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DJをやっていた若き日の私の話

二十代前半から後半にかけてDJにハマっていた時がありました。

最初は幼なじみの友達がDJをやっていて、練習しに行きたいから付き合ってと言われ、DJの練習ができるサウンドBAR エムズというお店に出入りするようになるのでした。

名古屋の女子大小路と呼ばれる、ラッパーたちがラップバトルをやっているでお馴染みの池田公園が近くにあり、一応、栄になるのですが名古屋の淀みと言って過言ではないでしょう。
多国籍な方々が夜明けまで元気に闊歩している街になります。
※そんな街なので幼なじみの女友達が用心棒として私を手配したのだと思います。しかし私はチキンなので何かあったとしたらその幼なじみを置いて走って逃げていたことでしょう。

そして気づいたら幼なじみが居なくても一人で通うようになっていました。
この頃は仕事が忙しく、日付超えても働いていることが多かった為、AM2時3時に行っても誰かが1人、2人いるこのBARの居心地がとても良かったのを覚えています。誰かいるかなぁみたいな感覚で夜な夜な通い誰かがいれば明け方の閉店までおしゃべりしたりして。

店主はモモさんという女性の方だったのですが、
年上のお姉様で自分の様なクセの強い人間でも気さくに話をしてくれてそれもまた何度も通ってしまう要因となっていた様に思います。
なのでお店行ってしゃべり相手がいなくても結局モモさんと明け方まで話をしてお店の戸締まりをしてモモさんを家まで送り届けるとかをするくらい仲良くなるのでした。

そのうちこのお店を通じた知り合い・友達も増えだし、気づいたら自分もそのお店でDJの練習をさせてもらうようになっていました。
基本は店主モモさんがハウスの音楽が好きな方だったのでハウスのDJの人の出入りが多かったように思います。

そんなお店で私はDJの練習、ぼくにもやらせてください!といい爆音でボアダムスとかを流すのでした。

そして店主のモモさんから、
『ラリーくんがDJするとお客さん帰っちゃうw』
とすごい嫌がられるのでした。

でもさすが名古屋の淀、女子大小路、
『ラリーくんのDJいいね!』
と絶賛してくれるお客さんも多数あらわれるのでした。
※女子大小路という街はDJイベントができる箱がたくさんありBARのお客といったらDJが多い、そんな街なのでした。なのでプロお墨付きみたいなものなのでした。
JBsとかドミナ、ドーターとかあとタイトロープの上だったか下だったかのお店とか。あと国道41号線を渡っていけばブッダとかシヴァとか有名なお店が点在するのでした。

そして自分でもDJイベントやってみるか!と思いイベントを始めるのでした。
最初は自分は社会人だったのですが周りは大学生だったため、お客さんもそれなりに呼べるイベントでした。なので色んな箱でイベントをさせてもらった記憶があります。
でも基本どの箱もノルマ制なので結局ほとんどの箱で赤字を叩き出すのでした。
友達も大学生ばかりでお金を持ってなかったので基本自分でケツ拭くスタイルでやっていたので楽しかったですがお金はバンバンなくなるのでした。
でも社畜だった為、お金を使う時間がない為、
Payできてしまうのでした。
※このイベントをやることがきっかけでラリーと名乗りだすのでした。

その頃流していた音楽がこの辺り。

ここら辺ですね。
ここら辺をロングミックスでかけたり
4チャン使ってアナログの方でも音出したりサンプラー繋いで変な音混ぜたり、でもサンプラーの音量コントロール出来てなくてお店のスピーカー飛ばしそうになって嫌な顔されたり。

楽しかったですねー
そんなこんなしていると、
VJをしていた嫁と出会うのでした。


それはまた別の話。


次回『焼肉、ホルモンはなぜ上手いのか?赤だしは解毒作用がある?』です。

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