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幼少期の習い事。音楽家ロッテンマイヤー

私は子供の頃、習い事を何個かやっていました。

通っていた習い事は下記になります。

・ピアノ…保育園の年長〜小6
・そろばん…小4〜小6
・ソフトボール…小3〜小4
・英語教室…小6〜中3
・絵画教室…中1〜中3

色々通わせてもらっていました。

まずソフトボール。
これは途中でなんかよくわからない病気になり
ドクターストップで辞めることとなります。
この頃、子供ながら食事制限もあり学校にお弁当を持って通っており給食の時、自分だけお弁当を食べているという優越感を味わう小学生活を送っていました。

そしてそろばん。
そろばんは特に向いていなかったです。
集中力も無く、そろばんを使おうが計算が合うことはなかったです。そろばんの先生からスーパーファミコンを借りれたのが良い思い出です。

ピアノ。
ピアノは長い間やった割にはあまり上手くならなかったです。グレード11級で終わりました。その当時は一応グレード11級があればその当時の保母さん、今で言う保育士さんの資格がとれるレベルだったとおもいます。グレードもヤマハとカワイで難しさが違うと言う話で、私は難しい方のグレード11級を合格したはずです。難しい方のグレード11級です。
バイエルで言えば下巻まで終わりました。
絶好期は初めて見た譜面でも間違えることなく弾けました。ピアノの先生がめちゃくちゃ怖い女性の先生だったのですが、全く練習もせずに教室に行き、また今日も怒られるのかと思い、弾き始めたらミスらず弾けて先生に『たくさん練習してきた?良かったよー』って言われてラッキーって思ったという経験があります。

英語は教えるのが上手い先生のところに行っていたのですごく中学の間は英語は得意でした。生徒の人数も3-4人の教室だったのですごく丁寧に教えてもらえるのですごく充実した習い事でした。
しかし学校での生活態度が悪かったのと提出物を何も出していなかったのでテストの点がすごく良かったのに内申点が3よりあがることは無かったです。
塾の中でもテストの点が良かった方なのに他の子は4や5がついているのに自分は3という。
ここら辺で卑屈な性格・世の中に斜に構える性格を開花させるのでした。

絵画教室は仲の良かった友達の丹羽くんと通ってました。丹羽くんは丹羽良徳くんといって現在オーストリア在住で芸術家活動をされてます。
良い友達と絵画教室に通えてたなぁとしみじみ。
教室もむちゃくちゃ特殊な絵画教室で設計事務所の営業が終わってから場所を借りてやっている絵画教室で、子供の部と大人の部に分かれていて、子供の部と大人の部の間におやつタイムがありみんなでお菓子食べながらファンタとか飲んでおしゃべりをするというすごくおもしろい教室でした。大人の方はそこでお酒を飲みながら楽しく絵を描いていました。
私たちは中学生なので子供の部でも大人の部でもどちらでも参加できたので他の習い事と予定が重なる時は大人の部に行くとかフレキシブルに通わせていただいておりました。
ここで学べたことは大きかったのかなと思いましたが、丹羽くんと絵の下にひく新聞紙のテレビ欄をみながらケラケラバラエティ番組の話をしてるだけの時とかもありました。
その頃、勢いがあったのはたしかロンドンブーツ1号2号で暴ロンブーとかロンブー龍がやってた頃だったと思います。記憶違いかも知れませんが。

そして丹羽くんとは高校時代に一緒にバンド活動をやることとなるのです。
丹羽くんはベース。自分はギターをやるのでした。


なので私はピアノも弾けるしギターも弾ける。
何気に音楽家なのです。

でも実際のところは今やピアノも弾けないし、ギターはそもそもひとつもコードがわからない。譜面もTAB表でしかわからないという残念な感じです。
でも頑張ればそれなりに弾けるんじゃないかと思っております。


また何か楽器はじめようかな。


と言うことで次回『ゴールデンウィークスタート。リアルタイム日記。第一弾』です。

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