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映画「怪物」を観る

 エンドロールが終わってもすぐに席を立てなかった。
あまりにもすごい作品だったので、呆然としてしまった。
次の回への入れ替えを告げるアナウンスが流れている。
隣の席の三人組の女の子たち(多分高校生)もまだ席に座ったままで、顔を近づけ何か話し込んでいた。
「良かったね」とそのうちの誰かが発して、深く何度も頷きあっている。
一瞬の出来事だったけれど、思わず頬が緩むのが自分でもわかった。
彼女たちは上映時間ギリギリに、あわてて駆け込んできたのだ。
平日16:00スタートの回だった。
この回を見逃すと帰りが遅くなってしまう。

私はロビーに出てからも、どこかぼんやりしていた。
立ち止まったまま、今にも雨が降り出しそうな空を壁一面の窓越しに見ていた。
頭と身体が動くまで、まだ少し時間がかかりそうで、何を感じ何を考えているのか自分でもよくわからない状態だった。

この映画は少し前に小説版を読んでいた。
ストーリーはすでに知っていたけれど、映画は小説を遥かに超えていた。
文字で読んだ印象より、映像の方がずっとリアルだった。
そのことに、私は些かショックだった。
どこかで私は、映像表現よりも文学表現の方が具体だと思っていた。
映像でしか表現できないモノがあることに、あたらめて気付かされた。

子役の二人、彼らの言動や感情は言語化すると、どこかで嘘っぽくなる。
説明できないから、その言葉を持たないから、映像はよりリアルなのだ。
彼らのいる場所、空気、見ている景色、些細な動作やまなざしがスクリーンに映し出されるだけで充分だった。

言語化しない方が、リアルな物語がある。
『怪物』はまさにそうだった。
でも『万引き家族』のように是枝監督が自ら書き下ろせば、また違ったとも思う。
著者の佐野晶氏には失礼だと思いながら、書くことの難しさを痛感した。


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