした。
何回か同じようなことが続き、そういえば噛んでないわと気づくのでした。


そして月日が経ってもずっと調子が悪く、何か変な病気になってしまったのかなという不安も付き纏うようになるのでした。そしてすぐに風邪をひいたみたいな体調の崩し方をして市販の風邪薬をしょっちゅう飲んでいました。そして嫁に『風邪なんて一年にそう何回も引く訳ないだろ』といわれ病院に行って詳しく検査してみたらと言われましたが自分は風邪のつもりなので風邪薬を飲むのと少し良くなるような気もしてたのでこれを続けるのでした。

しかしこの頃には忙しかった会社を辞めて別の会社で働き始め勤務時間も普通に戻りほぼ定時で上がれる仕事をするようになっていたのですが‥

身体の調子は良くなりませんでした。逆にどんどん悪くなっていきました。暑い寒いがわからないのはずっと続いており、ひどくなっていました。真夏の車の中でもエアコンをつけると悪寒が走る感じがして、体調悪いのかなと思い、真夏の車でエアコンを消した状態で窓を閉め切って運転をするという今考えればかなりの異常行動をするようになるのでした。


そしてついにある夏の日。


家でテレビを観ていたら(ちなみに24時間テレビでした地球を救う方の)急に動悸がして身体から力が抜けていく感じと貧血?みたいな感じ?
そんな状態になり、あと吐き気もあったような。
なんかこのまま死んでしまうような感覚に襲われ救急車を呼んでもらうことになるのでした。

歩くのもふらふらで救急車に乗る時も支えてもらいながら乗りどんどん気が遠くなるような感じがしていて早く病院に着いてほしいと思うのでした。

そして病院に着いて色々診ていただいたのですが、
原因がよくわかりませんでした。
実際、軽い脱水症状はあったとのことです。
※今覚えば暑いとかがわかってないので水を欲する的な感覚も無くなっていたのでしょう。


そして別日に色々な科で色々な検査をしたのですが、
詳細は分からず。多少ストレートネックみたいなのはあるからそのせいかなぁとか言われましたがめまいとかふらつきが出るレベルでは無いとの診断でした。


それから一、二ヶ月が経ち。
また同じような発作が起きるのでした。
この時も家でテレビを見ていた時だったと思います。
症状はほぼ同じで動悸と力が抜けていき、そして以前同様貧血が起きてる感じ。やっぱり身体のどこかですごい異常が起きてるに違いないと不安になり、動悸はどんどんひどくなり、ヤバい死ぬと思い、また救急車を呼んでもらうことになるのでした。

しかし今回は救急車が来た時点で安心をし、この時点で動悸が止み始める。そして自ら歩いて乗車。そして病院に着いた時に歩いて降車。
病院の先生に、
『歩いてるやん!なんで?』と言われるのでした。
自分でも『なんで?』と思うのでした。

そして診てもらったのですが、
特に何もみつからず。
薬だけ出してもらって、発作が起きる前に、首が突っ張る感じが毎回あったのでそのことを話したら筋肉を緩める薬をいただけたのでした。

そして次の日だったか数日後、
会社に行くのに身体の調子が悪かったので処方された薬を飲み家を出て、途中のコンビニで気合いを入れるかーって薬飲んだことを忘れてレッドブルをがぶ飲みしてしまうのでした。

そしてこれが悪かったのか遂に職場で発作が発症。
あわてて上司に帰りますと伝え車で家に帰ろうとしたのですが発作がおさまらず途中で車をとめ自分で救急車を呼ぶことに。 

そしてまたもや救急車で運ばれ病院へ。

色々診てもらったものの特に目立った異常は無いとのこと。



もうさすがにちゃんと調べてもらわないとなと思い次の日会社を休んで病院に。
2回目に救急車で運ばれた病院へ。

まずは内科の先生に診ていただき、
救急車で運ばれた話などもしながら話を聞いてもらう。そして内科の先生は一応思い当たる答えはあるのだけど一旦こっちの科の先生にも診てもらってなんていうか聞いてきてほしいと言われその科も受診することに。そしてそこで先生に言われたのが、
『最近、疲れてるんじゃないですか?』
という問いかけでした。
この質問で全てを悟り、
職場は変わって今は忙しく無いものの、
前の会社の時点でおそらく色んなものが壊れていたのだと思いました。
そして先生に、
『心当たりはあります』
と答え先生にメンタルヘルスにかかることを薦められるのでした。
そして内科に戻り先生にその旨を伝え、
紹介状を書くこともできるけどと言われたのですが、
自分で探して行きますと答えるのでした。
救急車とかを呼びまくりそれがなんか情けなくも感じこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思い自分で探すと答えた気がします。

そして会計を待つ間に、
自分がメンタルをやられるような人間だったんだなぁとか、これからどうしようかなとか、まぁ今までの仕事のハードワークを考えれば当たり前かとか色々な思いが流れたのを記憶しています。

