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筆跡とタイプフェイスと

昨日、貰った『偉人の筆跡カレンダー』をあらためてじっくり見ている。
暦は6月なので、12ヶ月の半分ほどが過ぎた。
私は、本来のカレンダーとして使う訳ではないので、正直、何時でも構わない。
去年のものでも、一昨年のものでも、ずっと前のカレンダーでもいい。
この『筆跡カレンダー』の文字(数字)そのものが見たかった。

2022年版はワシリー・カンディンスキーの書いた数字が並んでいる。
毎月、同じ数字が列挙されているようで、よく見るとそうではない。
同じ人が書いても、人はまったく同じ数字は書けないし、年代によっても筆跡は変わっていく。
残されたさまざまな資料から数字だけを集めて、このカレンダーはデザインされている。
今は出典がまだ分からないけれど、おそらく来年にはわかると思う。
35年を向かえるこのシリーズは、最後の年表に出典も明記されているから。
例えば、2020年のベートーベンは、1月が「《運命》世界で最も有名な2小節!」、2月は「ルドルフ大公宛て直筆領収書」から、と言った具合に構成されている。運指の楽譜、不滅の恋人宛の手紙、出版社社員宛て楽譜入り手紙まである。
カレンダーそのもののデザインも素晴らしいが、この筆跡は魅力的だ。
過去にカンディンスキーの作品を多く見てきたけれど、作品にない面白さがある。完成されていない日常の一コマ、グラフィティーの要素もある。
人間味というか、体温を感じるのだ。

私が文字をじっくり見るようになったのは、Sさんの影響だと思う。
当時、私は彼のデザインスタジオでアシスタントをしていた。
社会人になって、最初に仕事をした場所だ。
Sさんは優秀なデザイナーで、特にタイプフェイス(書体)に対するこだわりも、愛もすごかった。
そのスタジオはアルファベットの仕事がほとんどで、タイプフェイスという言葉を、私は彼の口から初めて聞いた。
書体のことだ。
アルファベットは、とにかくタイプフェイスが多く、似た感じのものも沢山あって、目が慣れてくるまでは見分けるのが困難だった。
形状も、大きさも、カーニング(間隔)も、並んだ時の印象も、私にわからなくても、Sさんは些細な違和感に気づいた。
指摘されることはあったけれど、絶対に急かすことはしなかった。
すぐにわかることではないことを、彼自身が知っていたのだ。
普段は静かな人で、口数も少なかったけれど、タイプフェイスの話をする時だけは、まるで違って饒舌になった。
そこにはデザインされたモノに対する敬意があった。
本当に文字が好きなんだなあと、私はいつも思っていた。
日本語の書体は種類が少なく、使うのは明朝とゴシック程度だった。
他にもあるにはあったけれど、POP調や丸文字のようなものしかなかったように思う。
アルファベットは、その比でない。
タイプフェイスは、一体何種類あるんだろう?
100の単位で足りるのだろうか?
正確に知っている人なんて、いないような気もする。

カンディンスキーの文字を見ながら、ふと考える。
Sさんなら、この数字を見て、何と言っただろう?
長い人生の中で、彼ほど文字が好きな人に、私はまだ出会っていない。
仕事の経験は、時間の長さではなく密度だと誰かが言っていた。
あの頃が充実していたのは、自分の仕事が本当に好きな人たちと、一緒に過ごしたからだと思う。

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