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実感すること、言葉にすること book review

『デビルドリーム』
長谷川集平・作
前田秀信・絵
理論社

 何かの本で読んだ一節を思い出した。
「感じたことに言葉を与えることができたら、その感情は自分のもの」
とても印象に残る言葉だったので覚えている。

 この物語は多くの現代人が(大人も子どもも)持つ、わけのわからない不安を具体として示してくれているように思う。そして、何が必要なのかということも、物語を通して見せてくれる。

 小六のアキとトモネちゃんはインターネットの秘密の掲示板を持っている。それが『デビルドリーム』だ。毎晩、そこで二人はおしゃべりする。学校で言えない本音を言えるという。

 二人とも名前はハンドルネームを使っている。学校は会社、担任の先生は部長と書く。自分と母親は、ぼくと妻。

 なぜ、こんな表現になるのだろうか? この会話の中で登場している人物は、実在の人物と本当に同じなのかと、疑問に思えてくる。

 アキは、二年前に東京から引っ越して来た。両親が離婚して、母のふるさとの長崎で暮らすことにしたからだ。二人の生活は一見順調のように見える。母は仕事が楽しそうだし、アキには仲良しの友達もいる。母の帰宅は遅いけれど、アキは一人で過ごす時間を楽しんでいる、ように見える。だけど「本当にそうかい?」と、どこかから声が聞こえてくる。時として、わけのわからない不安が押しよせてくる。

 アキの父には恋人がいた。両親は離婚届にサインして、これからは友達になろうと握手して別れた。だけど、そんなにさばさばさっぱりと、できるわけがない。

 アキと母が「おとうさんに会いたい」と二人でおいおい泣いた時、初めて『離婚』や『父とは別の生活』を実感したのかもしれない。だから、その後、今は会わない方がいいと思えたのかもしれない。

 小六の少女が同級生を殺害した佐世保の事件も絡んで来る。自分たちはあんな風にならないよねと、不安に思いながら二人は秘密の掲示板を続けている。時として相手を追いつめて、言わなくてもいいことまで言っている自分たちに気付き始める。『彼』と書いていた文字が、いきなり『お父さん』に変わり、『間違えた、彼の』と書き直したりする。

 自分の感情ときちんと向き合っていかないと、実感は持ちにくいのかもしれない。言葉も似ている。お父さんを掲示板の上で彼と言う時、それはどこか本当のお父さんとは、距離があるように感じるのだと思う。

『デビルドリーム』を、やめようと切り出したのはトモネちゃんだった。誰もみていないと思っていたのはアキだけだった。トモネちゃんは、そんな場所が無いことを知っていた。

 舞台が長崎でなければ書けない物語だと思う。歴史やキリスト教も絡んでくる。トモネちゃんの家はキリスト教で、自分たちの先祖が歩んだ歴史も、ちゃんと知っているのだ。神様がいつも見ていることも。

 短い物語だったけれど、充実していた。読後は爽やかで希望が見える。

 かつて長崎の町を歩いたことがある。再び訪れて同じ景色を見ても、おそらく違って見えるだろう。時が過ぎたからではない。この物語に出会ったからだと思う。

同人誌『季節風』掲載


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