人が嫌いで人が好き
「なんでそんな言い方しかできないの?」と思う人がいる。こういう人からは離れないといけないって聞いた。そう思っちゃうのは、わたし自身にとっては当たり前にできている部分だからっていうのも本で読んだ。こんなふうにいろんな知識総動員で自分を落ち着かせようとするけど、やっぱりダメだ。
わたしにとってその約束は、そんなテキトーなものじゃないんだけどなあ。へらへら謝られて、にこにこ許して、丸くおさまったみたいに見えたかな。丸め込まれたって思ってるよ。わたしを大切に扱ってくれていないこと、わかるよ。伝わってくるよ。もしもそれを指摘したら、そんなつもりはないとか言うだろうけど。とっくに心のシャッターは降ろしてる。
優しさってそんな感じだったっけ。もっともっとあったかくてじんわり心に沁みる。そういうのだけが欲しい。わたしのこと、ホントに思ってくれてた?「優しい私」の演出に使われてる。そんなふうに思えてしまう。あーー、そんなわたしが嫌になっちゃうよ。
飲み会の帰り道、なんだか心が疲れてる。ふう、ってひと息ついたとき、口角が下がることに気づく。あ、無理してたかも。その場の雰囲気、壊しちゃいけない。ノリ悪いって思われたらダメ。そうやって少しずつ無理してたかもしれない。頑張って笑ってた。笑うって、頑張るものだっけ。
少しずつ無理をして、好きな自分が見えなくなっていく。ああ、人と関わるって簡単じゃない。
わたしほんとは多分、好きじゃない。
誰にでも優しくすること。
他者だけをいつも優先すること。
人との縁って不思議だ。今日この場所に足を運ばなかったらこの人には出会えなかったんだな、とふと考えると、縁って素敵だなあと思う。いわゆる恩師みたいな大きな存在感でなくても、見ず知らずのこの人に出会えて話を聞けて、今日はいい日だったなあと思うような出会い。
下ばかり向いていた。愚痴としか形容できない言葉を吐き出したとき、無理やりじゃない、ふわっと前を向かせてくれるような言葉を掛けてくれた人。わたし一人ではダメになりそうだったとき、その人と話しているとなんだか笑えてた。あ、こういう考え方ってあるんだ。そうやってわたしも生きてみたい。
ふと、連絡をしたくなった。メールを送ってみた。顔を見なくてもコミュニケーションをとれる時代。その人の打つ文字は、その人の声で聞こえた。そう書いてあるわけじゃなかったけど、その人のいつもの顔で「頑張れ、大丈夫」って笑った。笑い飛ばしてくれた。
ちゃんと心からの言葉を交わせたとき。
わたしたちのかけがえのなさを思い出せたとき。
人と関わることをしてきてよかったと思う。
人って全然違うから。それぞれ違ってるから。
全部分かるなんてできなくても、分かろうとしてくれる人がいて、それが嬉しい。
やだな、やだなあ。
嫌いな人。嫌い嫌い嫌いって思う自分。
ただ、なーんにも気にせず、
好きな人
その人の好きなとこ
きらきらしてるとこ
わくわくしながら受け取っていたい。
嫌いで好きで困っちゃうな。
どうしたらいいかな。