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2021-2022

通院のために、以前住んでいた町を通ることが年に何度かあり、その度に思い出すことが山ほどある。

社会人の2年目まで、劣悪な労働環境にいた。

急な環境の変化に、余裕のない上司からの過度の期待と八つ当たり。緊張感の耐えない毎日。

業界の中でも特に大人数の職員を抱えていたはずなのに、それゆえに誰が私の味方なのか分からなかった。誰にも頼れなかった。
荷物の在庫を確認すると言って、倉庫の中で膝を抱える時間だけが唯一の救いだった。

社会経験の無い人材として、確かに未熟だったと思う。でも、あまりに理不尽だった。

上司のこだわりを他部署にも受け入れてもらえるように根回しをした。双方から、私が文句を言われた。
そんなことに時間をかけなくても良いのに、と思っても、定時を超えても、月残業時間が100を超えても、上司は「どうぞ終わりにしてください」と私を突き放して、絶対に帰らなかった。

大変につらい2年間を耐え抜いた自分がいて、その時に比べたらとんでもなくくだらないことで悩みを抱えている平穏な今があると感じる。

去年までのことなのに、もう遥か昔のことのように感じるのは、それほどまでに思い出したくない日々だったからかもしれない。

出勤して始めにすることは、上司の声色から機嫌を伺い、上司が何に着手しているかをよく観察して、今日やるべきことを上司の動向から推測することだった。

行きたくなかった。上司に会いたくなかった。

通勤している時に、大きな資材を乗せたトラックの後ろにいると、その資材の押さえが甘くて私の車に突っ込んでこないかな、怪我をしたら仕事に行かなくて済むのに、と思っていた。

出張の時は、楽しそうに、情熱を持って仕事をする同期を見ては、「どうしてそんなに楽しそうにできるの?」「つらいよ、気付いて、助けて」と思うばかりで、声に出すことはできなかった。


到底無理と言われていたのにもかかわらず逃げ出すことができたのは、本気で逃げ出す意思があったからだと思う。

貯蓄も気力体力も使い果たして、やっとの思いで手に入れた今の環境に来てからはまだ半年ほどしか経っていないが、なぜか、ずっと前からここにいたような気持ちになっている。

仕事のスキルとして、得られたこともある。2年間の全てが無意味だったとは思わない。

少し長い寄り道をして、おそらく本来あるべき場所に戻ったのだと感じる。

同じくブラック企業にいて毎日終電で帰ってきていた今の旦那と、日付が変わる頃に最寄駅で待ち合わせをして、閉店ギリギリまで 飲み歩くという学生生活の延長を少しだけやった。

とんでもなくつらい経験をした場所で、楽しかったこと、救いだったことを経験すると、どれだけ些細な出来事でも今後一生思い出してしまうのだ。

あの町には、そういう思い出も多少ある。

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