そして嫁にメンタルヘルスに通えって言われたわ。とメールをしたように覚えてます。

そして家に帰り職場へ連絡して、
体調悪いのメンタルからだったみたいです。と上司に伝えたら『明日からしばらく休んでいいから。ゆっくり休んで!』と言われて。でも新しい職場では定時で帰れてたし本当にストレスがほぼ無かったので『すみません、多分前の職場のなごりで発症しました』と伝え、すみませんが休ませてもらいますと電話を切った。

でもメンタルって身体でいうとどこを治せば良いのだろうか?とか、いつまで休めばいいのだろうか。とか色んな疑問が。と同時に虚無感という絶望を感じたというか。
そしてまた発作が起きそうになる。
これはダメだと思い気を紛らわす為にテレビを観るのだけど何を観ても気が紛れるどころかちょっとしたことにも自分の感情が共鳴してしまうというかすぐに動悸がはじまってしまったりTwitterなんか最悪で他人を叩くような呟きでも見ようものなら瞬間に頭が重くなり過呼吸みたいなのが始まりそうな感じになるのでした。旅猿のDVDだけは少し観ることが出来たように覚えています。

そうやって苦しんでると、
飼っていた我が家の犬が心配そうな顔でしたからのぞきこんできました。
その時、すごく気持ちが落ち着くのを感じました。
まぁちょっとずつやってくしかないかと。

この時には早くメンタルヘルスの病院に行き先生に話を聞いてほしいという感情でドキドキしてしまう状態に。

困った状態になってしまったなと思うのでした。
でも次の日にはメンタルヘルスの予約を取れたので、
早く行かないとと思いながらも時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。

そして次の日、メンタルヘルスに1人で車を運転していったのですが、いつもの暑いのか寒いのかわからない現象が発症。でも前とは違い、メンタルからくるもので身体が内科的におかしい訳じゃないという安心要素もこの時にはあったので直ぐに落ち着くことができたのでした。

そしてカウンセリングと問診をしてもらい、
パニック障害と言われました。(この時おそらく34、5才)思い当たる点はありますかと言われて、
前職がこんな感じで極多忙でという話をして、
でも正直、職場を変えて一年くらいが経とうとしていた時だったので、こんな日をあけて発症することがあるんですか?的な事を聞いたのですが、はっきりとした答えはもらえなかった気がします。

でも自分が推測するに、
前の職場では忙し過ぎて自分の身体にも気をつかえないくらい間髪を入れずに仕事がらあったので発症する余地が無かったかのかな?と思いました。
そして職場が変わり、定時で家に帰れるようになってじわじわと身体が悲鳴を上げていたことに気付け出したのではないかと今では思っています。

そして薬を処方されたのですが、
先生に『自分の性格的に薬を飲んだら薬を飲んでる時しか安心できなくなりそうで飲みたくないです』と怒られるのを覚悟で告げると、先生が『わかりました。でも本当におかしくなったら直ぐにこっちのとんぷくを飲んでくださいね』とやさしく話を聞き入れてくれました。この言葉がすごく嬉しかったし、一気にここで先生の言う事を信用できるようになったのもすごく良かったのだと思います。そして一週間に一回くらいで通うようになるのでした。

そしてこの時カウンセリングを受けて何かを吐き出せたのかだいぶ気持ちが楽になっていくのがわかりました。

でもやはり1人になると勝手に頭が動いてしまい変なモードに入り出し、ゆるい発作が発動。動悸とかトイレに駆け込んで嘔吐とか。
でももうこの時には、こいつと付き合ってくしかないという覚悟を決めはじめていたので軽い発作が出てもコレはメンタル、内科的な病気ではない!と自分を安心させオエオエ吐いて落ち着くまで待つのでした。

そしてこの初診の次の日かなんかに嫁が東京に好きなアーティストのライブを見に行く予定が入っていたのですが『行っちゃダメだよね?』って言ってきたので、いや別に行ってきていいよと伝えたのですが、嫁としても旦那がパニック障害と診断されて昨日の今日で東京にテンパレイのライブ観に行ってくるわとは言いづらかったみたいで。『ほんといいよ、行ってきなよ』と自分も音楽が好きなだけにそのライブに行けないというのがどんなに辛いかは痛いほどわかるので心の底から行ってきなよと思うのでした。
そしたら嫁はまさかの答えを出すのでした。
『一緒に行くか』と。
一瞬本当に、えっ?は?と思ったのを覚えてます。
発作と付き合っていくしかないと覚悟を決めたもののやっぱりまだ発作が急に出てしまうのが怖かったし、間違いなく愛知から東京までに出るのに発作が何回も出るだろうし、迷惑かけそうで嫌だなと思ったものの、まぁちょっとずつ外に体を慣らすことは大事だよなぁと思ったけど、全然ちょっとずつじゃねぇわと思いながら、当日券もあるらしいから行こうという話になった。

