世界のとっておきの秘密を知る。|「すべての見えない光」アンソニー・ドーア

どうしてこんなに心が揺さぶられるのだろう。読み終えて数日たつというのに、ふとした瞬間に思い出しては心がぎゅっとなる。

読了後の夜、ベッドの中で物語を思い返しては静かな波のように感動が寄せては返し、涙があふれた。読後の余韻がこんなにも切なく暖かく、静謐で心豊かな気持ちになることは稀だ。というか、はじめてだ。うまく言えないけれど、この本を読んだことで、世界のとっておきの秘密を知ってしまったような。生死を超えた、この世界のすばらしさというか、なんというかそんなことに気づいちゃったみたいな。いや、なに言ってるんでしょう。とにかくこの作品を読んだ人にしかわからない、”なにか”がある。それがわからなくて、とにかく感想を書くことにする。自分のために。

『すべての見えない光』アンソニー・ドーア  藤井 光  訳

舞台は1940年代のフランス。目が見えない少女マリー・ロールとナチスの若い兵士ヴェルナー、ふたりの運命が海辺の街サン・マロで交差する。共通点は”ラジオ”。そして、物語の鍵となる”炎の海”と呼ばれる宝石。その宝石は、持ち主を不死にするが周囲を不幸にさせる。

終始、交互に語られるふたりの生い立ちと成長。ささやかな生活をおくる中、ひたひたと忍び寄る灰色の気配。戦争が人々を恐怖と不安に陥れ、悲哀と怒りが徐々に世界を覆っていく。そんな中、出会うはずのなかったふたりが出会う。皮肉にも、戦争を媒介として。

砲弾の音が聞こえ、水はなく食べ物はわずかといった生きるか死ぬかの最中でも、ドビュッシーの「月の光」が、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」のネモ船長の冒険が光となる。音楽や文学は、生きる力を与える。そして、鳥や巻き貝、サン・マロの海と砂浜、小洞窟といった自然が、マリー・ロールを、ヴェルナーを、読者を静かに照らし、癒していく。

「きみの家のストーブで赤く光るひとかけらを考えてみよう。それが見えるかな?その石炭の塊は、かつては緑色の植物、シダかアシだった。百万年前か二百万年前、ひょっとすると一億年も前に生きていたのだよ。一億年なんて、きみには想像できるだろうか?その植物が生きているあいだ、毎年夏になると、その葉は日光をとらえて、太陽のエネルギーを自身に変えた。そして今、あの日光、一億年前の日光が、今夜はきみの家を暖めている」

作中、何度も語られるラジオの一説。生きとし生けるものすべて訪れる”生命の終わり”は、物理的な消失を意味するけれど、存在がなくなるわけではない。生命の死は、土に還り、草となり花を咲かせ、風を運ぶ。見えないけれど、魂は存在している。繰り返し語られる印象的なラジオの一説が、マリー・ロールを生かし、ヴェルナーに勇気を与える。「すべての見えない光」とは。それがわかった時、胸がいっぱいになり、静かな感動が心を満たした。涙が自然とあふれた。

518ページという長編で、第二次世界大戦を背景にすることもあり、読みにくいかな?と思いきや、ひとたび本を開けばするする引き込まれる。短いもので1ページ、長くても10ページほどの数多のエピソードから構成されており、読みやすい。マリー・ロールとヴェルナーの視点が交互に変わり、たびたび場面転換をする舞台のようでもある。”炎の海”という宝石をめぐるサスペンス的展開も楽しめ、次の展開が気になりぐんぐん読み進めてしまう。そして、ドーアの詩情あふれる筆致を藤井光さんのすばらしい翻訳がみるみる寝不足に誘いこむ。(わたしはこの本を読んでいる期間、毎晩夜中3時ごろまで読んでいた)

結局、なぜここまで心惹かれたのか、わかったような、わからなかったような。けれど、これだけは言える。今まで読んだ本の中で極めて特別な作品となった。間違いなく名作だ。いや、わたしが絶賛しなくてもピュリッツァー賞とか受賞してるんだけど。それでも。読んだ人にしかわからない、この世界のすばらしさを、わたしは知ることができた。

そして、この拙い文章だけでは本作のすばらしさが伝わりづらいのでは…と心配になってきたので、最後に池澤夏樹氏のコメントを引用して、終わりとしたい。

「人生には自分で選べないものがたくさんある。たとえば、この小説の主人公であるマリー=ロールというフランスの少女は目が見えない。ヴェルナーというドイツの少年は大戦に巻き込まれる。悲惨とぎりぎりの彼らの運命をその時々に救うのは、貝殻や桃の缶詰、無線で行き交う声と音、いわばモノだ。それに少数の善意の人たち。遠く離れた少年と少女は少しずつ近づき、一瞬の邂逅の後、また別れる。波瀾と詩情を二つながら兼ねそなえた名作だとぼくは思う。」ー池澤夏樹


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