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人間の多様性の必要性がNHKの「サイエンスZERO」西之島の話でストンと腑に落ちた話

今回は、人間の多様性についてのお話です。「小児」「看護」とは間接的な関係ですので、私の専門とする部分を直接的にアウトプットする話ではないです。

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仕事柄、いろんな人とその人生に深く接することがあります。本当にいろんな人がいるなぁって思います。

私はHSP(敏感すぎる人)で生きづらさを感じることもよくあります。私の他にも障害や気質、疾患などで生きづらさを感じる人もたくさんいるでしょう。

例えば私は音や光、他人のちょっとした言葉が他の人は気にならないのに自分はすごく気になったり、嫌な気分になったりすることがあります。そして自分の敏感な部分を他の人と比べて「嫌だなぁ」と思うこともよくあります。

そういったことに対して「みんな違っていい。個性であって、自分は自分。そのままでいいよ」みたいなメッセージをよく見かけるのですが、正直私自身はその言葉をあまり受け入れがたい気持ちでいました。

なんとなくキレイゴトを言われているような気がしたのと、自分が嫌だなぁと思っている気持ち自体がそんなキレイな言葉であしらわれて、ちゃんと認められていない感じがして。

人の多様性、つまり誰かの個性を認めるということって「まぁほら、あの人はああいう人だからね〜」で流せちゃうようなことなのかなぁとも思う。その人はそれで当たり前で、その人を変えようともせず、「こうあるべきなのに」と咎めたりもせず。(もちろん犯罪行為や明らかなマナー違反はダメですよ)

それを、他人のことは割とそうやって受け入れられても自分のこととなると個性だとあまり認められないでいました。また、自分の子どもも自分の好きじゃない部分と似ている(繊細すぎたり、細部にこだわる)部分は、自分の見たくない部分を見せつけられているようで、「これがこの子の個性だ」「この子はこういうところあるから」とそのまま受け止められずにいることもあります。特に疲れているときなど。

ところが。
先日、NHKの「サイエンスZERO」という番組を見たことをきっかけに、人類にも多様性が必要だったということがよ〜〜〜くわかり、自分の生きづらいこの気質も、ひいては子どもの行動も「こんなもんだから、仕方ないな」とちょっと思えるようになりました。

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それは、西之島の生態を調査するという内容でした。

西之島は皆さまご存知のとおり、2013年に突然噴火し、どんどん島の面積を広げていきました。もともとあった敷地も少しだけ残ったのですが、大部分は溶岩に覆われました。そして、島自体は大きくなりました。

もともと島にはある鳥が住んでいたのですが、もともとあった敷地は小さくなってしまい、鳥は何らかの行動を余儀なくされたわけです。そこで鳥の行動は二手に分かれました。

もともとあった敷地に残る組と、新たにできた土地に進出する組です。

残る組は、今までと環境を大きく変えることなく暮らすことはできますが、狭くなった分、隣の巣とはかなり近くなり暮らしにくそうでした。

進出組は、領地争いはせずに済みますが、新しい土地は溶岩が冷え固まった土地なので硬く尖っていて、足を踏み入れることで怪我をしたり命を落としたりすることもあるようでした。

そして、どちらがいいのか今の段階ではわからないらしいのですが、こうやって同じ種族の中でも違う行動をする個体がいることで、個体が例え死んでしまっても「種」を絶やさないようになっているのだ、つまり、多様性が必要と締めくくられていて

ズド━━━(゚ロ゚;)━━━ン!!

と私の中に突き刺さったのです。

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今までも「これまで人類が生き残ってここまで文明が発達できたのは多様性が〜」みたいなことを何度か耳にしたことはありましたが、「うんまぁそうだろうけどさ…」みたいな感じで、ちょっと消化不良でした。納得できなかった。

しかし、今回のこの番組を見たことですんなりとそう思えたわけです。

だから、みんな違っていいのか!!!これは、もう、みんな違うようにできてる人類のプログラムみたいなもんだから仕方ないな!と。

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私は内向型HSPのようで、人付き合いが苦手です。インドア大好き。自分の内側や能力を伸ばすこと、技術を獲得すること、知識を増やすことに興味が向くタイプです(興味のある分野にだけ!)。アウトドアな遊びは、楽しいのだけど疲れすぎるので頻度は控えめにしたい。

友達は、すごく信頼して仲良くしている親友がほんの少しだけ。狭く深く、友達少ないタイプ。夫が親友みたいなところもあって、友達と会わなくても平気なのです。もちろん、親友と話したりラインとかするのは楽しいけど、たまにでも充分。会えなくて辛いわ〜みたいにならない。

人間って基本一人では生きていけない生き物らしいのだけど(誰かとの関わりが心の栄養になるらしい)、この「人と会わなくても平気」な特徴が、人間にとってなんの役に立つのかしら…。ってずっと思ってたんです。

それが。

これよ!!!これ!!

きっと太古の昔から、こうやって生き延びる人間は必要だったんだ!

ついついリプ送りました笑

私の存在意義がわかったぜ!笑

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さて、では何故ずっと「多様性は必要だ」と頭で理解しながらも今まで受け入れられなかったのに、今回すんなり受け入れられたか分析してみました。以下のような結論に。(想像ですが)

1.自分の意思でサイエンスZEROをみた(誘われたわけでも、見せられたわけでもなく)ので、番組の内容を吸収しやすかった

2.順を追って段階的に生物の行動範囲の拡大を具体的に知ることで多様性の必要性をじっくりと考える機会を持てた(新しい知見)

3.今までの知識と新しい知見を得たことで自分のものとなった。(知識の点と点が繋がると面白くなる)

4.今までの自分の悩みに明確な意味を持たせることができて、自分のストーリーに昇華することができた(これは悲しみや喪失などを乗り越えるのに必要な経緯)

多分こんなことかなぁ。

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そんなサイエンスZEROですが、なんと偶然にも週末再放送があるらしいです!

ただ、残念ながら放送されるのは2回目のお話。第1回はもう終わっちゃったのかなぁ。残念。

あの鳥の話は第1回だったのかもしれないけど、第2回もとても興味深かったので是非見ていただきたいです。生き物って、面白い。

みんな違っていい!!!これは、もう、みんな違うようにできてるプログラムみたいなもんだから仕方ない!

っていうことが子どもたちみんなにも言えたらいいな。「あの子の、今の日本でちょっと生きづらい特徴が、生き物として必要な性質のひとつなのだ」とどこかで思えたら、いいなぁ。長所と短所は紙一重だから、その良さを生かせる場所がもっと増えたらいいなぁ。

気持ち的にそんなふうに考えられない、って思う方ももちろんいると思うのだけど、そこも含めてそのままでいいんでしょうね。自分でしか昇華できないし、自分の努力で昇華できるものでもないから。なんかのタイミングで降ってくるみたいな運任せみたいなところもある気がする。

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「そのままでいい」という言葉は自分に当てはめるのがなんか違和感があってできなかったけど、それなりに「まあいいか」くらいには思えるようになったお話でした。

それではまた次回🙂👋

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