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明け方の焦燥に寄り添って


本日朝方、目が覚めてしまい眠れなくなった。
こうも変な目覚め方をすると、思考が頭の中をぐるぐると駆け巡り、余計に寝付けなくなってしまう。

その思考が「命の終わり」にまで達してしまうと、いよいよもう二度寝も無理なのだ。

実家のうさぎがもうすぐ9才になる。
人間も動物も長生きする時代なので、まだ先は多少長いとは思っているがそれでもなかなかの高齢であることには違いない。

ふわふわで温かな命がいつか終わってしまうことを考えては、おそらく深夜から明け方という夜行性動物の最も活発になる時間に、ほとんど出たことがない小さな小屋を駆け回っているであろう"彼女"のことを思い浮かべて、なんとも落とし所のない感情になり目が冴えてしまった。

昨今のニュースを観ては、自分もまた例外なく、いつ無くなってもおかしくない命の中にいることを実感させられている。


一緒に不安にならないと、怖いのだ。
なんの心配もなく油断している時に、突如として大きな絶望や悲しみが襲いかかってきたら、二度と立ち直れないほどのダメージを受けてしまう。
そうならないために、これから迎えるであろう悲しみや、ひいては起こるかもしれない最悪の事態を想像せざるを得ない思考回路の中にいるのだ。



不思議なことに、日が昇ればそういった思考は途端に薄くなる。

仕事に行く、友達に会う、行きたいところに行く。
与えられた使命を考えてはやるべきことをこなして、やりたいことをやっているうちは、目の前にある物事と真摯に向き合うことに忙しくなる。そうしていると、寝付けない明け方の不穏な焦燥がスッと消えていくのだ。


生まれてきたということは、いつか死ぬという約束なのだと教わった。
永遠なんていう綺麗事では生きられないから、その前提は常に頭の片隅には置いておかなければならない。

だからこそ生きている以上は、自分や他の命に対して自暴自棄になってはいけないのだと本能的に感じるところがある。

先のことを考えて不安になるのは、ある意味私の生きる意思でもある。
明日も明後日も、いつか来るその日まで自分が生きるという意思なのだ。
負荷が大きいので心身に少し良くない気もするが、否定的にならなくても良いのかもしれない。

きっと何も怖がることはない。
目が覚めたのなら、しっかり構えてその日を生きていけば良い。
きっとそれは幸せなことなのだ。


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