幸福と悲しみと book review
『ノック人とツルの森』
アクセル・ブラウンズ・作
浅井晶子・訳
河出書房新社
私は本書を『少女の成長物語』として読んだ。悲惨なゴミ屋敷の実態やネグレストよりも、その現状をありのまま受け入れ、そこで生きるアディーナの視点がユニークで興味深かったからだ。彼女は母と弟と三人で暮らしている。父はずいぶん前に亡くなった。
彼女たちには二つの世界が存在する。一つは家の内側の世界。もう一つは家の外側の世界。外の世界は危険だと、彼女たちは母に言い聞かされて育った。そこには怖いノック人たちが暮らしているからだ。彼らがうちのドアをノックするとき、家族はばらばらにされてしまう。ゴミ屋敷の実態は外に知られてはいけないのだ。
アディーナの家は、母が大量に運び込むゴミで埋もれている。でも彼女たちにとって、それらはゴミではない。廊下にそびえる箱の壁は〈なんてきれいなの〉であり、階段の包みは〈よく見てみなくちゃ〉なのだ。二階をふさぐ木箱は〈とても捨てられないわ〉、そして廊下の棚には〈ああ、これは大切〉が積まれている。彼女たちはその隙間をくぐり、高く積まれた箱を乗り越え、ようやく二階の子ども部屋へとたどり着く。それが日常だ。
物語はアディーナの小学校入学から始まる。入学と同時に、彼女はノック人の世界へと足を踏み入れた。通学路さえ目新しく、軽石のような歩道の敷石に彼女は夢中だ。桜の木と同じくらい素敵な信号。真っ白な線で描かれた横断歩道は、雲のよう。ノック人の国には、気に入ったものが沢山ある。軽石級—桜級—雲級に素敵だと、アディーナは表現する。
学校ではノック人の子どもたちに触らないよう慎重に行動する。ノック人の子どもたちはみんな変なにおいがした。
アディーナはきちんと宿題をして、質問にも答えたけれど、必要なこと以外は話さないし、休み時間も一人で過ごした。ノック人の子どもたちは彼女を気にもとめなかった。
ノック人の国を知れば知るほど、アディーナは自宅が異質に思えて来る。自分たちとノック人は何が違うのか。ある日、崩れてきた箱の下敷きになり、目を覚ますと彼女は病院にいた。弟はパパのところ、と母は言う。
母は黙々とゴミを運び続ける。アディーナは二年生になった。今では家を覆いつくすゴミは疎ましい存在だ。学校では誰もが彼女によりつかない。クラスの暴れ者たちには「くさい、きたない」と殴られる。深夜の散歩が頻繁になっていく。
ある夜、家を抜け出したアディーナは目的なく電車を乗り継ぎブロークの森に迷い込む。偶然、そこで近所に住むエアラ・マイヤーと出くわした。その校外の森一帯は自然保護区域で、彼女はツルの保護員だったのだ。
一目でツルの美しさに魅せられたアディーナは、その後もエアラに同行しツルを観察する。彼女との付き合いは、母への裏切り行為でもあった。エアラはノック人なのだ。けれどアディーナの心はすでに外に向かって開いている。母の言動をすべて信じられるほど、もう幼くはない。彼女は母を愛していても、同時に怒りも抱いているのだ。
失うことは悲しい。けれど、失わないと得られない幸福もある。アディーナの胸の痛みは、母そのものだ。痛みは薄れても、消えることはない。母と、弟、そして、あの家……。
いつかアディーナは自宅を訪れるだろう。空っぽの白い部屋。窓から降りそそぐ光。そこに立つ彼女の姿が、私は見える気がした。
同人誌『季節風』掲載
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