そして半ばゴリ押しで東京へ。
案の定移動の新幹線で動悸。
駅で発作。トイレへ駆け込み吐く。
タクシー乗る。発作。途中下車。
嫁の機嫌が悪くなる悪くなる。
だから言ったやんと思いながらも。
ライブハウスめがけて移動。
そして近くの喫茶店で休憩。
すまんと謝りながらお茶飲んで落ち着く。
そしたら喫茶店の横にアートスペースを発見。
ついで嫁に見ていこうかと言い、
展示を見に行き、そしたら結構インパクトのある作品で発作が発動。嫁に『ちょっと無理だった』とつげ早々と自分だけ外へ出る。
自分でもまじかぁと思いながら凹みながら空を見上げる。
嫁が出てきて近くに寝転べまる広場があるのを発見。
ライブまで少しここで寝てるわと告げ別行動に。
空も晴れててすごく気持ちよかったのを覚えてます。
うーんむずかしい身体になってしまった。と。
そしてライブを観て。テンパレイとオーガユーアスホールを観ました。ここでも例外はなく途中からトイレにこもる。
なんだかんだ発作は起きてしまうものの楽しめることは楽しめるという事に気づける旅でした。

そしてまたメンタルヘルスに通い、
東京へ行ってきた話もして『荒療治だね』って先生に笑われて一緒になり笑い、薬も飲む事なく過ごせている事も伝えました。
そして何回目かのときに先生に『仕事は多分ストレスじゃないので職場復帰してしても良いですか?』と伝えると大丈夫?という感じで辛かったらすぐ休むんだよと言われながら職場復帰を決意するのでした。
そして通院も月一とかになっていくのでした。

で職場復帰前に一個試しておきたいと思い、
地元の友達を家に誘って友達とだったら長時間でも発作出ないかなと思い、実はパニック障害になってさーみたいな話をして家に遊びに誘った。
お茶飲みながらまさか自分がこんな風になるなんてさって友達もビックリしていたけど、中学時代からの友達なのでなんにも発作も起きず、発作とは正反対のところに感情があるくらいでした。
さすが親友と思いました。
友達もみんな家庭を持ってあまり合わなくなっていたのでたまには会わなかんなぁとか言って解散。

なんとなくコレなら行けるかなと思った記憶。

で職場復帰して職場の人にも、
『まだ頭バグってしまってるので迷惑をかけるかもしれませんがよろしくお願いします』と改めてあいさつをして復帰。

でそのまま途中で休むことなく仕事を続けて、
半年くらい?かもう少し?メンタルヘルスに通った時には先生から大丈夫そうかなと言われて、また悪くなったら直ぐに通ってねと言われ今に至ります。

最後にメンタルヘルスに行ってからもう5、6年経ちます。でもあえて完全に治るものでも無いのかなと思うようにし、無理すればまた起こりうるだろうなと常に思うようにしてます。

なんとなく自分の体感からパニック障害は頭のバグなのかな?と思いました。頭の回路が断線とか混線してしまい正しい判断ができなくなる感じ?本来の回路ではなく別の回路を伝ってしまう感じ?
なので暑い寒いもわからないしお腹空いたのか空いてないのかわからない。そのわからない状態のまま行動とか生活をしてしまい実際体調も崩す。そしてなんで体調が悪いのかもわからないまま不安がたまっていく。不安のスパイラルというか。
こんな感じですかね。

メンタルと聞くと自分とは無縁なのかなとか思っちゃいがちですが頭のバグと聞いたら誰にでも身近で無理をしていれば誰にでも起こりうるとイメージできるのではないでしょうか?メンタルと言う言葉が少しミスリードをしているような印象を自分が実際なって思ったことでした。

なので無理のしない日々を続けて、
普通に楽しむことは楽しんで心許せる人とは会って話などをしていると混線していた回路も解け断線していた回路も正常なところに繋がっていく感じがし回復していったように思います。

そしてパニック障害と診断されて自分が真っ先にやったことは元の生活に戻らない事。
そのために
①無理をしない事を決めました。
②あと夜は出来るだけ布団で寝る。
③あとは昔から夢を見ていた事を実現させました。

【猫のいる生活】

さすがにこの状態で嫁も反対しないだろうなと思いパニック障害と告げられた直後に嫁に『猫飼いたいんだけどさ』と打ち明けるのでした。



まあ兎に角、



人間は生身なのです。
皆様もご無理をなさらぬよう。
タフな人間なんていない!!!
と思ってよいでしょう。




次回『現代でいうアンダーグラウンドとは。サブカルチャーとは。メイン・サブ・カウンターカルチャー/区分けはあるのかそもそも昔のサブカルチャーよりも現代のカルチャーはそれぞれがアンダーグラウンドなのでは?』です。

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