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こぼれたものが嘘なわけない



人を好きになることって、絶対裏切らないから。絶対それは、嘘なはずないよ。人を好きになるって、勝手にこぼれるものでしょ?こぼれたものが嘘なわけないよ。





ちょっとだけ頑張る時ってあるでしょ?
…白い服着てナポリタン食べる時。そういうね、時にね。その人がいつも、ちょっと、居るの。居て、エプロンかけてくれるの。そしたら、ちょっと頑張れる。そういう、好きだってことを忘れるくらいの、好き。






大好きなドラマ、「カルテット」の台詞。





「好き」のカタチは人それぞれだと思う。


もちろん、

「好き」以外の気持ちや考え方も。



わたしにとって、
noteで、ああでもないこうでもない、と、
いちばんぴったりな言葉を探すのは、

ふと感じたことや、日々考えていること、
「好き」やいろいろな気持ちを、
自分の定義する作業みたいなものだ。




「カルテット」で表された言葉は、
わたしにとっての"正解"に思えた。

パズルみたいにぴったり当てはまる。

かと言って、こんな素敵な考え方を、
元々知っていたはずもなくて。

足りないものが補われたように話すと
それもすこし違っている気がする。


好きな人に出会って、
「ああこの人が運命の人だ」
って思うみたいな。

そういう正解の出会い方。







僕はみなさんの、ちゃんとしてないところが好きなんです。たとえ世界中から責められたとしても、僕は全力でみんなを甘やかしますから。




好きになったら全肯定。

これは何も、行動や考え方ひとつ残らず
徹底的に愛すということではないと思う。

ちゃんとしていないところに
その人だけの魅力がきっと隠れていて。

ダメなところだってあるけど、
ダメなところが直らなくても、それがあなた。
そのままのあなたが好きだよ。って。







「カルテット」を好きな人の多くが見ている
「大豆田とわ子と三人の元夫」を見た。


この2つのドラマは、わたしの中にあった、
曖昧な気持ちを丸ごと全部受け止めてくれた。






恋をするって素敵なこと。




幸せのカタチは、結婚だけじゃない。





恋をする。

誰かを好きになる気持ちは、
眩しいぐらいに素敵で特別なもの。


だけど、人が生きていく中での幸せは、
結婚だけじゃない。

でも、結婚も誰かにとっていちばんの幸せで。



こういう、ちょっと矛盾してしまうような、
ん?っていう、もやっとした気持ち悪さを
なんでもなかったみたいにしてくれた。




この人のこと、好きなのかもしれない。

って、曖昧な気持ちを抱えて
ドキドキすることって、ある。


そういうときには大抵もう手遅れで
好きになってしまっていて。

そのドキドキは全部自分だけのもので、

なぜかと聞かれると上手く答えられないけど、
「好き」の気持ちはいつだって、
特別できらきらしているものだ。


それから、人に、モノに、出来事に。
「好き」がたくさん重なって。

幸せを突き詰めた先のゴールが、
結婚とは限らない。

でも結婚を否定するわけじゃなくて
そういうカタチの幸せにも憧れる。


だけど、慎重に、一歩も踏み外さないように、
そうやって向かう場所でもないように思う。





何歳になっても、恋をしたい。

結婚にも憧れる。

結婚だけが幸せじゃない、って思う。



ぜんぶ、ほんと。



「カルテット」のみんなが、
"大丈夫だよ"って言ってくれる気がする。

"こういう正解もあるよ"って。




わたしは、

こぼれる「好き」に正直に生きたい。